『Shirley シャーリイ』 なぜ似た者同士に?

外国映画

監督は『空はどこにでも』などのジョセフィン・デッカー。本作は2020年製作の長編第4作とのことだが、日本での劇場公開は初めて。

マーティン・スコセッシがエグゼクティブ・プロデューサーとして関わっている。

主演は『透明人間』などのエリザベス・モス

物語

1948年、短編小説「くじ」で一大センセーションを巻き起こしたシャーリイは、女子大生行方不明事件を題材にした新作長編に取り組むもスランプに陥っていた。大学教授の夫スタンリーは引きこもって寝てばかりいるシャーリイを執筆へ向かわせようとするが上手くいかず、移住を計画している若い夫妻フレッドとローズを自宅に居候させて彼女の世話や家事を任せることに。当初は他人との共同生活を嫌がるシャーリイだったが、懲りずに自分の世話を焼くローズの姿から執筆のインスピレーションを得るようになる。一方、ローズはシャーリイの魔女的なカリスマ性にひかれ、2人の間には奇妙な絆が芽生え始める。

『映画.com』より抜粋)

実在した作家が主人公

シャーリイ・ジャクスンという人はスティーブン・キングにも影響を与えたとされるアメリカの作家とのこと。本作はそんなシャーリーを主人公にし、シャーリイが『絞首人』という長編小説を書いていく過程が追われることになる。

『Shirley シャーリイ』は著名な作家が主人公だが、私自身はその著作を読んだこともないし、作家自身のこともまったく知らない。それでも問題なく楽しめる作品になっている(もちろん『絞首人』を知っていればより一層楽しめるのだろうが)。

本作によれば、シャーリイ(エリザベス・モス)は日常の中である種のビジョンを見てしまう幻視者として描かれている。シャーリイは唐突に襲われるビジョンから、創作活動のインスピレーションを得ているのだ。そんなわけでシャーリイの目から見た世界は、現実世界と小説内世界が混じり合うような複雑な姿をしており、観客もそれに巻き込まれていくことになる。

シャーリイが描こうとしている長編は、ポーラという女子大学生の失踪事件に関わるものだ。ポーラはなぜ失踪しなければならなかったのか? シャーリイは新聞記事などを参考にし、それを小説にしようと構想を練っているのだが、なかなか結末が見えてこないまま執筆は停滞していた。

そんなスランプ状態のシャーリイの前に現れたのがローズ(オデッサ・ヤング)だ。ローズは本作のもうひとりの主人公だ。というよりは、最初はローズの視点から見たエキセントリックで異様な人物であるシャーリイが描かれるところからスタートする。

シャーリイは人嫌いで他人を寄せ付けないところがある。ローズも最初は拒否されることになるのだが、シャーリイは次第にローズと小説の中のポーラを重ねていくことになるのだ。

©2018 LAMF Shirley Inc. All Rights Reserved

お互いがお互いに

シャーリイには不思議な力がある。何かしらのビジョンを見てしまうこともそうだし、第六感も強いのか、なぜかローズが妊娠していることも言い当てることになる。だから旦那のスタンリー(マイケル・スタールバーグ)の大学では、シャーリイは魔女のように思われている。

シャーリイはタロット占いでローズのことを見ることになり、そこで突然のビジョンに襲われることになる。唐突な幻視の場面は、何が描かれているのかは曖昧だけれど、なぜかゾクゾクするものがあった。多分、シャーリイは自分が創作として描こうとしているポーラを見たのだろうし、その姿はローズとも重なってくることになる。この段階になって初めてポーラは顔を持つ存在となるのだ(ポーラを演じるのもオデッサ・ヤング)。

ちなみに重なり合ってくるのはポーラとローズだけではない。いつの間にかにシャーリイとローズも似た者同士のようになっていく。ローズは妊娠してお腹が大きくなっていくのだが、それは不摂生な生活でだらしない身体になっているシャーリイとも重なってくるのだ。

二人の同一化は衣装でも示されている。最初に白い服装で登場したのはローズで、赤い服装で彼女を出迎えたのがシャーリイだった。それがキノコを食べるシーンでは逆転している。これに対してジョセフィン・デッカー監督は「お互いがお互いになっていく」という言い方をしているわけだが、二人が似た者同士のようになっていくということだろう。

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4人の関係性の変化

本作ではシャーリイとスタンリーという夫婦の家に、ローズとフレッド(ローガン・ラーマン)という若夫婦が居候することになる。最初の組み合わせとしては、二組の夫婦がいるという印象だ。世間的な評価も獲得している作家シャーリイと、大学教授でもあるその夫スタンリーという夫婦に対し、まだ何も成し遂げていない若夫婦だ。

ところがスランプに陥って家にこもっているシャーリイの面倒を見させようというスタンリーの企みから、ローズが家に残って家事全般をこなすことになると、次第に関係性は変化していく。家に残る女たちと、大学に行って不在の男たちという組み合わせになっていく。4人の組み合わせが変わってくるように感じられるのだ。

この間にシャーリイとローズは親密になっていき、次第に同性愛的な雰囲気すら醸し出してくることになる(どこまでが現実なのかは曖昧なのだが)。その頃、不在の男たちは何をしているのかと言えば、外で浮気をしているのだ。ローズはそのことにまったく気づかないけれど、魔女であるシャーリイはそれを知っている。

こうして本作では抑圧的な男たちの社会と、それに苦しめられる女たちの姿が浮かび上がってくることになる。

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残酷すぎる世の中

シャーリイは世間的にも評価されている作家だが、生活能力は皆無で、スタンリーがいるから何とか生きている側面もある。そのスタンリーはシャーリイの才能を認めているけれど、それと同時に彼女を自分がコントロールすべき存在とも考えているようだ。スタンリーはシャーリイの庇護者でもあるけれど、抑圧者でもあるのだ(スタンリーは弟子のフレッドに対しても抑圧的に振る舞うこともある)。

また、ローズは夫のフレッドのことを疑ってはいなかったけれど、彼は「シェイクスピア同好会」などという名目で女学生たちと羽目を外していたらしい。彼の出世のためにイヤだった居候も我慢していたローズとしては、耐え難い裏切りということになる。

さらには、失踪したポーラもそういう立場にあったことが明らかになっていく。彼女は大学の関係者の子供を身籠り、堕胎したことも幻視されることになるのだ。そうした出来事がポーラを失踪へと追い込んでいったということになる。

シャーリイはローズの協力もあってそんなポーラの姿を発見する。シャーリイはスタンリーとの口論の中で、ポーラのような不可視の存在について語っていた。ポーラは誰からも注目されない孤独な女の子で、失踪したことで初めて人にその存在を知られたのだ。そして、そんな女の子は自分自身でもあるということもわかっていたから、シャーリイはそれに気づかないスタンリーに苛立ったのだろう。そんな女の子のために『絞首人』は書かれる必要性があると、シャーリイは考えたのだ。

多かれ少なかれ女性たちは抑圧的な男性社会に苦しんでいる。だからこそシャーリイもローズもポーラも似た者同士ということになる。結局、シャーリイがローズに告げた言葉が重く響いてくる。「この世は女の子には残酷すぎる」というのだ。

ラスト近くで崖の上に踏み止まってシャーリイとローズが仁王立ちになるシーンが印象的だが、これには別バージョンもある。踏み止まれる人とそうでない人がいるということなのだろう。ラストでスタンリーと踊るシャーリイの姿は踏み止まった側にいるわけだが、もちろん踊り出したいような気持ちになっているわけではなさそうだ。

『帰らない日曜日』で脱ぎっぷりのいいところを見せていたオデッサ・ヤングは、今回も控えめながらそういう見せ場もあるのだが、やはりインパクトがあったのはエリザベス・モスだろう。『透明人間』でも精神を病んでいるような役柄だったが、本作のシャーリイの人を寄せ付けないイヤな感じも堂に入っていたし、弱さを垣間見させる変化もうまかったと思う。

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