『恋する寄生虫』 コロナの時代の恋

日本映画

原案は三秋縋の同名小説。

監督は『UGLY』などの柿本ケンサク。ミュージックビデオの演出を多く手掛けている人とのこと。

物語

極度の潔癖症で人と関わることができずに生きてきた青年・高坂賢吾。

ある日、見知らぬ男から視線恐怖症で不登校の高校生・佐薙ひじりと友だちになって面倒をみてほしい、という奇妙な依頼を受ける。

露悪的な態度をとる佐薙に辟易していた高坂だったが、それが自分の弱さを隠すためだと気付き共感を抱くようになる。

世界の終わりを願っていたはずの孤独な2人はやがて惹かれ合い、恋に落ちていくが———。

(公式サイトより抜粋)

人を操作する寄生虫

ふたりは“ある理由”から近づけられることになるわけだが、どちらも病を抱えている点で共通している。高坂(林遣都)は両親の自殺を目にして以来、極度の潔癖症を抱え、人と触れ合うことすらできない。それは真っ当な社会生活を送ることができないほど重症だった。高坂は「あらゆるものに拒絶された存在、それが自分」だと語る。

一方の佐薙(小松菜奈)は視線恐怖症で、世界を拒絶した生きづらい日々を送っている。彼女は常にヘッドフォンをつけているが、彼女がそれで何を聴いているのかが描かれることはない。ヘッドフォンは佐薙が外界を遮断するために聴覚を塞いでいるという意味であって、それによって聴かれる音楽が問題となるわけではないからだ。

本作ではそうした病の多くに寄生虫が関わっているとされる。ふたりの強迫性障害もそれまでの成育歴などではなく、実は寄生虫が宿主である人を操作しているからということになる。たとえば日本では未だに2万人もの人が自殺しているが、それも寄生虫の仕業ということになる。そして、佐薙の母親の自殺も寄生虫が原因だとされているのだ。

(C)2021「恋する寄生虫」製作委員会

腹の虫とは?

人に寄生するサナダムシのような実在する虫もいるけれど、そうではなくとも日本語では「虫の居所が悪い」、「虫が好かない」、「虫の知らせ」なんて言葉はごく普通に使われている。日本では人は身体の中に“虫”を飼っているものとしてイメージされていたのかもしれない。

明確な理由があるわけでもないけれど何となく機嫌が悪くなったり、相手のことを嫌う理由などまったくないにも関わらず直観的に相手を嫌ってしまうこともある。「虫の知らせ」というのは、何となくよくないことが起きる感じがすることだが、自分の中の理性とは別のものがそれを感じているということだろう。これは自分の中に飼っている虫がそうさせているのであって、自分とは別の“何か”が自分を操っているかのような感覚なのだろう。しかしながら、この場合の“虫”というのは比喩である。

だから本作の寄生虫も実は勘違いみたいなもので最終的には否定されるものだと予想していたのだが、それは間違いだったようだ。本作の寄生虫はあくまでも実在しているということになっている。その点が小説の実写映画化として難しいところだったのかもしれない。

(C)2021「恋する寄生虫」製作委員会

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風変りなラブストーリー

潔癖症の高坂にとっては他人と触れ合うことはバイ菌に感染することに思えるし、視線恐怖を持つ佐薙にとっては他人の目が恐ろしいものに映る。本作はそんな強迫性障害の認知の歪みを強調して描く。潔癖症の高坂は手でこねたハンバーグからワームのような虫が湧いているように感じているし、視線恐怖症の佐薙には他人の目がティム・バートン『ビッグ・アイズ』のような極端なギョロ目に見えてしまう。

現実はそうなってはいないけれど、強迫性障害を抱えた人にはそんなふうにグロテスクに見えるということだ。ただ、そのグロテスクさはあくまでポップな感じに抑えられている。ラブストーリーとして、ターゲットとなる若い女性にも受け入れやすいようにしているということなのだろう。

一方で実在である寄生虫がどんなふうに描かれるのかと言えば、CGでできたイメージだけだ。しかし、その寄生虫が宿主である人間を操っているというのが本作の設定なのだ。

この寄生虫は別の寄生虫を持った宿主を引き寄せることになるという。ふたりが恋に落ちるのも、寄生虫の仕業ということになる。ところがその寄生虫がまったくリアルなものとして感じられないものだから、寄生虫を実在だと語る佐薙の祖父・瓜実(石橋凌)や和泉(井浦新)たちの行動もいまひとつピンと来ない。瓜実たちはふたりの寄生虫を近づけ成長させることで、それを外科手術によって取り除く計画を立て、実際にそれを実行する。

本作がもともとの原作小説を“原案”として扱っているというのも、寄生虫の働きを台詞で延々と説明して陳腐化するのを避けるために、映画独自の展開を選択したからなのだろう。だから寄生虫が実際にどんな働きをするのかといった部分は曖昧なまま終わっているようにも思えた。製作陣としてはごちゃごちゃ説明するよりも、寄生虫を媒介とした風変りなラブストーリーとして成立すればいいと判断したのかもしれない。その意味ではぼんやりとしている部分も多いけれど、ラストは意外なハッピーエンドとなっていて映画としては何となく丸く収まっている感じもする。

(C)2021「恋する寄生虫」製作委員会

コロナの時代の恋

ふたりは強迫性障害のせいで世界から拒絶され、世界を拒絶していた。真っ当な社会生活を営むことができない不適格者だ。しかし、ふたりは寄生虫のおかげて恋に落ち、ふたりが一緒になることでようやく一人前になる。劇中で語られるフタゴムシのように。フタゴムシは雌雄同体でありながら、つがいを探し、一度くっついたら一生一体のまま暮らすのだという。

高坂はマスクに手袋という格好で見えない菌を避けようとし、佐薙はヘッドフォンで常に外界を遮断して人の視線を避けるようにする。そんなふたりだからごく普通に喫茶店に入り、店員と会話をし、商品を注文する、そうしたことすら難しい。ふたりはそんなごく普通のことにチャレンジし、少しずつ克服してくことになる。ふたりにとっては普通になることが一番の望みなのだ。小説『恋する寄生虫』は漫画化もされ、大いに若者の共感を得ているようだ。若者はそんな慎ましやかなふたりの姿に共感しているのだろうか。

私にとってふたりの姿は、コロナ後の世界のリハビリの姿を見ているようでもあった。コロナ禍では人との接触は憚られる。それがもう2年も続いているわけで、コロナによる強制的引きこもり状態と言える。そうした状況は、それまで何とか社会生活を営んでいた人をも一時的に社会と断絶させ、コミュニケーション不全の人を増やすだろうことは想像に難くない。元のような生活に戻ることがかえってストレスになる状況が予想されるのだ。

そんなわけで本作のふたりが普通になるために行うリハビリは、われわれがこれまでの生活を取り戻すためのリハビリの姿にも見えてくるのだ。そんな意味では、そう遠くない未来を描いたタイムリーな作品なのかもしれないとも思えた。

(C)2021「恋する寄生虫」製作委員会

この映画とは直接関係ないけれど、『恋する寄生虫』の主演である小松菜奈菅田将暉と結婚したことが先日発表された。何はともあれ、おめでたいことだ。

小松菜奈と菅田将暉の共演作は3作品ある。『ディストラクション・ベイビーズ』と『溺れるナイフ』と『糸』だ。この中で一番よかったのは『溺れるナイフ』なんじゃないだろうか。公開時の評判はあまりよくなかったけれど、後になってもう一度観た時にはもっと評価すべき映画だったと個人的には思えた。この作品ではふたりとも吹っ切れた演技をしていたし、それが自然なくらいテンションの高い作品だった。

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