『プアン/友だちと呼ばせて』 前に進むための後退

外国映画

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』バズ・プーンピリヤ監督の最新作。

プロデューサーは『恋する惑星』などのウォン・カーウァイ

原題は「One for the Road」で、「帰りがけの一杯」とか「最後の一杯」を意味するとのこと。邦題の「プアン」とは、タイ語で「友達」のこと。

物語

ニューヨークでバーを経営するボスのもとに、タイで暮らすウードから数年ぶりに電話が入る。白血病で余命宣告を受けたので、最期の頼みを聞いてほしいというのだ。バンコクに駆けつけたボスが頼まれたのは、元カノたちを訪ねる旅の運転手。カーステレオのカセットテープから流れる思い出の曲が、二人がまだ親友だった頃の記憶を呼びさます。かつて輝いていた恋への心残りに決着をつけ、ボスのオリジナルカクテルで、この旅を仕上げるはずだった。だが、ウードがボスの過去も未来も書き換える〈ある秘密〉を打ち明ける──。

(公式サイトより抜粋)

最期の頼み

ウード(アイス・ナッタラット)は白血病で余命宣告を受け、友人であるボス(トー・タナポップ)に最期の頼み事をする。ニューヨークにいたボスは、ウードの願いを聞き入れ、わざわざタイまで帰ってくる。

久しぶりにボスと再会したウードは、死ぬ前に元カノに会って返す物があるのだという。この「物」というのは、あまり重要ではない。「物を返したい」というのは言い訳でしかなく、ウードは元カノに会いたかったのだろう。

運転手役を任されたボスとしては、ウードが会いたい元カノはひとりだけだと勘違いしていたのだが、実際には3人の元カノに会うことになる。一方の元カノたちは、突然ウードが訪れることをあまり快く感じているわけではない。今では元カノにも別の生活があるわけだし、急に元カレが現れても迷惑でしかないということなのだろう。

最初に会ったアリス(プローイ・ホーワン)だけはちょっといい感じの再会になるものの、それでも最初は気乗りしない様子だった。最後のルン(ヌン・シラパン)に至っては、ウードに会うこと自体を拒否することになる。

2番目の元カノのヌーナー(オークベープ・チュティモン)にはウードは平手打ちを喰らい、その後の妄想シーンでは銃撃されるほど嫌われているらしい(ジョン・ウー作品のそれみたいに鳩が飛び立つシーンはちょっと笑える)。結局、ウードの元カノとの再会はかなりほろ苦いものとなるのだ。

(C)2021 Jet Tone Contents Inc. All Rights Reserved.

カセットテープの如く反転

『プアン/友だちと呼ばせて』は、カセットテープというアイテムがうまく使われている。亡くなったウードの父親はかつてDJをしていて、ウードは父親がやっていたラジオ番組を録音して保管している。それがウードとボスの車での旅のBGMとなっていく。それからウードは元カノにオリジナルのカセットテープを作っていたようで、それらの音楽も映画を彩ることになる。

カセットテープはA面から始まり、反転してB面が始まる。それと同じように本作も、前半と後半で別の展開が待っている。A面の主役がウード(Aood)だとすれば、B面はボス(Boss)が主役となる。

前半ではウードが3人の元カノを訪ねることになるわけだが、実はそれは単なる前フリのようなもので、本当の目的は別にある。ウードが本当に返したいと思っていたものは、ボスに返すべきものだったのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

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本当の目的は?

本作はいわゆる“余命もの”というジャンルになるだろう。人は普段は死に直面することはない。いつまでも今と同じような生活が続くと考えてしまうのかもしれない。それでもそれは間違いで、病によって突然自分の残り時間を知るようになり、初めて愕然とすることになる。

アメリカなどでは哲学の授業において、死ぬまでにやりたいことのリストを作るという作業をするらしい。これは“Bucket List”などと呼ばれていて、たとえば『死ぬまでにしたい10のこと』『最高の人生の見つけ方』において登場することになった。余命宣告を受けた人はそのリストを全うして死んでいくことになる。

これはもしかしたらある意味では幸福なのかもしれない。たとえば、突然命を奪われてしまうような病気の場合、死んでいくために何一つ準備をすることができないし、やりたいと思っていたことを考える間もなく死んでしまうことになるからだ。

だからたとえば前述の映画においては、死を宣告された主人公は子供のために何かを遺すという作業をすることができたし、スカイダイビングに挑戦してみたり憧れていたスポーツカーを乗り回すこともできたわけで、遺された時間を前向きに過ごすことができたということになる。

それに対して『プアン』はどこか後ろ向きとも言える。ウードがやっていることは、自分のやってしまった間違いと向き合うことだからだ。人生には間違いというのはつきものだ。ウードが元カノ3人と会いたかったのは、彼女たちとのつき合いの中で今から振り返ると後悔していることがあったからだろう。その後悔を少しでも解消するためにウードは元カノと再会することを望む。

そして、ウードが一番後悔しているのが、ウードがボスに対してやってしまった仕打ちということになる。ウードはボスの元カノであるプリム(ヴィオーレット・ウォーティア)という女性に横恋慕し、ボスとプリムの関係を邪魔をするような嘘をついたまま、今まで友達のフリをして生きてきたのだ。ウードはそれについて謝罪することを、今回の旅の一番の目的としていたのだ。

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前に進むための後退

B面である後半に入ると、映画は突然ボスとプリムの話になっていく。そこに後から現れたウードが絡み、ふたりを決定的に別れさせることになってしまう。

ここには貧富の差が関わっている。ボスは裕福で、母親の援助を受け、ニューヨークの高級ペントハウスに住んでいる。一方でウードやプリムはそうではない。「持つ者」と「持たざる者」という関係だ。

「持たざる者」は「持つ者」に憧れると同時に嫉妬する。プリムがボスと親しくなったのは偶然だが、プリムはボスと一緒にいることがバーテンダーになるという自分の夢を叶えることになると知り、その機会を利用してしまったということなのだろう。それをうまく隠し通せなかったのはプリムの間違いだし、ボスがプリムのことを信じられなかったこともまた間違いだったと言えるかもしれない。

ウードはふたりを別れさせるような嘘をついた。にも関わらず、後にボスと親しくなると、そのことは秘密にしたまま友達になったのは、「持つ者」に対する憧れがあり、それは自分だけの力ではどう頑張っても達成不可能なことに感じられたからだろう。そして、ウードはボスと友人になってからも、嘘を打ち明けることはなく過ごしてきたわけで、それがウードにとっての後悔の元となっていたわけだ。

こうした関係性は前作の『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』にも描かれていた。本作にもヌーナー役で登場しているオークベープ・チュティモン演じる主人公は「持たざる者」であり、「持つ者」を羨んでいる。それがカンニングという不正行為へとつながるわけだが、最終的には主人公は自分の非を認めることになる。それによって前に進むことになるのだ。

その点は『プアン』も共通している。ウードは人生において大いに間違いを繰り返してきたということになる。余命宣告を受けたウードは自分がやりたいことをリストアップするよりも、自分の後悔を解消するというほうを選んだ。これは後ろ向きではあるけれど、それが終わらなければ前に進めないということだったのだろう。

ウードはすべての秘密を明かし、ボスとプリムは再会することになる。それによってウードが許されることになるか否かはわからないけれど、とりあえず後悔の種だったそれを取り除いたウードは、白血病を治療をすることを決意することになる。前に進むには、まずはしっかりと過去を清算しなければいけなかったということなのだ。人の弱さというものがわかる人には沁みるんじゃないだろうか(もちろんそれをウードの自己満足と見る人もいると思うけれど)。

タイ映画というのは今まであまり観たことがなかったけれど、昨今は急に話題になっているようだ。前回レビューした『女神の継承』ナ・ホンジンがプロデュースし、今回の『プアン』はウォン・カーウァイが関わっている。それだけタイ映画が注目を浴びているということなのだろう。

本作は『バッド・ジーニアス』のようにハリウッド的なハラハラドキドキを感じさせてくれる映画ではないけれど、とてもシャレている。ウードの元カノには、ボスがそれぞれオリジナル・カクテルを作り上げる。それも美味しそうだったのだけれど、プリムがボスに初めて提供したニューヨーク・サワーはそれなりにポピュラーなカクテルらしい。カクテルなんかを飲む機会はほとんどないけれど、一度は飲んでみたいという気持ちになった。

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