『aftersun/アフターサン』 結末を知らない観客

外国映画

監督・脚本はシャーロット・ウェルズ。彼女にとっては本作が長編デビュー作。

アカデミー賞では主演男優賞(ポール・メスカル)にノミネートされた。

物語

思春期真っただ中、11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は、離れて暮らす若き父・カラム(ポール・メスカル)とトルコのひなびたリゾート地にやってきた。輝く空の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、親密な時間をともにする。20年後、カラムと同じ年齢になったソフィ(セリア・ロールソン・ホール)は、ローファイな映像の中に大好きだった父の、当時は知らなかった一面を見出していく……。

(公式サイトより抜粋)

残像の父親を追う

冒頭、ビデオテープを巻き戻す音が続く。そのビデオにはかつてのソフィ(フランキー・コリオ)と父親カラム(ポール・メスカル)のトルコでのバカンスの様子が収められている。荒い粒子のビデオを止めると、白い空には父親の姿が残像として浮かび上がっているようにも見える。『aftersun/アフターサン』は、主人公ソフィが父親の残像を追い求める物語ということになるのだろう。

とはいえ、本作はあまり親切とは言えないから、そのことがわかってくるのは後のことになる。冒頭の導入部以降、基本的にソフィと父親カラムのふたりのバカンスが描かれることになる。そこに時折成長したソフィ(セリア・ロールソン・ホール)と思しき姿が挟みこまれてくる。

バカンスはとてものんびりとしたもので、ふたりは特段何をすることもない、贅沢な時を過ごすことになる。ソフィは母親への電話報告で「(カラムは)ちょっと変だけれど優しい」と語っている。ふたりは普段は離れて暮らしているわけで、だからこそ一緒に過ごす時間はお互いにとってとても大切な時間なのだ。

(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

父の抱えた謎

ソフィにとって父親カラムは優しくて楽しい人だろう。しかし、そこにはカラムが無理をしている部分もあるのかもしれない。カラムはソフィの前では決してタバコを吸わないようにしているし、バカンスの費用も無理して用立てたのかもしれない。父親としてはソフィに楽しいバカンスを過ごしてもらいたいし、無理をしてでも彼女の願いは叶えてあげたいということなのだろう。

実はカラムにはソフィに隠していることがある。明確に示されることはないのだが、カラムは精神的に不安定な部分があるのだ。彼は夜中に真っ暗な海の中に飛び込んでみたり、ベランダの柵の上に立ってみたりというちょっと危なっかしいことをしているし、(これはソフィの視点だったのかは謎だが)ベッドの上でひとり嗚咽を漏らしていたりもする。それでも、カラムはソフィの前では自らが抱えたものを隠そうとしているのだ。

しかしそうした無理は破綻して、隠しているものが垣間見えてしまう時もあって、カラオケのシーンがそれに当たるだろう。ソフィはカラムの好きな曲をリクエストしてふたりで歌おうとするのだが、カラムはそれを拒むことになる。仕方なくソフィはひとりでR.E.M.の「Losing My Religion」を歌うことになる。ソフィの歌声がかなりの音痴ということもあって、何だかふたりはギクシャクすることになってしまう。カラムはなぜその曲を歌うことを拒んだのだろうか?

「Losing My Religion」という言葉は、アメリカ南部では「気が狂う」とか「絶望する」といった意味にもなるようだ。カラムはそのことを気にしていたのかはよくわからない。歌詞の内容も色々に解釈できるもので、カラムの心情を表しているのかどうかもわからない。とにかく最後までカラムが何を抱えていたのかという点は謎のまま終わることになるのだ。

(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

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カラムに何が起こったか?

結局、その後のカラムに何が起こったのか。その点も謎のままとも言えるのだが、ラストの描写を見ていると「カラムは自殺したんじゃないか」とも思わせるようになっている。ラストでは、カラムはソフィを空港へ見送りに行き、そこでもビデオを回しているのだが、そのビデオ撮影を止めると空港の通路を歩いて行き、ドアを開けてどこかへと去っていく。

この空港の通路には人ひとりおらず、どこか非現実的なシーンにも見える。カラムが歩いてその場から立ち去るだけのシーンなのだけれど、なぜかカラムは彼の人生から去っていったのだろうと感じさせることになるのだ。

ただ、これはあくまでも推測に過ぎない。たとえば夜の海に飛び込むといった自殺めいた行動だったり、ダイビング・インストラクター相手に「30まで生きると思わなかった」などと語っているところからすると、そうした推測が成り立つかもしれないということだ。

人によってはカラムが同性愛者だったと解釈している人もいるようだが、それが正しいのかどうかはわからない。成長したソフィが同性愛者だったことから、父親もそうだと考えるのも変だし、やはりカラムが抱えた謎は謎のままとして残っているように感じられる。

そして、本作はソフィが背負ってしまった謎を、観客にも謎のまま提示して、そのことでソフィの感情を追体験させようとしているということなのかもしれない。

(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

結果を知った視点から

かつての父親と同じ年齢になったソフィは、ビデオの中の父親の姿を追うことで、かつては見えていなかった何かが見えてくる。それが本作の基本的な構造だが、これはソフィが「父親に何が起きたのか」ということを理解していることが前提だ。

20年前のバカンスはソフィにとって特別なものではなかったはずだ。ソフィは大人になりかけの時期で、周囲の大人たちの恋愛模様を興味津々に見守ったり、同年代の男の子とキスの真似事をしてみたりと、それなりに夏を楽しんでいた。しかし20年後にカラムに起きたことからその夏を振り返ると、それは特別な意味を帯びることになる。

本作のタイトルがそれを言い表しているのかもしれない。タイトルの「アフターサン」とは「アフターサンクリーム」という意味らしい。劇中ではカラムがソフィの背中に日焼け止めを塗ってやるシーンがあるけれど、これは事前に日焼けを防止するクリームで、夜になってコットンで互いの顔に塗っていたのがアフターサンクリームなんだろうと思う。

アフターサンクリームは、すでに焼けてしまった肌をケアするための美容品ということになる。これは過去を振り返るソフィがやっていることとも重なってくるだろう。多分、カラムはその時点ではすでに他界していて、過去のものになっている。だからソフィは事後的にそれに対処するしかないのだ。

(C)Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

結末を知らない観客

その事後的な対処の仕方が、バカンスでのビデオを振り返るということであり、それによって当時は見えていなかった父親が何かに苦しんでいる姿が見えてくることになるというわけだ。これは本作で描かれるバカンスが、ソフィがその後に父親に起きたことを知った視点で再構成されたものだということになる。

ただ、何度も記したようにカラムに何が起きたのかは謎とされているわけで、観客の視点はソフィの視点とは異なる。ソフィにとっては特別な意味を持つ夏も、観客にとってはそうではない。だから特にカラムの抱えたものが見えてこない前半などは、ほとんど何も起きないため退屈なシーンとも感じられる。

しかし、ラストでそうした印象は変わるのかもしれない。ラストでカラムが自殺したことが仄めかされ、ソフィと同じ視点を獲得できたのだとしたら、もう一度本作を振り返ることによって本作はさらに別の意味を持つことになるのかもしれない。

その意味では、一度しか本作を観ていない私は本作をつかみきれてないような気もする。それはもちろん本作の不親切さや独りよがりの部分でもあるのかもしれないけれど、それと同時にもう一度観てみたいような魅力も含んでいたようにも感じられて、今のところ評価しかねているというのが正直なところだろうか。

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