『アンダーカレント』 自分の行動に驚かされる

日本映画

原作は豊田徹也の同名漫画。この原作はフランスの有名な漫画賞を受賞したほど評価が高い作品とのこと。

監督・脚本は『街の上で』などの今泉力哉

主演は『さよなら渓谷』などの真木よう子

物語

銭湯の女主人・かなえは、夫・悟が突然失踪し途方に暮れる。なんとか銭湯を再開すると、堀と名乗る謎の男が「働きたい」とやってきて、住み込みで働くことになり、二人の不思議な共同生活が始まる。一方、友人・菅野に紹介された胡散臭い探偵・山崎と悟の行方を探すことになったかなえは、夫の知られざる事実を次々と知ることに。悟、堀、そして、かなえ自身も心の底に沈めていた想いが、徐々に浮かび上がってくる−。

(公式サイトより抜粋)

失踪した夫と現れた謎の男

かなえ(真木よう子)が経営している銭湯・月乃湯が人手不足になってしまったのは、共同経営者で夫でもある悟(永山瑛太)が失踪してしまったからだ。いつ帰ってくるかもわからない夫のことは気にかかるけれど、生活していかなければならないし、月乃湯を当てにしているご近所さんの要望もある。かなえはパートのおばちゃん(中村久美)の手を借り、人手不足のまま月乃湯を再び開業することになる。

そこに現れたのが堀(井浦新)という男だ。彼は銭湯組合の紹介でやってきたのだという。かなえとしてはボイラー技士の免許も持っている堀の存在はありがたいけれど、先のことが見えない状況ということもある。かなえの躊躇をよそに、堀はすぐにでも働くつもりらしく、身一つで月乃湯に来てしまったのだ。そんなわけで堀は住み込みで働くことになってしまい、ふたりの奇妙な共同生活が始まることになる。

本作ではそれとほぼ時を同じくして、悟の行方を探す探偵が登場することになる。かなえは悟のことを警察に相談していたけれど、事件性のない失踪というものを警察がわざわざ捜査してくれるわけもない(劇中の台詞によれば、日本では年間8万5千人が失踪しているとのこと)。

そんな時、かなえは偶然にかつての同級生・管野(江口のりこ)と再会する。その管野が紹介してくれたのが、キャラが強めの探偵・山崎(リリー・フランキー)だったのだ。初めて待ち合わせた喫茶店でサングラスをかけて眠りこけている山崎の風貌はとても優秀な探偵とは見えないのだけれど、実際の彼はキレ者らしく、彼の調査によってかなえも知らなかった悟の姿が明らかになってくるのだ。

(C)豊田徹也/講談社 (C)2023「アンダーカレント」製作委員会

「人をわかる」ということ

かなえと山崎の最初の出会いの場面で、山崎は「人をわかるって、どういうことですか?」と疑問を投げかける。かなえはそれに対して言葉を返すことができない。

改めて問われると、結婚してしばらくの間一緒に暮らしてきた悟は、かなえに何も言わずに失踪してしまったわけで、一体彼の何をわかっていたのだろうかという気持ちにもなってくるのだ。

そして、悟が失踪してしまった後に振り返ってみると、彼が何か言おうとしていて、それでも言えないことがあった様子にも気づいてくる。だからこそ山崎のその問いかけに対して、かなえは答えに窮することになってしまうわけだ。

悟はかなえの家に婿養子に入る形で結婚したのだろう。月乃湯での悟の様子は、常連さんたちの話によく耳を傾ける好青年といった趣きだった。しかし、山崎の調査によれば、悟がかなえに話していた過去は嘘ばかりだったのだ。

好青年に見えた悟は、腹の中にかなえに言えないことを抱えていた。また、胡散臭い探偵・山崎は、実際にはキレ者だったりする。本作では「人をわかる」ということは一体どういうことなのかが問われていくことになるのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

(C)豊田徹也/講談社 (C)2023「アンダーカレント」製作委員会

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アンダーカレントとは?

「人をわかる」という言葉における“人”というのは、“他人”のことを示しているだろう。しかしながら本作では、その“人”の中には“自分”も含まれていることも示唆される。ここでも山崎の言葉が重要な役割を果たしている。

山崎はかなえとの契約が終わった後になって、悟の居所を突き止めてそのことを律儀にかなえに報告しにやってくる。かなえが「なぜそんなことまで」と訊ねると、山崎はそれに対して「人は自分のことだって、よくわからないものなんじゃないか」という趣旨のことを語るのだ。

このことがタイトルに関わってくるのだろう。“アンダーカレント”というのは「《表面の思想や感情と矛盾する》暗流」ということだ。普段は人の表面には見えていないけれど、意識の奥底に沈んでいる“何か”があるということになる。

これはフロイトが言うところの無意識のようなものだろう。フロイトは意識に現れてくる感情というものは氷山の一角のようなもので、人間の内面には表面に現れた部分よりもさらに大きいものが隠されていると考え、それを無意識と呼んだのだ。他人のことだけではなく、自分のことすらはっきりとはわからないのが人間なのだ。そして、そのことはかなえのことを見ればもっと明らかになる。

(C)豊田徹也/講談社 (C)2023「アンダーカレント」製作委員会

自分の行動に驚かされる

かなえのトラウマ

かなえはあるトラウマを抱えているけれど、それを忘れてしまっている。人の心は耐え難いことがあった時、防衛機制としてそれを抑圧してしまう。ただ、夢の中ではその抑圧が緩み、かなえの奥底にある願望が垣間見える時もある。それが彼女が首を絞められて水の中に沈められる夢だ。

この夢はかなえの幼い頃にあった事件に関わってくる。かなえの同級生だったさなえが不審者に襲われて亡くなったのだ。さなえと一緒に遊んでいたかなえはたまたま生き残り、翌日になってさなえは湖で死体となって発見される。かなえは“サバイバーズ・ギルト”と呼ばれるものを抱え、「自分のほうが死ねば良かった」と感じていて、そのことが夢の中だけに現れてきていたのだ。

しかし、かなえはなぜそんな夢を見るのか自分でもよくわからない。彼女が意識してそうしているわけではなく、彼女の心がそれを抑圧して、かなえに事件のことを忘れさせていたからだ。

ところがフロイトも論じているように、抑圧されたものは回帰してくることになる。ある事件をきっかけにかなえはそれまでは忘れていたはずの事件を思い出すことになるのだ。かなえは事件を忘れて健全なフリをして生きてきたけれど、彼女の無意識のどこかにはそのトラウマが眠っていたということなのだろう。

人は自分の行動によって、自分自身が驚かされることもある。劇中ではかなえがバーナーを譲り受けると約束していた同業者が、約束の日に自宅に放火して消えてしまう。その同業者もそんなことをはじめから意図していたわけではないのだろうが、人はそういうことをしてしまう時があるのだ。悟と堀という二人の男の行動も、自分では予想していなかったことだったようにも見えた。

悟にとっての心地よい嘘

悟は再会したかなえに対し、彼が自然に嘘をつける人間だったことを告白する。悟は人が彼に対してどんなことを望んでいるのかがわかってしまい、本当のことよりも相手が望んでいる嘘をつくようになる(「本当のことよりも、心地よい嘘がいい」)。

しかしながら、嘘はどこかで破綻することになり、そうなるとすべてを捨てて逃げ出すことになる。それでも悟は自分がなぜそんな人間になったのかということに関してはわかっていないように見えるのだ。

堀の正体

また、謎めいた堀という男は、実はかなえのトラウマの原因ともなった事件の関係者であることを最後に告白することになる。実は、堀はさなえの兄だったのだ。

堀が月乃湯にやってきたのはほとんど衝動的な行動だったようだ。そして、堀は最後までその事実を伏せて消えるつもりだったようだ。ところが消える間際に月乃湯の常連・サブ爺(康すおん)に諭されることになり翻意する。堀もやはり自分が何をどうしたいのかということについてはわかっていないのだろう。

こんなふうに本作では「人をわかる」ということは何かが問われていく。それは他人のことを簡単に理解できるものではないということと同時に、それどころか自分のことすらわかっているとは言えないんじゃないのかということでもあるのだ。そして、それは人の心の奥底にアンダーカレントと呼ばれる“何か”が存在しているからなのだろう。

(C)豊田徹也/講談社 (C)2023「アンダーカレント」製作委員会

水のイメージ

本作は静かな作品ではあるけれど、探偵が登場するミステリーでもある。なぜ悟は失踪したのか、堀という謎の男は何者なのか? そんな謎で観客を引っ張っていく。特に堀に関しては、途中までさなえを殺した犯人であるかもしれないとミスリードしている部分もあり、ちょっとハラハラさせもする。

しかしながら本作で評価すべきは水のイメージで作品が貫かれているところなんじゃないだろうか。原作にもある水に浮かぶかなえのイメージには、元ネタがあるのだそうだ。ビル・エバンスジム・ホールによる『Undercurrent』というジャズのアルバムだ。このアルバムのジャケットがまさに水に浮かんでいる女性の写真となっている。原作漫画のタイトルもここから採られているということになる。

そして、この写真はどことなくミレーの絵画『オフィーリア』を思わせる。この絵画は様々なところで引用されていて、オフィーリアを主人公とした映画『オフィーリア 奪われた王国』でも、この絵画とそっくりの場面が用意されている。

オフィーリアは川に落ちて歌を歌いながら沈んでいったとされる。この絵画はそのオフィーリアの最期を描いているわけだが、原作漫画はそれを明らかに意識しているように感じられる。水の中に沈んでいく女性のイメージが最初にあるのだ。

この映画版の『アンダーカレント』は、かなり原作に忠実に描かれているようだ。今泉監督は原作にある水のイメージを作品の底流のように据えて映画化している。

冒頭は水を張った風呂の中にかなえが沈んでいく場面となっているし、月乃湯の近くには川が流れていて、その川はエンディングをも占めることになる。

また、かなえのトラウマとなった出来事は、かつてその街にあった湖で起きたことであり、かなえはすでに埋め立てられて集合団地になった湖を忘れてしまう。ところがその抑圧されていたものはふとしたことから回帰し、かなえは似たような湖に遭遇することになる。

そして、悟がかなえにすべてを告白する場所は、川の水が流れ着く場所である海辺のカフェとなっているし、堀がかなえに自らの素性を明かす時には突然の涙が彼を襲うことになる。水のイメージによって統一感を持ってまとめられているのだ。

本作は今泉監督のオリジナル作品ではないため、今泉オリジナル作品のようなテイストには欠けるけれど、原作漫画を誠実な形で映画化しているんじゃないかと思えた。

真木よう子の主演作は久しぶりに観た気もするが、いい意味で貫禄みたいなものを感じた。井浦新の役柄は来月から公開予定の元アイドルと共同生活するコメディ映画とおぼしき『つんドル』となぜか設定が被っているけれど、本作は結構シリアスだった。そして、リリー・フランキーは脇役でありながら美味しいところをかっさらっていった感もあり。言い忘れていたけれど、細野晴臣の音楽も効果的だったと思う。

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