『ブルータル・ジャスティス』 得体の知れない感じ

外国映画

『トマホーク ガンマンvs食人族』や『デンジャラス・プリズン 牢獄の処刑人』などのS・クレイグ・ザラー監督の日本初公開作品。

主演は『リーサル・ウェポン』シリーズや、『コンティニュー』などのメル・ギブソン

原題は「Dragged Across Concrete」。

物語

ベテラン刑事のブレット(メル・ギブソン)は、ある犯罪者を逮捕するのだが、その強引な逮捕の様子を動画に撮られ、停職を余儀なくされる。

ブレットには病気を抱えた妻と、高校生の娘がいて、安月給のために治安の悪い地域から引っ越せず、娘は何度もガラの悪いやつらに嫌な目に遭わされたりしている。

そんな状況から脱しようと、ブレットは犯罪に関する情報を仕入れ、相棒のトニー(ヴィンス・ヴォーン)とその金を横取りする計画をするのだが……。

人種差別主義者の主人公?

本作の主人公ブレットは人種差別主義者としてマス・メディアから叩かれることになるわけだが、そんな主人公をメル・ギブソンが演じているのは狙ったものなのだろう。メル・ギブソン自身がユダヤ人に対する差別発言などで批判され、一時期は仕事を干されていたことは有名な話だからだ。その意味で本作は昨今の流れからすれば、結構危なっかしい際どい部分を攻めていると言えるかもしれない。

そんなブレットの行動が著しく酷いものだったかと言えば、それほどとも思えないのだが、メディアはそれを過剰に煽り立て、世間に話題を提供することになる。ブレットと上司との会話では、犯罪者に対する警察の寛容な姿勢が求められる一方で、メディアのあまりに不寛容な態度が皮肉られ、それは50年代の共産主義者に対する赤狩りと同様だとされている。

COPYRIGHT (C) 2018 DAC FILM, LLC. All RIGHTS RESERVED

野蛮な正義

ブレットは検挙率はいいのだが、警察内部でうまく立ち回ることは苦手らしい。ドン・ジョンソンが演じる上司はかつては同僚だったのに、ブレットは未だに20代と同じ役職だと、その不遇を嘆いている。

本作の邦題となっている「ブルータル・ジャスティス」は「野蛮な正義」を意味するもので、ブレット自身は今まで真っ当に働いてきたと自負している。山ほどバカを捕まえてきたにも関わらず、自分が評価されないのは不当だという意識なのだ。そのことが犯罪に関係する金を横取りするという計画につながっていくのだが、それがとんでもない事件に巻き込まれるきっかけになってしまう。

※ 以下、ネタバレもあり!

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独特な時間感覚

細かいカットをつなぎ合わせてスピーディーに見せるハリウッド的なスタイルと一線を画する『ブルータル・ジャスティス』は、ヘタすれば90分で描けるかもしれない物語を159分という時間をかけて描いていく。

本作の主人公はブレットなのだが、その前に最後に生き残ることになる黒人ヘンリー(トリー・キトルズ)のエピソードを丹念に描いていく。脇役の背景も丁寧に描くことが、何度も脱線を生むことになり、それゆえに長尺になっていくのだ。

脇役の背景描写は、たとえば本作で銀行強盗を仕出かすことになるヴォーゲルマン(トーマス・クレッチマン)の場合は、その残虐性を示すことにもなっているわけで、これはさほど珍しいものではないのだが、異様な脱線だったのは、銀行強盗の被害者となる女性のエピソードだろう。

産休明けで久しぶりに銀行の仕事に復帰したこの女性は、息子があまりにかわいくて片時も離れたくないらしく、後ろ髪を引かれるような気持ちでようやく職場にやってくる。そんなエピソードが長々と描かれた後に、この女性はヴォーゲルマンたち銀行強盗に遭遇し、頭を吹き飛ばされて殺されてしまう。かわいい子供を遺して死ぬことをわざわざ示すのは、ヴォーゲルマンの残虐性を強調するためでもあるのだが、本作の悪趣味ぶりを示しているようにも思える。

さらに後半では、ヴォーゲルマンは亡くなった仲間の胃の中にある鍵を取り出すのだが、本作はそのえげつない行為を懇切丁寧に見せることになる。S・クレイグ・ザラー監督の作品は一部でカルト化しているようで、“暴力の伝道師”というのがキャッチ・フレーズとのこと。また、本作はラジー賞の「最低人命軽視と公共物破壊しまくり作品賞」にノミネートされているのだとか(受賞したのは『ランボー ラスト・ブラッド』だったらしい)。それも「さもありなん」と思えるような作品だったことは確かだろう。

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得体の知れない作品

本作は正義とは名ばかりで悪党たちの闘いとなるわけで、最後はほとんど全滅といったラストになるわけだが、そこまでの道行きはブレットとトニーのバディものとしてゆるい笑いもある。ブレットは常に確率で物事を測ってトニーをうんざりさせ、トニーは「fuck」とか「shit」と言うはずところをなぜか「アンチョビ」と意味不明な言葉を吐く。「アンチョビ」にどんな曰くがあるのかは説明されることもなく、ただそれを連発することになる。

自ら選んだ破滅の道とはいえ、予想外の展開に相棒の名誉だけは守ろうとするところにカッコよさを見せた主役のメル・ギブソンをはじめ、相棒のヴィンス・ヴォーン、上司役で顔を出すドン・ジョンソンや、これまたチョイ役のウド・キアなど、渋い男たちばかりが勢揃いしているのは見どころと言える。

脱線に次ぐ脱線で退屈するのかと思うと、実はそんなこともなく、一体何が起きるのだろうかという緊張感で見守ってしまっていたのも、ハリウッドの定式など無視したような作りが得体の知れない作品というイメージを増幅していたからだろうか。この独特な時間感覚は注目しておいてもいいのかもしれない。

劇中に流れる曲もすべて自分で作ったというミュージシャンでもあるS・クレイグ・ザラーの作品は、『トマホーク ガンマンvs食人族』『デンジャラス・プリズン 牢獄の処刑人』という二作品があるようだが、タイトルからしてB級映画の香りが漂っているが、一度は観てみたい作品となったと思う。

原題の「Dragged Across Concrete」は、「コンクリートの上を引きずられて」といった意味になるようだ。本作ではブレットもヘンリーもサバンナのライオンに憧れを抱いているようだったが、片や人間はコンクリートの上を引き回されるばかり。この原題は、われわれ人間が自然な何かを失って狂ってしまっていることを示しているのかもしれない。

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