『小さき麦の花』 恋愛ではなくて?

外国映画

監督・脚本は『僕たちの家に帰ろう』などのリー・ルイジュン

ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作品。

日本では今年2月に劇場公開され、11月3日にソフト化された。

原題は「隠入塵煙」で、英語のタイトルは「Return to Dust」。

物語

2011年、中国西北地方の農村。
貧しい農民ヨウティエ(有鉄)は、マー(馬)家の四男。
両親とふたりの兄は他界し、今は三男・ヨウトン(有銅)の家に暮らしているが、息子の結婚を心配するヨウトン夫婦にとって、ヨウティエは家族の厄介者。
一方、内気で体に障がいがあるクイイン(貴英)もまた厄介者だった。
互いに家族から厄介払いされるかのように、ふたりは見合い結婚、夫婦になった。

(公式サイトより抜粋)

昔ながらの農村の風景

主人公のヨウティエ(有鉄)は四男だ。家を継ぐことになっているのは三男のヨウトン(有銅)。すでに亡くなっている長男と次男の名前は“有金”と“有銀”らしい。一番目が一番大事ということなのか、兄弟の名前は金⇒銀⇒銅となり、最後が鉄ということになる。だからかどうかはわからないけれど、ヨウティエは“クズ鉄”みたいな扱いを受けているようにも見える。

一方、もうひとりの主人公のクイイン(貴英)も病気がちで子どもも産めないとされていて、しかも障害を持っている。ふたりはそれぞれの家の厄介者同士で、厄介払いされる形で周囲が結婚を決め、ふたりは夫婦となるのだ。

ほとんど会話すら交わすこともなく結婚したふたり。ふたりの生活は大地と共にある。劇中には「農民は土を離れて生きられない」という台詞もあるし、英語のタイトルは「Return to Dust」となっているように、彼らの生活は大地から始まり、大地に還っていくということになるのだろう。

舞台は2011年だ。周囲には高級外車に乗っている人もいるし、スマホを使っている人もいる。現代的な生活をしている人がいる一方で、ふたりの生活はそんなものとは無縁だ。未だに昔ながらの生活をしているし、ロバや鶏などの動物たちと一緒に暮らしているのだ。本作はそんなふたりの生活を丹念に描いていくことになる。

(C)2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved.

恋愛ではなくて?

本作を観ながら思い浮べていたのは『木靴の樹』(エルマンノ・オルミ監督)のことだ。『木靴の樹』はイタリアの農村を舞台にした作品で、出演者はすべて実際の農民たちだった。『小さき麦の花』もそれとよく似ている。クイインを演じたハイ・チンは中国では「国民の嫁」などと呼ばれる有名女優のようだが、そのほかの出演者は素人らしい。ヨウティエ役のウー・レンリンリー・ルイジュン監督の叔父さんで、実際に農民として暮らしている人ということだ。だから田舎での生活の姿や農作業の様子がごく自然なものとして感じられたと思う。

『木靴の樹』も農民の生活を描いた作品だったが、『小さき麦の花』の場合はさらにヨウティエとクイインの“ラブストーリー”の要素が加わっているとも言えるかもしれない。“ラブストーリー”と言っても、恋愛の高揚感があるわけではない。ふたりはただ生活していくだけだ。しかも、その生活はかなり貧しい。それでも助け合って生きている。

そこにはいつくしみのようなものがある。そんなふうに言うと宗教じみてくるとすれば、単に優しさがあると言ってもいいのかもしれない。ラブストーリーと言っても、そうした言葉のほうがしっくりくるような話になっているのだ。

クイインには身体に障害があり、失禁してしまう時がある。それでもヨウティエはそれを責めることなく、クイインの身体を常に気遣っている(一度だけ声を荒げる場面もあるけれど)。逆にまた、クイインもヨウティエの身体をことになると、急に声を上げることにもなる。

そんなふたりの姿を見ている村人の女性はクイインに嫉妬する。愛されている彼女が羨ましいと言うのだ。ふたりは厄介払いで結婚させられたわけだけだけれど、そのふたりは互いを気遣い、村の誰よりも仲睦まじく幸せになっているようにも見えてくるのだ。

(C)2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved.

スポンサーリンク

 

ある種のファンタジーか?

『小さき麦の花』はヨウティエとクイインの話であると同時に、ロバの話でもあるのかもしれない。ふたりはロバを家族の一員みたいに大切に扱っている。足の悪いクイインがロバに乗るために、ヨウティエは自分の足で歩いてロバに負担をかけないようにしているのだ。

ロバは人間から色々な仕事をさせられ、こき使われることになる。ヨウティエはそんなロバに自分の姿を重ねていたのかもしれない。さらにヨウティエは自分たちのことを畑に植えている燕麦に例えたりもしている。麦が自然や人間に文句を言えるのかというのだ。麦と同じように、ヨウティエは自分に与えられた運命に従順だとも言える。

四男のヨウティエは周囲によってあちこちに引き回される身だ。結婚もそうだったし、地元の有力者のために何度も輸血に協力させられる。さらには政府が空き家を処分した者に補償金を出すと決めたことから、家を何度も移動させられることにもなる。ヨウティエとクイインはそれに従うしかない。ロバや麦が文句を言えないのと同じで、ふたりはただそれに従う。それでもふたりは互いに助け合い、そんな自分たちの人生を受け入れ、つつましく生きていくことになるのだ。

本作が中国で公開された時、公開後2カ月以上も経過してからSNS等で口コミによって話題が広がり、興行収入のトップを獲得するヒット作となったのだとか。しかも劇場に足を運んでいたのは若者たちが多かったとのこと。本作が<奇跡の映画>などと呼ばれることになったのは、本作で描かれるふたりの清貧そのものの姿が若者たちにはある種ファンタジックな存在に見えていたからなのかもしれない。

(C)2022 Qizi Films Limited, Beijing J.Q. Spring Pictures Company Limited. All Rights Reserved.

不思議なラスト

ラストはちょっと不思議な終わり方だった。ヨウティエとクイインの姿を見ていると、ふたりは密接に結びついていて、離れては生きていけない連れ合いになったようにも見える。そして、川に落ちて亡くなってしまったクイインのことを想い、ヨウティエが後追い自殺をしたようにも見えなくもない描写もある。クサい言い方をすれば、ヨウティエが“永遠の愛”に殉じたかのようにも見えるのだ。

ところが最後の場面では、ヨウティエとクイインが苦労してレンガから作り上げた家が潰す様子が描かれ、「ヨウティエは町で新生活か」などという台詞が語られる。ヨウティエは身の回りを整理して、町で暮らすことになったという結末とされているということだ。

このラストの場面にヨウティエは登場しない。ただ、ヨウティエが野に放してやったロバが戻ってきている様子があり、カメラはロバの上からの視点になっているようにも見える。ロバの背中にヨウティエが乗っているように見えなくもないのだ。もしそうだとしても、周囲の人間はロバに乗っているヨウティエに話しかけるわけでもないから不自然とも言える。亡くなったヨウティエの亡霊がロバと一緒に彷徨っているようにすら見えるけれど、「ヨウティエは町で新生活か」という台詞とは辻褄が合わないことになる。

とにかく不思議な終わり方なのだ。ちなみに本作は「検閲がなされた」とかいう話もあるようだ。このことに関しては、『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』の時にも書いたけれど、中国政府の検閲が入ったとしても、当局はそれを明かすことはないわけで、実際にそうなのかどうかはわからないということになる。

本作のラストの曖昧さもそうした検閲の結果なのか、検閲対策としてなのか、そのあたりも謎ということになるわけだけれど、ヨウティエとクイインの姿が感動的なものだったことは確かと言えるかもしれない。あんなふうに生きられる人はなかなかいないだけに余計にそんなふうに思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました