『ペナルティループ』 質問禁止、他言無用

日本映画

監督・脚本は『人数の町』などの荒木伸二

主演は『街の上で』などの若葉竜也『新宿スワン』などの伊勢谷友介の久しぶりの復帰作でもある。

物語

岩森淳が朝6時に目覚めると、時計からいつもの声が聞こえてくる。岩森は身支度をして家を出て、最愛の恋人・砂原唯を殺めた溝口登を殺害し、疲労困憊で眠りにつく。翌朝目覚めると周囲の様子は昨日のままで、溝口もなぜか生きている。そしてまた今日も、岩森は復讐を繰り返していく——。

(公式サイトより抜粋)

何のためのループ?

主人公の岩森(若葉竜也)は6月6日の朝6時に目を覚ますと、職場に行きターゲットの溝口(伊勢谷友介)を殺すことになる。夜になってようやく死体を処理して眠りにつくと、次の日の朝になるはずが、なぜかまた6月6日に逆戻りしている。そんな設定の“ループもの”だ。

岩森は最初のループで予定通りに溝口を殺すわけだが、なぜか次の日は来ない。再び6月6日がやってきて、同じことを繰り返すことになる。岩森はそのことを不思議に思いつつも、再び溝口を殺すのだ。

通常の“ループもの”の設定だと、ループしている主人公以外は毎回同じ行動を繰り返すことになるわけだが、本作ではちょっと違っている。岩森の行動とはまったく関わりなくとも、溝口は前回と別の行動をしたりもするし、さらにループの回数を重ねてくると、溝口までもループしていることに気づいていくことになるのだ。

『ハッピー・デス・デイ』の場合は、主人公が誰かに殺される日をループしたわけだが、本作はその逆のパターンということになる。こうした“ループもの”というのは一種のゲームみたいなもので、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』『コンティニュー』みたいに、最終的な目的に向って少しずつ主人公が成長していくことになるものが多いなかで、『ペナルティループ』の場合は岩森が溝口を殺すという目的は最初からクリアしているわけで、一体何のためにループしているのかということになる。

Ⓒ『ペナルティループ』FILM PARTNERS

繰り返される復讐劇

岩森が溝口を殺すのには、理由がある。これは岩森の回想として説明されることになる。それによれば溝口は岩森の恋人である唯(山下リオ)を殺した憎き敵ということになる。

岩森はループの度に溝口を殺すことになる。もちろん最初は復讐にカタルシスがあったのかもしれない。憎き敵を殺し、仇討ちを果たしたことになるからだ。ただ、それが何度も繰り返されるとなると事情も変わってくる。岩森自身も復讐に飽きてきたのか、途中からは溝口を殺さなくてもいいと思うようになってくるのだ。

ところが本作のループでは、それは許されないらしい。岩森は溝口を殺すのを止めようとするものの、ループ内の何らかの力が働き、常に岩森が溝口を殺すことになる。その結末だけはまったく変わらないのだ。

おもしろいのは殺される溝口のほうも、その結末を受け入れることになるところだろう。中盤のループでは、岩森と溝口はボウリング場でボウリングに興じることになり、ふたりの間には妙な絆みたいなものが出来上がっていくことになる。それでもやはり結末は変わらないわけで、ループ内の力によって結末は同じことになる(このシークエンスはあからさまに『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』だった)。

※ 以下、ネタバレあり!

Ⓒ『ペナルティループ』FILM PARTNERS

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復讐は虚しいもの?

このループは一体何なのか? ネタバレをしてしまうと、これは「複数回の死刑」というものだったということになる。自分の大切な人を殺された遺族としては、一度だけ犯人を殺したとしても、その憤りをどうすることもできない。だとすれば何回も殺すことによって多少は憤りが収まるかもしれない。そんな考えに基づき、ある組織(というか業者)が提供しているサービスが「複数回の死刑」というものなのだ。岩森はその組織と契約を結び、10回に渡り溝口を殺すことになるのだ。

もちろん同じ人を何度も殺せるわけではない。人は一度しか死ねないからだ。しかしこの組織は「複数回の死刑」を実現させてくれる。実は、岩森が体験していたものは一種のヴァーチャル・リアリティということになる。『マトリックス』のそれのように、まるで現実であるかのようなヴァーチャル・リアリティを見せられていたということになる。ジン・デヨンが演じていた謎の男は、ヴァーチャル・リアリティ内でそれを監視する役目なのだろう。

ただ、これだけでは一種の“夢オチ”となってしまうし、「復讐は虚しいもの」だと体験させ、バカな考えを止めさせるという麗しくて真っ当な話になってしまう。どうも本作はそんな話ではない気もする。というのは、本作ではループの中で死刑囚である溝口までもが救われているようにも見えるからだ。「復讐は虚しいもの」だという説教であるならば、殺される溝口のことはどうだっていいはずなのだが、本作では溝口にループの最後の回に大樹の絵を描かせたりしているのだ。では本作は、一体何を狙っているのだろうか?

Ⓒ『ペナルティループ』FILM PARTNERS

質問禁止、他言無用

岩森は恋人の唯を殺されたために、その実行犯である溝口を殺すことを決断した。しかし、本作で描かれる唯殺害の一幕は、溝口が単なる実行犯でしかないことを示している。溝口は誰かに依頼されて唯を殺しただけなのだ。本当に復讐を目指すならば、なぜ溝口が唯を殺したのかという点を知ろうとするはずだし、依頼主がいるならばそちらをターゲットにするべきなのだが、岩森はなぜかそこについては無視しているのだ。

ちなみに唯という女性は謎めいた女性だ。岩森はある時、海岸であやしげな書類を燃やしている唯と出会うことになる。唯が一体何をしているのかは謎のままに終わる。唯は「質問禁止、他言無用」と岩森を突っぱね、決して秘密を明かすことはないからだ。

溝口は最後のループとなった時に、岩森に言おうとして言えなかったことを告白することになるのだが、それによれば唯は殺されることを望んでいたのだという。そして、その唯の姿は岩森に殺されるのを理解しながらも、彼に協力的に振舞っている溝口の姿とも重なってくるだろう。

以下、かなり抽象的で曖昧な言い方になるけれど、本作は高度に管理化された社会における自由についての物語だったのかもしれないとも思えた。岩森が冒頭近くで逃した天道虫は、そんなよくわからない世界へと迷い込んでしまった人間そのものだったのかもしれない。

本作と同様にオリジナル脚本だった前作『人数の町』で描かれた世界も、現実世界を戯画化したものだった。荒木伸二監督にとっては現実世界は何かしらコントロールされた世界であり、逃れることができない不自由な世界と感じられているのかもしれない。

『人数の町』も『ペナルティループ』も結構変な映画だ。おもしろかったかと言われれば微妙な気もする。それでも設定にはおもしろいところがあるし、それ以上に「なぜこんな映画を作ろうと思ったのだろうか」という疑問も湧いてくる。監督の頭の中を覗いてみたいような気にもなるのだが、どうも監督自身は「質問禁止」と言っているようでもあり、わかる人にわかればいいと考えているようでもある。そんなわけでわからないなりに勝手なことを書いてみたわけだけれど、それに対しても「他言無用」と言われそうな気もする。

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