『シチリア・サマー』 シチリアという場所

外国映画

監督はジュゼッペ・フィオレッロ。もともとは役者として『シチリア!シチリア!』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)などに出演していた人で、本作が初の長編監督作品。

主演の2人は本作でナストロ・ダルジェント賞というイタリアの映画賞で最優秀新人賞を受賞した。

原題は「Stranizza d’Amuri」で、「愛の奇妙さ」といった意味になるらしい。

物語

1982年、初夏の日差しが降りそそぐイタリア・シチリア島。バイク同士でぶつかり、気絶して息もできなくなった17歳のジャンニに駆け寄ったのは、16歳のニーノ。
育ちも性格もまるで異なる2人は一瞬で惹かれあい、友情は瞬く間に激しい恋へと変化していく。2人で打ち上げた花火、飛び込んだ冷たい泉、秘密の約束。だが、そんなかけがえのない時間は、ある日突然終わることに──。

(公式サイトより抜粋)

実話をもとにした作品

予告編でもすでに明らかになっているように、『シチリア・サマー』は実話をもとにした作品で、ふたりの少年が死んでしまうことになる。そして、その事件がきっかけとなって、イタリアではLGBTIに関する非営利団体“ARCIGAY(アルチゲイ)”が設立されたらしい。なぜふたりは死ななければならなかったのだろうか? 本作はそれに迫っていくことになる。

バイク事故で出会ったふたりの少年。ジャンニとニーノ。ジャンニ(サムエーレ・セグレート)はカフェにたむろしている連中に「ジャンニちゃん」などと揶揄されている。それにはひとつ要因がある。ジャンニがかつてある矯正施設に入っていたことをみんなが知っているからだ。

この矯正施設というのは、多分、同性愛者を矯正する施設ということなのだろう。周囲はそれを知り、ジャンニをからかうのだが、中には整った顔立ちのジャンニに惹かれてもいる男もいて、余計に面倒なことになる。

そして、もうひとりの少年ニーノ(ガブリエーレ・ピッツーロ)は、賑やかな家庭での生活を送っている。一緒に暮らしているのは両親と姉で、ほかに姉の子どものトトもいる。つまりはニーノはもう叔父さんなのだ。さらに近くのトレーラーには親戚なのか別の男性も住んでいて、食卓にはいつも大勢が集うような家となっている。

そんなふたりはたまたま出会い、次第に惹かれ合うようになっていく。

© 2023 IBLAFILM srl

“ありがち”な同性愛描写?

ゲイを描いた作品は多いけれど、本作はある意味では“ありがち”とも言える描写をしている。ふたりがバイクに二人乗りする場面などは、『マイ・プライベート・アイダホ』『Summer of 85』とあまりにそっくりだ。

それから主役を演じたふたりの美形の存在もあり、本作はアイドル映画風な趣きすらあるのかもしれない。それでもシチリア島出身の監督による、丁寧な島の生活の描写には好感が持てた。そして、そんな風景の中で対照的なふたりが互いに惹かれていく様子はよくわかるような気もした。

ジャンニは内向的でいて強い意志を持っている。一方でニーノはいかにもすくすくと育ってきたといった感じの天衣無縫さがある。ニーノの大家族に対し、ジャンニは母親と一緒にある男性の家に居候状態で、ふたりはそれぞれ自分にないものを相手に見出しているのだろう。

父の花火師の仕事を手伝っているニーノは、花火について熱っぽく語ることになるのだが、そんなニーノの横顔をジャンニは飽くことなく眺めている。ジャンニはニーノのそんな純粋さに惹かれたのだろう。そして、ジャンニの誘いに対して、ニーノはそれを自然に受け入れることになる。

ニーノ曰く、花火は様々な感情を表現することができるのだという。本作ではふたりの感情の高まりも花火によって示されることになるけれど、ふたりの関係がバレてしまい、周囲が怒りの矛先をふたりに向ける場面でも花火が打ち上げられることになるのだ。

  ※ 以下、ネタバレもあり!

© 2023 IBLAFILM srl

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なぜ秘め事にしなければ?

ジャンニが矯正施設に入れられていたという話があったけれど、こうした施設を描いた作品としては『ある少年の告白』がある。二つの作品は時代も場所も異なるけれど、矯正施設の役割としては同じなのだろう。当時のイタリアでは同性愛は病気として治療すべきものだとされていたということだ。

そして、同じような状況にあった『ある少年の告白』では、こんな対処法が示されてもいた。「変われないならばフリをしろ」というのだ。セクシャリティは変えることはできないわけで、それならば異性愛者のフリをしろということだろう。

本作でも似たような対処法が示されている。ニーノの家の近くのトレーラーに住んでいる親戚は、ニーノに対し「秘め事にしていれば100年だって続けられる」と助言を与えているのだ。そのことはふたりも理解していたはずだ。

しかし、ジャンニはそんなことを望まなかったということなのだろう。なぜ秘め事にしなければならないのかということだ。ジャンニはニーノを誘い、ワールドカップのイタリア優勝に沸く人混みの中を堂々と出歩くことになり、それが悲劇をもたらすことになる。

© 2023 IBLAFILM srl

シチリアという場所

シチリアという場所は、イタリアにおいても独特な場所なのだろう。マフィアが誕生した場所としても有名だ。『シチリアーノ 裏切りの美学』という作品は、シチリアのマフィアの血生臭い抗争劇を描いていたけれど、本作にはマフィアらしき人物は登場しない。それでも暴力によって相手を従わせようという男は登場する。

というよりも、シチリアに生まれた男たちはそんなふうに育てられていくことになるのだ。本作の冒頭では、ニーノたちのウサギ狩りの様子が描かれる。ここではニーノの伯父さんが場を取り仕切っていて、ニーノの甥っ子である幼いトトは邪魔扱いされている。トトはまだうるさいだけだし、死んだウサギを怖がったりして役立たずだからだ。伯父さんはそんなトトを小突いたりして邪険に扱っている。

ところが映画のラスト近くで、再びニーノとトトたちがウサギ狩りに行くと、トトは自ら銃でウサギを仕留めることになる。すると伯父さんはトトを褒めあげることになる。

狩は男の仕事であり、その獲物はニーノの母親によって食卓に上がることになるのだろう。トトはそんな男の仕事をやり遂げたというわけだ。つまりここではトトの成長が示されるわけだが、その成長がどんな類いのものかと言えば、いわゆる“男らしさ”というものを学んだということになるのだろう。そのことが同性愛に対する嫌悪感といったものにつながってくることは言うまでもない。

シチリアの男たちはそんなふうに育てられていくというわけだ。『MEN 同じ顔の男たち』という作品にあったように、“有害な男らしさ”というものが再生産されていくことが示されているわけだ。

ちなみに実際の事件では、ふたりの少年を撃ったのはその甥っ子だったとされているようだ。この甥っ子は当時13歳ということで罪に問われないために、誰かがそれをやらせたことが推測されるわけだが、それ以上のことは明らかにならなかったらしい。

ジュゼッペ・フィオレッロ監督はこのことに関して、コミュニティにおける“沈黙の掟”の存在を語っている。『シチリアーノ』では、“沈黙の掟”はマフィアに課されるものだとされていたが、シチリアのコミュニティ全体にもこの掟の支配があり、誰も事件について話さないために、未だにこの事件で罪を問われた人はいないということなのだ。

『シチリア・サマー』では、その甥っ子をモデルとしたキャラがトトとなるわけだ。劇中ではふたりが殺される場面は描かれないけれど、シチリア島で生まれ育ったトトが“有害な男らしさ”を学んでいくように描かれているのは、ふたりの少年が殺された原因がどこにあるかということを指し示しているようだった。

ニーノの家族はみんないい人ばかりだったけれど、そのニーノが同性愛に耽っているという噂が広まると態度が一変する。それを先に知っていたニーノの母親の、ジャンニに対する密かな目付きがとても怖い。おぞましいものでも見るかのようにジャンニを睨みつけているのだが、当時はそんな偏見が支配的だったということでもあるのだろう。

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