『ONODA 一万夜を越えて』 誇りと後ろめたさ

外国映画

監督は『汚れたダイヤモンド』などのフランス人アルチュール・アラリ

“最後の日本兵”などと言われた小野田寛郎さんを題材にした作品。

最後の日本兵

残留日本兵が見つかった当時のことを知らないけれど、横井庄一さんの名前は「よっこいしょういち」のギャグと共に記憶にあった。同じ頃に日本に戻ってきた小野田寛郎ひろおさんのことも聞いたことはあったはずだけれど、詳しいことは何も知らなかった。本作鑑賞後に色々と調べてみると、特に小野田さんに関しては日本の誇りのように感じている人が多かったようだ。

二人のことを比べるのも失礼な話ではあるけれど、横井さんが長年のサバイバル生活でやつれて戻ってきたという印象だったのに対し、小野田さんは鋭い眼光を保ったままの精悍な印象で、すでに終戦から30年近く経っているというのに未だに戦争を続けている軍人に見えたからなのだろう。

「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年で、小野田さんが日本に帰ってきた1974年はすでに高度経済成長が言われていた時代だ。好景気で浮かれ騒いでいた世の中にかつての軍人がタイムスリップして現われたかのように感じられたのかもしれない。そして、その姿に「失われた何か」を見出したからこそ、小野田さんは日本人にとって誇れる存在として受け止められたということらしい。

しかし、ONODA 一万夜を越えて』は日本人の誇りである小野田さんの見たくないような側面も描いていくことになる。いくつかの部分で脚色されているところもあるようだが、それでも本作は小野田さんがフィリピンのルバング島で過ごした30年という月日を追ったものということになるだろう。そんな作品がフランス人監督によって製作されたというのは、日本にとっては不都合な事実も含まれているからなのかもしれない。だから本作を観たごく一部の人は誇りを傷つけられたと感じている人もいるようだ。

(C)bathysphere

誇りを損なうもの?

ジャングルの中で30年も生きてきたと聞くと、ロビンソン・クルーソー的なサバイバル生活をイメージしてしまうのだが、小野田少尉(青年期:遠藤雄弥/成年期:津田寛治)の場合はちょっと違っていたのかもしれない。小野田少尉は単にサバイバルしていたのではなく、戦争を続けていたのだ。

小野田少尉がルバング島に配属された時には日本はすでに敗戦濃厚で、すぐに大規模な戦闘が始まり、生き延びた兵隊たちはジャングルの奥へと逃げ込む。小野田少尉は小塚、島田、赤津という三名と、四人のグループで行動することになる。

日本においては玉音放送によって全国隅々にまで戦争の終了が知らされることになったわけだけれど、小野田少尉たちは外界と連絡する手段など何もない。無線もなければラジオも持っていなかったからだ。外界との接触を絶たれ、戦争が終わったことを知らず、いつまでもジャングルの中で戦争を続けることになってしまうのだ。

(C)bathysphere

もちろん途中で何度か戦争終結を知る機会はあった。フィリピンの現地民との戦闘になった時には「War is over.」という声を聞くもののそれを本気にはしなかった。さらに終戦から5年後には、仲間だった赤津(井之脇海)が離脱して投降する。それをきっかけに小野田少尉たちを救うために手が尽くされたのだが、それでも小野田少尉は自分たちを投降させるための罠だと解釈することになってしまうのだ。

何もないフィリピンのジャングルで生きていくことになれば、そこで採れる食糧だけで生をつなぐことは難しい。そのために小野田少尉たちは現地の住民から収穫前の米や家畜を略奪するようなこともしている。戦争のためという名目で。さらにそのためには現地の人たちを傷つけ、殺してしまうこともあったようだ。本作は小野田少尉のそんな側面についても描いているのだ。これは日本の監督が製作したとしたら憚られるところだったのかもしれない。

映画の中では描かれることはないが、日本政府は現実にフィリピン政府に賠償金を払っている。小野田少尉がしたことをわれわれが簡単に非難することはできないが、現地の人たちからすれば迷惑というだけでは済まされない問題だっただろう。そして、そんな状況に小野田少尉たちを追い込んだのは当時の日本政府であったわけで、そんな後ろめたい思いがあったからこそ賠償金を払うことになったということなのだろう。

(C)bathysphere

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どこまでが事実?

本作は実在した小野田少尉のことを描いているわけだが、一部で改変されている部分もある。監督のアルチュール・アラリはその改変によって、本作を小野田少尉の伝記的事実を描きつつも自分のモチーフへと引き寄せているところもある。その点で本作は実在した小野田さんのことを描きたかったのか、それを題材にした監督にとってのモチーフを描きたかったのかが曖昧になっているような気もする。

『キネマ旬報』(2021年10月下旬号)のインタビュー記事によると、小野田少尉に短刀を手渡したのは実際には母親だったにも関わらず、本作ではそれが父親(映画監督の諏訪敦彦が演じる)の役割になっている。また、本作で重要な役割を果たす上官の谷口少佐(イッセー尾形)は、実際には小野田少尉にあれほどの影響を与えた人物ではないということだ。

ONODA 一万夜を越えて』では、父親と谷口少佐がまったく正反対の教えを授ける。父親は「生きて虜囚の辱めを受けず」という当時の一般的な教えに沿って短刀を手渡すことになる。つまりは潔く死ねということだ。一方で小野田少尉が陸軍中野学校二俣分校で谷口少佐に教わったのは、それとはまったく逆のことだったのだ。

陸軍中野学校とは諜報機関に関する人材を育成するために作られた施設だ。終戦間近の頃にはスパイ活動よりもゲリラ戦が有効だとして、小野田少尉はそのための訓練を受けてきたとされる。そして、訓練生は「死ぬことは許されていない。何があっても生き延びることを考えろ」と教わる。どんなことをしても生き延びればそこからゲリラ戦を展開することができるからだ。

ちなみにこの“父親”と“メンター的役割の人物”という構図は、アルチュール・アラリ監督の初監督作『汚れたダイヤモンド』とも重なるものなんだとか。先ほどのインタビューではアルチュール・アラリはこんなことを語っている。「一人の人間が自分の父親から自由になろうとする。でも、自由になるためにはまたさらに強力な父性のような存在がないと、結局父親からは離れることができない」と。

本作における谷口少佐の教えは小野田少尉に強い影響を及ぼすことになる。本作はそんな意図と共に改変されているわけで、実在の小野田さんを描いたものとは別のフィクションとも言えるのかもしれない。

(C)bathysphere

「佐渡おけさ」の教え

小野田少尉はある程度は日本の状況を知っていた。捜索隊の残した新聞やラジオから情報を得ていたからだ。それでもその情報を曲解して受け取り、未だ戦争は続いていると信じ、ジャングルの中に留まった。それはなぜだったのか。本作では小野田少尉がある部分で判断を誤ったと示しているようにも感じた。

陸軍中野学校の教えの中で印象的なのが、小野田少尉が訓練生時代に谷口少佐から「佐渡おけさ」によって教えを受ける場面だ。谷口少佐は自ら「佐渡おけさ」を歌い、訓練生に対し「自分と同じようにやれ」と命令する。訓練生小野田が谷口少佐と同じ歌詞でそれを繰り返すとそれはダメ出しされる。そして、小野田が自分なりの歌詞で歌うことが正解とされるのだ。

メロディは同じでも、それぞれが自分の歌を歌えという教えなのだ。つまりは戦争についての根本部分は教えるから、あとはお前たちが自分の考えで自分なりの戦いをしろということになるのだろう。これは谷口少佐が言っていた「自分が自分の司令官になれ」という教えにもつながる。

小野田少尉たちと5年間一緒に過ごすことになったものの、途中で疑問を感じて投降することになる赤津は、隊を離れる際に「自分の好きなようにやりたいんです」などと言い残している。それに対して小野田少尉は戦争は続いていると信じジャングルに留まった。赤津は自分の司令官になったが、小野田少尉はそうなれなかったということなのかもしれない。「生き延びて友軍を待て」という命令に忠実になり過ぎ、自らの判断で戦況を見極めるという部分で間違いを犯したということを言わんとしているのだろうか。

あるいはこの部分は、実在した小野田少尉の話とは離れ、監督が興味を抱いていたモチーフへと結び付くのかもしれない。そうだとすれば、父親の支配からは逃れたけれど、別の強力な父性に絡めとられたという話として受け取るべきなのかもしれない。そのあたりの意図はちょっとわかりかねるところがあったような気もする。

とりあえず言えることは、3時間の長丁場にも関わらず、それを感じさせない濃密な時間だったということ。結局、小野田少尉を日本へと連れ戻したのは、「野生のパンダ、小野田さん、雪男に会いたい」と語る鈴木青年(仲野太賀)だったわけだが、それ以上に戦友・小塚(青年期:松浦祐也/成年期:千葉哲也)を亡くしたことが大きかったのだろう。ジャングルの中にたった独り残され、その緑と一体化したようなシーンは孤独さを強調していた。

成年期の小野田少尉を演じた津田寛治の姿は、当時の小野田少尉そっくりで驚きだった。サバイバル術に長けた島田を演じたカトウシンスケと小塚役の松浦祐也との殴り合いはあまりに壮絶で、役者陣には鬼気迫るものを感じた。

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