『不死身ラヴァーズ』 見上愛を全肯定する

日本映画

原作は高木ユーナの同名マンガ。

監督は『ちょっと思い出しただけ』などの松居大悟

主演は『衝動』などの見上愛

物語

長谷部りのは、幼い頃に“運命の相手”甲野じゅんに出逢い、忘れられないでいた。中学生になったりのは、遂にじゅんと再会する。後輩で陸上選手の彼に「好き」と想いをぶつけ続け、やっと両思いになった。でも、その瞬間、彼は消えてしまった。まるでこの世の中に存在しなかったように、誰もじゅんのことを覚えていないという。だけど、高校の軽音楽部の先輩として、車椅子に乗った男性として、バイト先の店主として、甲野じゅんは別人になって何度も彼女の前に現れた。その度に、りのは恋に落ち、全力で想いを伝えていく。どこまでもまっすぐなりのの「好き」が起こす奇跡の結末とは――。

(公式サイトより抜粋)

両想いになったら消える?

不思議な設定の映画だ。両想いになると相手が消えてしまう。これはどういう意味なんだろうか?

長谷部りの(見上愛みかみあい)にとっての最初の甲野じゅんは、幼い頃に死にかけていた彼女のことを生き返らせてくれた少年だ。それから久しぶりに再会したのが中学校で、長谷部は甲野(佐藤寛太)のことにすぐに気がつくことになる。

甲野は陸上競技をしているちょっと不良っぽい後輩で、長谷部はかなり強引なやり方で甲野に近づくことになる。そして、二人は両想いになるのだが、その瞬間に甲野はなぜか消え去ってしまう。しかも、甲野が消えた後には、誰も甲野の存在を覚えてすらいないのだ。

そうした不思議な現象は繰り返される。高校では軽音楽部の先輩の甲野が登場し、車椅子に乗った甲野も現れる。バイト先のクリーニング屋の店主の甲野も登場する。これらの甲野は年齢や背景も異なるはずなのに、なぜか同じ顔をしている。それでもすべて展開は同じで、両想いになった瞬間に甲野は消えてしまうのだ。

©2024「不死身ラヴァーズ」製作委員会 ©高木ユーナ/講談社

見上愛の魅力

なぜ両想いになると甲野は消えてしまうのか。そして、甲野はなぜ何度も別人として長谷部の前に現れるのか。そんな謎が物語を牽引していくことになる。

ちなみに原作マンガは男女が逆転しているのだとか。つまりは甲野が長谷部に恋をし、両想いになると長谷部が消えてしまうという設定だったのだ。それを松居大悟監督は男女逆転させ、長谷部が甲野に恋する形に変更している。これは長谷部を演じた見上愛が一途に甲野を追いかける姿がになると感じたかららしい。

確かに『不死身ラヴァーズ』の魅力は、見上愛の魅力に尽きると言えるかもしれない。長谷部は甲野に対して常に一途だ。それ以外はほとんど目に入らないと言ってもいい。なぜ甲野が好きなのかという点も「理屈はない」と開き直って常に全力で甲野に向っていくことになる。

見上愛は一点の曇りもないといった笑顔を見せ、目まぐるしく変わる表情はかわいらしい小動物といった印象でもある。それからギターでGO!GO!7188の「C7」という曲を弾き語りする場面もあり、これもうまくハマっていた(歌詞が長谷部の気持ちそのものだった)。見上愛はバンド活動などもしていたらしく、歌もギターも経験していたということらしい。そんなわけで本作は見上愛の魅力が満載といった作品になっている。

ただ、両想いになると甲野は消えてしまうわけで、長谷部の笑顔も次第に翳りが見えてくるようになっていく。繰り返される甲野の消滅にさすがの長谷部も、両想いにならなければいいということを学んでいくことになる。

悩める長谷部の前に現れたのが、大学生の甲野だ。長谷部はそれまでとは違い、真っ直ぐにぶつかっていくことはしない。両想いになれば甲野は消えてしまうわけだから。そうして大学生の甲野と長谷部は微妙な関係を維持したまま続いていくことになるのだが……。

※ 以下、ネタバレあり! ラストにも触れているので要注意!!

©2024「不死身ラヴァーズ」製作委員会 ©高木ユーナ/講談社

スポンサーリンク

 

“好き”を全肯定する?

大学生の甲野は、実は記憶障害の持ち主ということになる。甲野は“前向性健忘”という状態で、記憶が1日しかもたないのだ。寝てしまうと次の日には、すっかり記憶が失われてしまう。だから彼とは友達になることも難しい。彼にとっては誰もが初めて会う人ということになるからだ。

それでもなぜかこの大学生の甲野が、長谷部の“運命の相手”ということになるのだろう。本作のキャッチコピーは「“好き”を全肯定する、無防備なラブストーリー」というものだ。しかし実際に肯定しているのは、大学生の甲野との関係ということになる。

通常の恋愛が両想いになることがゴールとするならば、前向性健忘を抱えた甲野と長谷部の関係は、いつまでもゴールにたどり着かないことになってしまう。

それでも長谷部はそんな記憶障害を抱えた甲野との関係を全肯定することになる。過去を持つことのない甲野との関係を肯定するには、今日という日を生きることを肯定しなければならない。そのことが長谷部自身の過去の記憶を改ざんする結果になったということらしい。

©2024「不死身ラヴァーズ」製作委員会 ©高木ユーナ/講談社

どう解釈すればいい?

つまりは甲野じゅんのオリジナルは、大学生の時に出会った記憶障害のある甲野であり、それ以外は別人だったのだ。にも関わらず長谷部は別人の記憶すらも、甲野の存在で書き換えるという操作をしていたということになる。それらの別人との関係は様々だったようだが、その関係が終わることを「両想い」というゴールにし、そこにたどり着いた瞬間にその存在まで消してしまったということになる。

記憶障害を題材にした映画はいくつもあるけれど、『50回目のファーストキス』『今夜、世界からこの恋が消えても』などでは、記憶障害を持つ人の記憶が改ざんされることになった。これは記憶障害があるからこそ、記憶の改ざんが容易になるということでもある(ノートなどに記録しておかないと過去は失われてしまう)。『メメント』『リピーテッド』などでは、それを悪用しようという悪い奴が登場することになる。

しかしながら『不死身ラヴァーズ』の場合は、記憶に障害のある甲野ではなく、長谷部のほうが記憶の改ざんを行っている。この点が今ひとつ腑に落ちない感覚になってしまっているような気もした(涙ぐましい努力と理解するべきなのだろうか)。

映画版で記憶を改ざんする長谷部は女性であるわけで、「男はフォルダ保存で、女は上書き保存」という俗説を思わせなくもない。それでも都合よく顔だけ改ざんすることを「上書き保存」とは言わないような気もして、どう解釈すればいいのかよくわからないのだ。そんなわけでラストがすんなりとは入ってこない部分があったことは否めないわけだけれど、エネルギッシュな見上愛はやはり魅力的だったと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました