『シチリアーノ 裏切りの美学』 裏切り者はどっちだ?

外国映画

監督は『ポケットの中の握り拳』『眠れる美女』などのマルコ・ベロッキオ

イタリアの四大マフィアの一つとされるコーザ・ノストラの大物ボスでありながら、組織を裏切ることになったトンマーゾ・ブシェッタの半生を描く作品。

原題は「Il traditore」。

フィクションではないリアルなマフィア

マフィアと聞いて映画ファンの多くが思い浮かべるのは『ゴッドファーザー』シリーズなんじゃないかと思うのだが、『ゴッドファーザー』はフィクションである。しかし、その原作者でもあり映画の脚本にも参加したマリオ・プーゾがモデルとして参照していたのが、本作で描かれている実在したシチリアのマフィアたちということになるのだろう。

『シチリアーノ 裏切りの美学』1980年代初頭にシチリアで起きた抗争を描いている。主役となるのはパレルモ派の大物ボスであるトンマーゾ・ブシェッタ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)だが、彼がきな臭い匂いを嗅ぎ分けブラジルに逃れると、敵対するコルネオーネ派はブシェッタの息子や仲間たちを次々と殺していく。

(C)IBC MOVIE/KAVAC FILM/GULLANE ENTRETENIMIENTO/MATCH FACTORY PRODUCTIONS/ADVITAM

本作は現実に起きた殺しのシーンをかなり忠実に再現しているようだ。しかし、殺された人数が多すぎるせいか、殺害シーンはかなり省略されている。最初の犠牲者が出るシーンでは、スクリーンにカウンターが現れ、それが45人目の犠牲者であることが示される。その後もそのカウンターは次々とカウントアップされていき、最終的には150人ほどが数え上げられることになる。

こうした殺しのシーンに『ゴッドファーザー』のような「殺しの美学」は感じられず、現実の殺しは単に惨たらしいだけのようにも思える。それでもマフィアのやり口はフィクションも真っ青というくらい壮絶であることも感じさせる。

一番恐ろしい殺され方だったのは、トンマーゾ・ブシェッタからの信頼を得、彼の捜査への協力を引き出すことになるファルコーネ判事(ファウスト・ルッソ・アレジ)の最期だろう。ファルコーネ判事は高速道路を走行中に、護衛の車が爆破され、それによって高架に出来た穴から落下して死ぬことになる。それを判事側の視点で追っているこのシーンは、観客もジェットコースター的な急降下を体験することになる。

車の爆破というのはマフィア映画では常套手段だが、高速道路を破壊するほどの威力というのは想像を絶している。それが実際に起きたことだというのだから、マフィアの抗争のすさまじさを物語っているだろう。

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なぜ裏切った?

大物ボスだったブシェッタがなぜ裏切り者になったのか?

そもそもブシェッタに言わせると、マフィアは存在せずメディアが作り上げたものだということになる。彼らの「コーザ・ノストラ」とは「我らのもの」を意味し、マフィアとは別物であり、彼らは自分のことを「名誉ある男」と呼んでいる。

かつてシチリアでは食べ物がなくて住民が死んでいくような状況があり、そんな時に彼らを助けたのがコーザ・ノストラだという自負があるのだ。しかし、そんな組織も時が流れ麻薬取引をやることになると変わってくる。かつてはあったかもしれない大義も失われ、今では金がすべてとなり、殺し合いばかりが横行することになる。

だからブシェッタからすれば裏切ったのはコーザ・ノストラのほうであり、ブシェッタ自身は名誉ある男であり続けているということになるのだ。

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沈黙の掟

マフィアには「沈黙の掟」というものが課せられ、いかなることがあっても組織の秘密を守ることが求められるのだという。それを破って判事にすべてをぶちまけたブシェッタは、マフィア組織側からすれば度し難い裏切り者ということになる。ブシェッタの証言によって多くのマフィアが一網打尽にされることになったからだ。

おもしろいのは裁判のやり方で、法廷には檻の中に入れられた大勢のマフィアたちが居並び、そのど真ん中へブシェッタが登場することになる。裏切り者の登場に周囲は大騒ぎになり、裁判官も「ここは精神病院か」と呆れるほどの騒動を見せることになる。

実際の裁判もそんなふうに行われていたことは現在Netflixで配信されている『裏切りのゴッドファーザー』でも確認することができる(このドキュメンタリーを見ると、若い頃のブシェッタはハビエル・バルデムによく似ている)。

裏切りに美学はありや?

ブシェッタはブラジルに逃亡していた時、ブラジル警察に拷問されても口を割ることはなかった。この際のブラジル警察のやり口も現実離れしていて、ヘリコプターにブシェッタを乗せ、もう一台のヘリコプターから娘を大海原に突き落とすと脅すことになる。そんなやり口にも屈しなかったブシェッタが沈黙の掟を破ることになるのは、友人として頼りにしていたカロ(ファブリツィオ・フェラカーネに預けていた息子たち二人を、ほかならぬカロその人に殺されたということもあるのだろうし、判事であるファルコーネの命懸けの姿に男気を感じたからだろうか。

印象的なのはブシェッタが最初に殺しを命じられたときのエピソードだ。ブシェッタは銃を持ってそのターゲットに近づくのだが、ターゲットは生まれたばかりの子供を盾にして身を守る。コーザ・ノストラは女や子供は傷つけないというルールがあったから、ブシェッタもその状況では手が出せないことを理解しているのだ。そのターゲットはその日から子供と一心同体で、双子のように暮らし、そのためにブシェッタは目的を果たすことができずに長年の時間が流れる。そして、盾に使っていた子供が結婚し、家を出て行った日にようやくブシェッタは命令を遂行することになる。

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そんなルールが厳格に守られた時代はすでになく、今ではもはや何でもありになっている。ブシェッタが本来のコーザ・ノストラとマフィアが別物だと語るのは、日本のヤクザが「任侠道と暴力団は違う」と語るのと同じようなものなのかもしれない。その境界線はかなり曖昧なものだとも思うのだが、ブシェッタはそれが明確に存在すると感じていたし、監督のベロッキオもブシェッタに肩入れして本作を描いている。

ブシェッタは劇の後半でアンドレオッティ首相(彼の半生は『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』で映画化されている)とマフィアとの関係も暴露したのだが、これに関しては証拠不十分とされてしまう。「毒を食らわば皿まで」というわけで、ブシェッタが徹底的にやる気だったことが示されているだろう。

題材としては「今さらなぜ?」という気もしないではない。ただ、ベロッキオ『夜よ、こんにちは』ではアルド・モロ元首相誘拐暗殺事件を描いているし、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』ではムッソリーニの最初の妻とされながらも、その存在が隠蔽されていたイーダという女性に焦点を当てている。本作のブシェッタという人物もマフィアの大物として有名でありながら、今までの映画では脇役でしかなかったのだという。そんなブシェッタやマフィアを題材としたのは、イタリアの近代史を描いてきたベロッキオにとっては避けては通れないものだったのかもしれない。

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