『青いカフタンの仕立て屋』 自分らしい生あるいは死

外国映画

監督・脚本は『モロッコ、彼女たちの朝』マリヤム・トゥザニ

共同脚本はマリヤム・トゥザニの夫でもあるナビール・アユーシュ

カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞した。

物語

父から受け継いだ仕立て屋で、極上のカフタンを制作する職人のハリム。昔ながらの手仕事にこだわる夫を支えるのは、接客担当の妻ミナだ。25年間連れ添った2人に子どもはいなかった。積み上がる注文をさばくために、2人はユーセフと名乗る若い男を助手に雇う。余命わずかなミナは、芸術家肌の夫を1人残すことが気がかりだったが、筋がよく、ハリムの美意識に共鳴するユーセフの登場に嫉妬心を抱いてしまう。湧き出る感情をなだめるように、ミナは夫に甘えるようになった。ミナ、ハリム、そしてユーセフ。3人の苦悩が語られるとき、真実の愛が芽生え、運命の糸で結ばれる。

(公式サイトより抜粋)

仕立て屋の恋と夫婦愛?

カフタンというのはモロッコの民族衣装で、結婚式などのフォーマルな席には欠かせないものなのだとか。本来はすべて手縫いされる高級品なのだけれど、最近ではミシンで安く仕上げるようなものも出てきているらしい。

伝統的なカフタン作りを受け継いでいるハリム(サーレフ・バクリ)は、稼ぎよりも満足のいく仕事を優先するような男だ。それでもハリムは物静かで引っ込み思案な印象で、自分の職人気質を押し通せるほどの強さはなさそうだ。

奥さんのミナ(ルブナ・アザバル)はそんなハリムの性格を理解し、客との交渉役を買って出ている。ミナがハリムのことを守るかのように、無理強いをしてくる客の注文は突っ撥ねてしまう。ミナが表立って店をやりくりしているからこそ、ハリムは安心して職人としての仕事を全うできるのだ。

そんなふたりの店に若い男性ユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)が職人として働きにやってくる。ユーセフは手先が器用だし、積極的に学ぼうとする意志もある。ほかの若者と違ってユーセフならば、ハリムの助手となってうまく仕事をやっていけるかもしれない。そんなふうに3人の関係はスタートすることになる。

(C)Les Films du Nouveau Monde – Ali n’ Productions – Velvet Films – Snowglobe

モロッコにおけるタブー

マリヤム・トゥザニの前作『モロッコ、彼女たちの朝』では、未婚の母という存在がモロッコではタブーとなっていることが描かれていた。『青いカフタンの仕立て屋』においても、モロッコにおけるタブーが描かれている。それは同性愛ということになる。

モロッコにおいても当然ながら同性愛者はいるわけだが、モロッコでは同性愛自体が違法とされていて、3カ月から3年の禁固刑になるとのこと。日本や欧米とはそこが違うわけで、余計に表沙汰にはできないことになるのだろう。

マリヤム・トゥザニ監督のインタビューによれば、「私的な場ではオープンにできる一方、公的な場では触れていけない状況」があるということで、バレれば禁固刑だがこっそりと同性愛が育まれる場所もあるらしい。劇中では公衆浴場がそんな場所になっていて、ハリムはそこで相手を見つけ、こっそりと個室を利用したりもしているのだ。

本作はそんなハリムの秘密に加え、もうひとつの要素がある。それはミナの病だ。ミナはかつて乳ガンになったようで、乳房を片方切除している。さらに今ではガンが再発したと思われ、医者もすでに治療は諦め、モルヒネで緩和ケアをするだけになっている。つまりは遅かれ早かれミナは、ハリムを残してこの世を去ることになるのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

(C)Les Films du Nouveau Monde – Ali n’ Productions – Velvet Films – Snowglobe

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ミナからユーセフへ?

同性愛者がそれを隠すために異性と結婚するということはよくあることなのかもしれないけれど、ふたりの結婚はミナが誘ったものらしい。その時、ハリムが同性愛者であることを知っていたのかどうかはわからないけれど、ふたりの結婚は何らかの隠れ蓑のためにあったわけではないということなのだろう。

そして、ハリムは同性愛者ではあるけれど、妻のミナのことを愛している。病によってミナが店に出られないようになってくると、ハリムは仕事よりもミナと一緒にいることを望む。長年連れ添ってきたふたりには、性的指向では結び付かなくても別の関係性があるのだ。

(C)Les Films du Nouveau Monde – Ali n’ Productions – Velvet Films – Snowglobe

ラストから本作を振り返ってみると、ミナはハリムのために自分の席をユーセフに譲ったように見えるし、ユーセフが来た時からそれを意図していたようにも感じられる(もちろんユーセフに嫉妬したりもするわけだが)。

本作の冒頭は、ミナがハリムに呼びかけるシーンから始まる。それは初めてふたりの店にやってきたユーセフを、ハリムに紹介するためだ。ユーセフはふたりの前でその腕前を披露し、ミナがユーセフのことを有望な人材だとハリムにすことになるわけだ。

この時のハリムはユーセフのことよりも、ミナのことを気にしているように見える。その視線は「どんなつもりでそんな若い男を推しているのか」、そんな戸惑いの表情だったようにも思える。だからハリムはユーセフから「愛してる」と告白された時も、それを受け入れることができずミナとの夫婦愛のほうを優先することになる。ミナはすでに死の間際にいて、ハリムはずっと彼女のそばに居たかったのだ。

それでも紆余曲折を経て3人は一緒に生活し、カフタンを制作するようになり、ハリムとユーセフはミナの死を看取ることになる。そして、ミナが亡くなった後のラストシーンでは、ハリムとミナが一緒に行った喫茶店で、ハリムの隣にはユーセフが座っているのだ。ミナは自分の死を知り、ハリムのことを頼めるような人を探していたのかもしれない。

(C)Les Films du Nouveau Monde – Ali n’ Productions – Velvet Films – Snowglobe

自分らしい生あるいは死

ミナが生前にハリムに語っていたのは「愛することを恐れないで」ということだ。これはハリムが同性愛者であることを、ミナが知っていたからこその言葉だろう。このことはミナが感じていたモロッコの不自由さとも関わってくるのだろう。

ミナは自分の友人がイスラム教の風習に従って、コーランの歌声と白い衣装で葬られていくのを「彼女らしくない」とつぶやいていた。ありのままの彼女らしく葬ってあげたほうがよかったのに。そんなふうに感じていたわけだ。

かといってミナはイスラム教そのものを否定したいわけではない。彼女は敬虔なムスリムでもあり、日々の祈りも欠かしてはいなかった。しかし葬式の際のその風習には疑問を感じていたのだろう。そもそもミナはカフタンという伝統衣装を守る立場でもあった。モロッコの伝統すべてが気に入らないというわけでもないのだろう。伝統にもいいものもあれば、そうでないものもあるということなのだろう(これは前作にも通じる)。

ミナにとっては自分らしく生きることが第一の行動原理で、それを妨げるものは否定される。「愛することを恐れないで」という言葉は、ハリムが彼らしく生きるためにモロッコのタブーが邪魔になるならば、タブーを破るような強さを求めたということになるのだろう。

ミナはハリムのありのままの姿(同性愛者であること)を肯定することになり、そんなミナの気持ちにハリムは応えることになる。ミナを彼女らしいと思えるような姿で葬るために、ハリムはイスラムの伝統的な風習を捨て、客のために作っていた極上の青いカフタンを着せて送り出してやることになるのだ(奏でられる音楽はコーランではなく、ミナがダンスしていたような賑やかな曲だ)。

本作はとても地味な作品ではあるけれど、ハリムが静かに強い意志を持ってミナを葬るラストは感動的だった。同性愛の描写に関しては疑問もなくはないけれど、単なる青ではないペトロールブルーのカフタンを仕上げていく様子がとても美しく描かれているところがいい。

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