『プリシラ』 別れても好きな人?

外国映画

“キング・オブ・ロック”ことエルヴィス・プレスリーの妻となったプリシラの伝記映画。

脚本・監督は『ヴァージン・スーサイズ』などのソフィア・コッポラ

主演は『バイス』などのケイリー・スピーニー

物語

14歳のプリシラは、世界が憧れるスーパースター(エルヴィス)と出会い、恋に落ちる。彼の特別になるという夢のような現実…。やがて彼女は両親の反対を押し切って、大邸宅で一緒に暮らし始める。魅惑的な別世界に足を踏み入れたプリシラにとって、 彼の色に染まり、そばにいることが彼女のすべてだったが…。

(公式サイトより抜粋)

エルヴィスの奥様

2022年に公開されたバス・ラーマン監督の『エルヴィス』の印象がまだ記憶に新しいのだが、今度はそのエルヴィスの奥様だったプリシラの話ということになる。『エルヴィス』の場合は、スーパースターであるエルヴィスが主役であり、当然ながらプリシラは脇役となっていた。しかも語り部であるパーカー大佐から見たプリシラの役回りは、エルヴィスの奥様でありながらも、プリシラの愛は大勢のファンからの熱狂的な愛に敵わないとされてしまっていたわけで、損な役回りとなっていたとも言えるのかもしれない。

とはいえ、『プリシラ』の場合も、「プリシラ・プレスリーの伝記映画」とは言ってみたものの、やはり“エルヴィスの妻”という役割の部分を切り取っている。プリシラは現在もまだ存命していて、エルヴィス亡き後も、女優として活躍していた人らしいのだが、本作はあくまでエルヴィスの妻としてのプリシラを描いているのだ。だから本作はプリシラがエルヴィスに出会った時のことから始まり、最後はグレイスランドと呼ばれるエルヴィスの邸宅から去っていく場面で終わることになる。

そんな意味では、プリシラの伝記であるというよりは、奥様であるプリシラから見たエルヴィスの姿が描かれている映画であるとも言えるのかもしれない。

©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023

グレイスランドの内と外

エルヴィス(ジェイコブ・エロルディ)は“キング・オブ・ロック”と呼ばれた大スターだ。そんなスターと結婚することになったわけだから、プリシラ(ケイリー・スピーニー)はみんなの羨望の的ということになる。もちろん出会った頃のプリシラはエルヴィスに夢中になり、学校の授業も覚束ないほどになる。それでも結婚するとなると事情が違ってくるということかもしれない。

グレイスランドにはいつもファンが詰めかけ、エルヴィスに一瞬でも会えるのを楽しみにしている。そんなファンの女の子たちはグレイスランドのフェンスの向こう側にいて、憧れであるエルヴィスのいる夢のような世界を窺っている。限られた人しか入ることができないその場所に、プリシラはエルヴィスの特別な人として迎えられることになる。

ところが、プリシラはそんな誰もが羨むようなところにいるにも関わらず、なぜか幸せとは言い難い。エルヴィスはスターとして忙しい身で、グレイスランドを長らく空けることも多い。残されたプリシラは広いリビングにエルヴィスから贈られたペットの犬と一緒に寂しく過ごすほかない。グレイスランドはエルヴィスの取り巻きとその家族たちでいっぱいだが、特別なお客様であるプリシラはその中に入っていくことができずに孤独を抱えているのだ。

プリシラの抱えたこうした感情は、ソフィア・コッポラの作品で言えば『マリー・アントワネット』とよく似ている。オーストリアの皇女としてフランス王室へ嫁ぐことになったマリー・アントワネットは、フランスにおいてはオーストリア女と陰口を叩かれ、孤独に過ごすことになったのだ。

そして、この孤独感はソフィア・コッポラ自身が抱えたものでもある。自伝的とも言える作品であるとされる『ロスト・イン・トランスレーション』でも、同じようなテーマを扱っている。『ロスト・イン・トランスレーション』では、主人公が夫の仕事に付き添って日本に滞在した日々を描いている。せっかく日本に来たにも関わらず、夫には放っておかれ、日本語はまったくわからず、ホテルに缶詰め状態で孤独を感じていた主人公は、ソフィア・コッポラ自身をモデルにしていたのだとか。

ソフィア・コッポラにとっては、孤独を抱えた少女の姿はとても近しいものであり、だからこそプリシラという女性に興味を抱いたということなのだろう。

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意外なエルヴィスの姿

『プリシラ』では、エルヴィスの楽曲は一切使われていない。エルヴィスがピアノを弾いて歌うシーンもあったし、舞台上での空手のようなパフォーマンスも描かれるのだが、それでもエルヴィスの実際の曲は使われていないのだ。これはエルヴィス財団がエルヴィスの曲の使用を拒否したかららしい。

本作におけるエルヴィスの描かれ方が、エルヴィス財団の気に入るものではなかったらしい。主役であるプリシラ本人からの許諾はあっても、それがエルヴィスの曲を使えることになるわけではないようだ。

エルヴィス財団がお気に召さなかったのは、本作のエルヴィスがプリシラから見たエルヴィスの姿であるからだろう。エルヴィスは世間の保守的な人たちが眉を顰めるようないかがわしい存在のように見られていたかもしれないけれど、プリシラの知る普段のエルヴィスはそうではない。“キング・オブ・ロック”という商売上のイメージからすると、普段のエルヴィスは意外にも好青年ということになる(マザコン気味ではあるけれど)。

劇中では、エルヴィスは結婚するまではプリシラに決して手を出すことはなかったとされている。世間が抱いているエルヴィスのイメージと、実際のエルヴィスは異なるということであり、それはプリシラがグレイスランドの内部に迎えられたからこそわかったことなのだ。

本作の後半では、エルヴィスは些細なことで暴力的になったりするし、ある時期は精神世界の探求にのめり込んだりする。こうしたエルヴィスの唐突な変化が、エルヴィスの本当の姿を示してはいないとエルヴィス財団は考えたのかもしれない。

ただ、このエルヴィスはあくまでもプリシラから見たエルヴィスということになる。プリシラから見えたエルヴィスはそんなふうに一貫性のない意外な行動をする人に見えたということなのだろう。というのも、プリシラが知ることができるエルヴィスは、グレイスランドに帰ってきた時のエルヴィスのみということになる。下世話なゴシップ記事が書く噂などを別にすれば、仕事先でのエルヴィスがどんな問題を抱えているかなどはプリシラが知る由もないのだ(本作では『エルヴィス』における悪役とも言えるパーカー大佐が顔を出すこともない)。

たまに会うことになる夫が意外な変化を見せたとしても、それほど驚くべきことではないのかもしれない。本作のエルヴィスが突拍子もない行動をする人に見えたとしても、近くて遠い存在とも言える奥様からすればあまり不思議ではないということだったのだろう。

©The Apartment S.r.l All Rights Reserved 2023

別れても好きな人?

本作ではエルヴィスの曲が使えずとも、そのほかの懐メロをうまく使っている。エルヴィスとプリシラとの出会いは、ラモーンズの「Baby, I Love You」に合わせて描かれ、最後はドリー・パートンの「I Will Always Love You」(ホイットニー・ヒューストンも歌っていたあの有名曲)で締めることになる。

既存曲の歌詞でうまく登場人物の感情を示すというやり方は、ソフィア・コッポラがデビュー作の『ヴァージン・スーサイズ』でも使っていた手慣れた手法だ。

「I Will Always Love You」という曲は、実際にエルヴィスがプリシラに向けて歌ったことがある曲なのだとか。それは離婚を巡って法廷でのやり取りをしていた時だったようだが、エルヴィスは離婚してもプリシラのことを「ずっと愛し続ける」と感じていたということなのかもしれない。

プリシアは最後にグレイスランドを去っていく。そこに来てからはエルヴィス好みの髪型やファッションに変えられ、エルヴィスのお人形のような扱いだったプリシラだが、最後には大人になりグレイスランドから出て自立の道を望んだということだったのだろう。

プリシラは14歳でエルヴィスと出会い、28歳で離婚することになったということだ。それでも人生は長いわけで、さらにまだ続いていくことになる。本当の意味でプリシラが人生の主役になったのは、エルヴィスと別れてからなのかもしれない。

そんな意味では、女性の自立を描いた作品としては中途半端な幕切れだったような気もして、その後のプリシラがどうなったのかという点が気になった。プリシラは離婚してもプレスリー姓を名乗り続けているらしく、そのあたりは何かドロドロとしたものがありそうで、本作みたいにキレイな話にはならないのかもしれないけれど……。

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