監督は『ウィッチ』や『ライトハウス』などのロバート・エガース。
脚本にはロバート・エガースのほかに、『LAMB ラム』のショーンが名を連ねている。
物語
9世紀、スカンジナビア地域にある、とある島国。
若き王子アムレート(オスカー・ノヴァク)は、旅から帰還した父オーヴァンディル王(イーサン・ホーク)とともに、宮廷の道化ヘイミル(ウィレム・デフォー)の立ち会いのもと、成人の儀式を執り行っていた。しかし、儀式の直後、叔父のフィヨルニル(クレス・バング)がオーヴァンディルを殺害し、グートルン王妃(ニコール・キッドマン)を連れ去ってしまう。10歳のアムレートは殺された父の復讐と母の救出を誓い、たった一人、ボートで島を脱出する。
数年後、怒りに燃えるアムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)は、東ヨーロッパ各地で略奪を繰り返す獰猛なヴァイキング戦士の一員となっていた。ある日、スラブ族の預言者(ビョーク)と出会い、己の運命と使命を思い出した彼は、フィヨルニルがアイスランドで農場を営んでいることを知る。奴隷に変装して奴隷船に乗り込んだアムレートは、親しくなった白樺の森のオルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)の助けを借り、叔父の農場に潜り込むが…。
(公式サイトより抜粋)
神話的キャラクター?
Wikipediaの記載によれば、本作の主人公アムレートはシェークスピアの『ハムレット』の原型とされる人物なのだとか。とはいえ、本作のアムレートはネタ元とされるサクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』に書かれているアムレートとは違うようだ。実際にはかなり自由に脚色されているということなのだろう。
町山智浩はアムレートは「「生きるべきか死ぬべきか」なんて悩まない!」と指摘している。確かに成長したアムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)はヴァイキングとして生きている男であり、そんな細かいことは気にするわけもない。ヴァイキングとしてのアムレートは獣の毛皮を被り獣のように吠え、略奪行為に手を染めて、その勝利のために炎の周りで踊りまくる。まさに野獣そのものなのだ。しかしそれでいてアムレートはハムレットに似ている部分もある。
『ノースマン 導かれし復讐者』の舞台は北欧で、キリスト教はまだ異教とされている時代で、オーディンなどの北欧神話の神々が信じられている。本作には『マイティ・ソー』シリーズのようにヴァルキリーも顔を出すわけで、この世界は神話の世界と地続きの時代と言えるのだろう。
アムレートも伝説の人物らしいのだが、そんな神話の中の登場人物はただ行動あるのみで、ハムレットみたいに悩まないだろう。たとえばスサノオがヤマタノオロチを退治することを躊躇したりしないように……。
ところが本作では、復讐に向かってまっしぐらに向かうはずのアムレートが立ち止まる瞬間がある。そのあたりはちょっとだけハムレット的な葛藤を感じさせるのだ。
運命には抗えない
アムレートは叔父フィヨルニル(クレス・バング)に父親オーヴァンディル王(イーサン・ホーク)を殺され、母親グートルン王妃(ニコール・キッドマン)を略奪される。アムレート自身も命を狙われるものの、命からがら逃げ出してヴァイキングの中で生きていく。
成長したアムレートは筋肉隆々の肉体で仇討ちに備えているのかと思うと、闘いに明け暮れて野獣になり過ぎたのか、当初の目的を忘れてしまっていたらしい。
そこに預言者(ビョーク)が現れて、アムレートに大事な目的を思い出させてくれることになる。そんな意味でアムレートは神々の操り人形のように見えるし、運命に抗えない存在とも見える。
その後、アイスランドに流れ着いたらしい叔父に近づくために、アムレートは奴隷のフリをすることに。そこで同じように奴隷として囚われの身のオルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)という女性と知り合う。そして、ふたりで協力し合って復讐という目的を果たそうとする。
自我の目覚め?
しかし、そこまで仇討ちだけが行動指針であったアムレートは、母親と再会することで自分のアイデンティティを揺るがすような事態に遭遇することになる。
残虐非道な叔父フィヨルニルに殺された父親の恨みを果たし、略奪された母親を取り戻すということがアムレートの目的だった。しかし母親曰く、父王は奴隷だった母親をレイプした男であり、そんな王殺害をフィヨルニルに依頼したのは母親自身だったのだという。今までアムレートが信じてきたものが瓦解してしまうのだ。
アムレートは立ち止まって悩むことを余儀なくされる。それでもこの時、神々の操り人形だったアムレートは初めて自我というものに目覚めたようにも見え、自らの運命に抗っているようでもある。この部分では「生きるべきか死ぬべきか」と悩むハムレットに通じるものがあるだろう。
母親の告白によりアムレートは復讐をやるべきか否かを躊躇する。そして一時は、復讐を断念してオルガと二人で自由に生きていこうとする。ところがそこで神々の介入なのかはわからないけれど、オルガの身に宿った子供たちを守るという名目で、再び復讐をやり遂げることを決意する。そんなふうにして本作は復讐譚に逆戻りするのだ。
こだわりの画づくり
一直線の復讐譚にしなかったのは、古色蒼然たる復讐譚を少しは現代的なものにしたかったからかもしれないし、抗えない運命を強調したかったということかもしれない。
アムレートとフィヨルニルは、ヘルゲートと呼ばれる『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の最後の闘いのような火山地帯の中で一騎討ちをし、相対したまま共に絶命することになる。このシーンは前作『ライトハウス』の“シュールな絵画のような”瞬間をなぞっているようでもある。
冒頭から禍々しいカラスが登場し、モノクロのような曇天のシーンが続く。このあたりは『ウィッチ』でデビューして以来のロバート・エガースのこだわりの画づくりというものを感じる。本作はアクション大作などとも謳われているけれど、どちらかと言えばアクションよりも暗黒の中世世界をビジュアル化しようという美意識が勝っているんじゃないだろうか。同世代と言えるデヴィット・ロウリーの『グリーン・ナイト』とも通じるものを感じなくもない。
『ウィッチ』でデビューしたアニャ・テイラー=ジョイは本作でも重要な役割を与えられていて、その後ろ姿のヌードも絵画のように美しい瞬間として捉えられていたと思う。それだけでも十分に映画館で観る価値がある?
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