『No.10』 分類不能な話に翻弄される

外国映画

監督・脚本は『ボーグマン』などのアレックス・ファン・ヴァーメルダム

原題は「Nr. 10」。アレックス・ファン・ヴァーメルダムはオランダ人らしいので、この原題はオランダ語で「No.10」ということだろうか。

物語

幼少期に記憶を失い、森に捨てられ、里親に育てられたギュンター。大人になった彼は舞台役者として生計を立て、共演者と不倫、一人娘は肺がひとつしかない突然変異だった。役者仲間の裏切りによって残酷な仕打ちを受けるギュンターは復讐を誓う。だがその先に、とてつもない驚愕の事実との対峙が待っている。

(公式サイトより抜粋)

ネタバレ厳禁!

公式サイトを見ると、「ATTENTION! 本作をご鑑賞いただきましたみなさまへお願いです。」として次のような監督の言葉が掲示されている。「何も知らないというのは素晴らしいことです。実際のところ、何も知らないのが一番良いのです。」というのだ。とにかく事前に情報は入れずに観てほしいし、鑑賞後にはネタバレして感想を書くことも慎んでほしいということらしい。

タイトルの「No.10」というのは、アレックス・ファン・ヴァーメルダム監督の「第10作」というだけの意味なのだ。タイトルによって作品の中身が少しでも示されてしまうことを嫌っているということであり、観る人にどんな予断も与えたくないという強い意志すら感じさせる。

映画館に足を運ぶには何かしらの決め手があるわけで、それは何だろうか? 好きな監督の名前があるかもしれないし、好きな役者が出ているからかもしれない。しかし、そんな決め手がなかったとしても、予告編などを観てだいたいどんな映画なのかを調べ、好きなジャンルの映画を観るということはあるだろう。だから、通常ならまったく何も知らずに映画館でチケットを買うなんてことはないだろう。それでもアレックス・ファン・ヴァーメルダム監督はそうした形が理想的だと考えているのだ。

たとえば、テレビで放映している映画を何となく観始めてしまうみたいなことならあるかもしれない。何も知らずに映画を観たとしたら、先がまったく予想がつかないだろう。自分が観ている映画がどんなジャンルのものなのかも知らずに観ることになるからだ。そうした状態で映画と向き合うことが理想的なあり方だというのが、アレックス・ファン・ヴァーメルダム監督の考えということのようだ。

以下、ネタバレにならないように注意しながら、『No.10』について書いていきたいと思う。

©2021 GRANIET FILM CZAR FILM BNNVARA

一体何を観ているの?

最初は誰が主役なのかわからない。ある舞台劇の稽古をしている人たちの日常が描かれていく。マリウス(ピエール・ボクマ)という男が最初に登場するものの、彼は実際には脇役で、ギュンター(トム・デュイスペレール)が主人公ということになる。ギュンターは稽古中の舞台劇で主役を演じているのだが、その共演相手である女優(アニエック・フェイファー)と不倫関係にある。

その女優は舞台演出家であるカール(ハンス・ケスティング)の妻であり、ギュンターはかなり危なっかしいことをしているということになる。ところがこの浮気はマリウスの告げ口によって、カールにバラされてしまう。疑惑を知ったカールはギュンターを監視することになり、妻の不貞の場面を目撃することになる。

翌日からカールは「演出の一環」だと言いつつ、ギュンターの役柄をマリウスと交換することになる。これはもちろんカールによる嫌がらせであり、ギュンターは主役を降ろされる形になってしまうのだが……。

本作の前半部分はこんなふうに演劇の世界を舞台とした不倫劇となっており、昼メロにもありそうな話だ。ところが後半になるとそれは一変することになる。その展開がかなり意外なものになっている。前半と後半では映画のジャンルすら変わってしまったかのようなズレっぷりなのだ。予想の斜め上へと突き進んでいく展開に、自分が観ているものが何なのかが疑わしくなっていくところが本作の見どころと言える。

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後半のヒント

不倫劇である前半部分だが、実は後半部のヒントとなるネタがいくつも提示されている。まず、ギュンターは幼少期に森で捨てられていた人間だとされている。そして、彼には娘がいるのだが、なぜか娘のリジー(フリーダ・バーンハード)には肺が一つしかないのだという。

カールという寝取られ男はギュンターを監視することになるわけだが、実はリジーも父親ギュンターを監視している(これは父親が心配だったから)。そして、リジーがギュンターを監視してる中で、彼女は別のグループも父親を監視していることを知る。ギュンターを監視しているグループは一体何者なのか?

ギュンターは、ある朝、街中で男に声をかけられる。その男はギュンターに「カマヒ」という言葉を残す。これは彼の母国語の言葉だというのだが、彼にはその言葉の意味がわからない。ギュンターの母国とはどこなのか。ギュンターは幼少期に森に捨てられていたというのだが、それにはどんな背景があるのか?

そんな謎を孕みながら前半は進行していく。音楽を担当しているのも、監督のアレックス・ファン・ヴァーメルダムらしいのだが、その不穏な音楽もあやしさを増大させていくことになる。そして、主役を降ろされたギュンターは、浮気がバレたのにはマリウスが関わっていることを知り、本番の舞台で復讐を果たすことになるのだが……。

 ※ 以下、ややネタバレあり! 鑑賞前の方は要注意!!

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何がしたかったの?

確かに後半の展開は予想外だし、ぶっ飛んでいるとも言える。ただ、秘密にされている“あること”が明らかにされれば、それは意外でも何でもないとも言える。その“あること”が隠されているからこそ、意味不明な展開のように感じられるわけで、だからこそ本作は「ネタバレ厳禁」とされているのだ。

以下の話は、『No.10』の内容とは関係ないけれど、本作鑑賞中にこんなことがあった。私が『No.10』を鑑賞した某劇場は、休日だったにも関わらずガラガラだったのだが、ある観客が妙な行動をし出した。

映画はいよいよ佳境に入り、主人公ギュンターに重要な秘密が打ち明けられている場面だった。そんな重要な場面なのに、その観客は前のほうの座席から席を立ち、何人かの人を煩わせながらも後方の席へと移動した。これだけでもいい迷惑なのだが、その客はしばらくするとその席を立ち、もう一度前のほうの席へと戻っていった。

なぜそんなことをする必要があったのかはわからない。まったくの意味不明な行動に見える。この観客は一体何がしたかったのだろうか? 一時的に席を移動して、何らかの不都合な状況を回避したということなのだろうか。

多分、その観客に理由を問い詰めれば、それなりの理由が出てきたのかもしれない。意味不明な行動も、その理由が判明すれば「なんだ、つまらない」と納得できるようなものなのだろうと思う。

本作で秘密にされている“あること”もそんなところがある。伏せられている秘密の部分が明らかになれば、「なーんだ」という程度のものということになる。人によっては「アホか」と怒り出す人だっているかもしれないし、人によっては理由がわかってスッキリと劇場を後にする人もいるだろう。

※ 以下、さらにネタバレ!!

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もう少しだけネタバレ部分に踏み込んでみると、公式サイトには監督の言葉として、ある宣教師がアマゾンの先住民族に出会った話が掲載されている。宣教師の語るキリストの福音というものは、先住民族にはまったく意味の通じないものになる。これは宣教師が抱えている文化と、先住民族の文化がまったく異なるものであったからということになる。

本作のオチとも言える部分には、キリスト教に対する非難めいたものが含まれているけれど、それだけではないのだろうとも思う。アマゾンの先住民族にとって宣教師がまったく理解不能な存在だったように、宣教師から見た先住民族も同様ということになる。ここには絶対的な他者というものとの出会いがある。

そんなふうに「意味ありげ」に言うことも可能ではあるのだが、同時に本作はバカバカしい話でもある。ちなみにアレックス・ファン・ヴァーメルダムの出世作とされる『ボーグマン』でも、この“あること”は大前提として使われているから、『ボーグマン』についても知らずに観たほうが楽しめるかもしれない(『ボーグマン』のほうが様々な解釈ができる作品になっているかも)。

とにかく何も知らずに観て、一度はそんなバカ話に騙されてみるのも一興かもしれない。何だかんだ言っても、分類不能な話に翻弄される感覚には楽しいものがある。

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