『PERFECT DAYS』 知っているからこそ

外国映画

『ベルリン・天使の詩』などのヴィム・ヴェンダースの最新作。

主演は『すばらしき世界』などの役所広司で、カンヌ国際映画祭では主演男優賞を獲得することになった。

物語

東京・渋谷でトイレ清掃員として働く平山(役所広司)は、静かに淡々とした日々を生きていた。
同じ時間に目覚め、同じように支度をし、同じように働いた。その毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれないが、同じ日は1日としてなく、男は毎日を新しい日として生きていた。
その生き方は美しくすらあった。男は木々を愛していた。木々がつくる木漏れ日に目を細めた。
そんな男の日々に思いがけない出来事がおきる。それが男の過去を小さく揺らした。

(公式サイトより抜粋)

清掃員の平凡な日常

『PERFECT DAYS』は、役所広司が演じる平山の1日を追っていく映画だ。平山はただのトイレの清掃員で、そんな男の平凡な日常が描かれていく。しかし、本作においてはそんな1日は「パーフェクト・デイ」とされることになる。

ヴェンダースは過去作品でも、ルー・リードの名曲「パーフェクト・デイ」を使用している。『アランフエスの麗しき日々』でもすでに「パーフェクト・デイ」を流しているのだ(ヴェンダースのすべての作品を観たわけではないけれど)。

『アランフエスの麗しき日々』の舞台とされているのは、かつての大女優サラ・ベルナールが住んでいたとされるパリ郊外の家だ。そこには緑豊かな大きな庭があり、遠くにパリを望む美しい風景がある。「パーフェクト・デイ」という曲にはそんな舞台のほうが相応しいような気もする。

ところが本作ではまったく似ても似つかない清掃員の1日が「パーフェクト・デイ」とされる。『PERFECT DAYS』において、ルー・リードの「パーフェクト・デイ」は二度流されることになる。

一度目は平山が清掃道具を積んだ車で首都高を走っていく場面だ。かつてタルコフスキー『惑星ソラリス』で、首都高の無機質さを近未来の世界として自分の作品に取り込んでいたわけだが、本作ではそんな無機質な風景をバックにして「パーフェクト・デイ」が流される。

そして、二度目は休日の平山が畳の部屋に横たわる場面だった。確かにのんびりとした雰囲気はあるし、少しだけ開かれた窓からは外の景色も垣間見える。それでも美しい風景とは言い難いわけで、言ってみれば殺風景な部屋をバックにして再び「パーフェクト・デイ」が流されるのだ。なぜ、清掃員の平凡な1日が「パーフェクト・デイ」とされるのか?

©2023 MASTER MIND Ltd.

寸分違わぬルーティーン

朝、近所の誰かが道路を掃く音で平山は目覚める。顔を洗い、植木に水をやり、つなぎに着替えると仕事に出かける。まだ、薄っすらと暗い時間だ。そして、平山は玄関を出ると、空を見上げる。

朝ごはんは自動販売機の缶コーヒーだ。平山はそれを買うと、車に乗り込む前にフタを開け、運転席に腰を落ちつけてから一口飲む。そして、軽く息を吐いて車をスタートさせる。そんなふうに朝はスタートするわけだが、この朝のシーンは次の日もほぼ同じリズムで繰り返されることになる。

平山の生活はすべてルーティーン化されている。寸分違わぬほどの正確さだ。しかしながらそれでいて、毎日は違っている。昼休みには神社の境内でサンドイッチを食べるのだが、平山は境内にある大きな木をいつも眺めている。そして、常に持ち歩いているカメラで木漏れ日を撮影することになる。同じ場所の木漏れ日を毎日撮影し、それを記録しているのだ。決まり切った毎日だけれど、毎日新しい発見があるのだ。

平日は仕事を終えると銭湯へ行き、浅草駅地下の居酒屋でいつもの焼酎で一杯やる。それから文庫本を読みながら寝落ちする。休日には別のルーティーンがある。コインランドリーでつなぎを洗濯し、フィルムを現像し出来上がった写真を選別する。夜にはお気に入りのママ(石川さゆり)がいる居酒屋に赴く。すべてはルーティーンとなっていて、その中にいることがとても心地いい作品なのだ。

われわれは日々の生活の中で空を見上げることがあるだろうか。平山は毎日変わりない生活をしているようでいて、日々の違いを如実に感じているし、周囲の些細なことに目を向ける余裕もある。平山の日々は「完璧な1日」の連なりとなっているのだ。

©2023 MASTER MIND Ltd.

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完璧さの崩壊

平穏で単調な毎日。それが心地よい。そんな映画だ。しかし、それが崩れる映画でもある。平山が「パーフェクト・デイ」の音楽に浸っていられるのは、自分の世界に閉じこもっているからとも言えるのかもしれない。

平山の過去は一切説明されることはない。モノクロ映像で描かれる場面は、平山の過去なのかもしれないけれど、それが具体的な意味を成すことはない。

それでも平山にどんな過去があったのか推測できる部分もある。かつてはいいところのお坊ちゃまだったのだろう。妹(麻生祐未)の姿を見ているとそんな気もしてくる。「本当に清掃員の仕事をしているの?」という妹の言葉は、そんな職業に対する差別的な視線が感じられると同時に、「あの兄がなぜ?」という戸惑いみたいなものも感じさせる。

かつてのお坊ちゃま平山は今では清掃員という仕事を選んでいる。それでも平山は自分の仕事や生活を卑下しているわけではない。むしろ誇りを抱いていると言ってもいい。どこかでそれまでとは別の価値観を持つことになったということなのだろう。平山はいつも見かけるホームレスの男(田中泯)の振る舞いを密かに崇めているようでもあるのだ。

ただ、平山のそんな生活は他者との関係を最低限のものにしているから成り立つものでもある。同僚のタカシ(柄本時生)の仕事に対する投げやりな態度にはイヤな顔をする時もあるけれど、それに対して積極的には口出ししないのもそういう意味だろう。

そんな平山が劇中で一度だけ声を荒げる場面がある。タカシが突然仕事を辞めてしまったために、自分のパーフェクトなルーティーンが崩れることになったからだろう。本作では前半の単調な日々が、何人かの闖入者によって乱されていく。ひとりはタカシの意中の人であるアヤ(アオイヤマダ)であり、ひとりは姪のニコ(中野有紗)であり、さらには居酒屋のママの元夫(三浦友和)ということになる。

平山が「PERFECT DAYS」を過ごせるのは、そんなふうに自分の世界に閉じこもっているからで、それが崩壊すれば安穏とはしていられないのだ。

©2023 MASTER MIND Ltd.

知っているからこそ

平山は毎日空を見上げる。静かだけれど、とても豊かな生活がある。そんなふうに生きられたらいいとも思うかもしれない。主演の役所広司の演技ももちろん素晴らしかったし、そんな意味では本作は文句のつけようがない作品だ。

使用される音楽もいい。アニマルズにルー・リード、パティ・スミス、ヴァン・モリソン、そして最後に流れるニーナ・シモンなどなど、名曲の数々を聴かせてくれる。本作の感想を読むと、絶賛の声が相次いでいる。そして、私自身もそれに賛同したい気持ちもあるのだけれど、それでも何だか気になるところもある。

というのは、本作が日本の「THE TOKYO TOILET」の宣伝から始まっているというところだ。もともとは宣伝用の短編を依頼したはずが、ヴェンダースの興が乗ってきて本作に結実したということらしい。

「THE TOKYO TOILET」というプロジェクトの詳細はよく知らないけれど、「おもてなし」というキーワードが使われたりしているところからすると、外国人観光客からの視線を意識しているのかもしれない。

本作に描かれるトイレはとても清潔だけれど、実際の公衆トイレがあんな状態であるはずもない。もしかしたらこのプロジェクトのトイレだけはそうなのかもしれないけれど、その維持にはそれなりのコストがかかっているということは間違いないだろう。そんなことを知ってしまうと、どこかで一部の外面だけを取り繕っているような感覚も抱いてしまうのだ。

日常の些細なところに感動を見出す。そんなところはジャームッシュの『パターソン』と似ている部分がある。ただ、ふたつの作品には違いもあって、それを端的に言えば『PERFECT DAYS』のほうは日本が舞台となっているということだ。アメリカを舞台にした『パターソン』ならば、その実像を知らないから素直に映画の中に浸ることができる。一方で、日本が舞台になっていると多少なりとも現状を知っているためにそうはいかないわけで、そこが本作の心地よさに浸りきれない要因となっている気もした。

それから『パターソン』の場合は、主人公がその日常を脅かされることはなかったように記憶しているけれど、『PERFECT DAYS』の場合は闖入者によってそれが脅かされることになる。平山はどこかで無理をしている部分があるのだろう。自分の世界に閉じこもることでようやく維持できる脆い平穏ということかもしれない。

ラストの平山の涙はそのあたりに関わってくるもののようにも感じられた。「こんなふうに生きていけたなら」というのが本作のキャッチコピーだけれど、それを素直に受け取れないのは、私自身が自分の世界に閉じこもっているからとも言える。そして、それはそんなにいいものではない気もするわけで、だから余計に本作に耽溺できなかったのかもしれない。

コメント

  1. いち より:

    私も本日観てパターソンを思い出したので、ついコメントさせていただきました(笑)
    様々な方の感想に目を通して最後の涙の理由を考えていましたが、私は複雑な感情だと感じました。平山は穏やかで几帳面な性格ですが、心の奥底に何か蓋をして、暗い影を抱えながら生きているように思います(夢の不穏な演出からもそういったものを感じ取りました)。自分を保つためのルーティンが乱れる出来事が立て続けに起こった上、美しい景色や音楽がトリガーになって長年抑えていたものが表に出てきたのではないでしょうか。私は蓋をしていた過去の辛い出来事、後悔、諦めなどの感情と向き合い、前を向こうとしている涙という印象でした。色々な感じ方ができる映画でしたね。長文失礼致しました。

    • nick nick より:

      丁寧なコメントをいただきありがとうございます。

      まさに「色々な感じ方ができる映画でした」ね。ラストはそれなりの長回しで平山の顔を捉え続けていましたが、涙もあるものの、同時にちょっとほほ笑んでいるようにも見えました。それだけにそれこそ「複雑な感情」が蠢いているということだったのだろうと思います。
      私の感想では、映画を自分のほうに引き寄せて語っていますのでちょっと悲観的だったかもしれませんが、平山自身は疎遠だった家族とも久しぶりに再会し、前向きの涙と捉えることも可能なのかもしれませんね。

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