監督・脚本は『コンプリシティ/優しい共犯』の近浦啓。
主演は『ほかげ』などの森山未來。共演には『愛のコリーダ』などの藤竜也。
サン・セバスチャン国際映画祭のコンペティション部門では最優秀俳優賞(藤竜也)を獲得した。
物語
小さいころに自分と母を捨てた父が、警察に捕まった。連絡を受けた卓(たかし)が、妻の夕希と共に久々に九州の父の元を訪ねると、父は認知症で別人のようであり、父が再婚した義理の母は行方不明になっていた。卓は、父と義母の生活を調べ始めるが‥‥。
(公式サイトより抜粋)
意外な導入部
認知症を題材とした作品なのだが、その始まり方には意外なものがあるし、提示された謎に一気に引き込まれた。冒頭が意外だったのは、閑静な住宅地で起きた事件からスタートするからだ。
事件の現場となった一軒家は、警察の特殊部隊たちによって静かに包囲される。「いよいよ突入か」という段になって、そこから現れたのがスーツ姿の老人だったのだ。一体何が起きて警察沙汰みたいなことになってしまったのか? そんなふうに本作はスタートすることになる。
主人公の卓(森山未來)は東京で役者をしている。卓の父親が冒頭に出てきた老人・陽二(藤竜也)だ。陽二は警察に確保されることになり、認知症であることがわかったらしい。卓は警察から連絡を受け、陽二を施設に入れる手続きのため、妻の夕希(真木よう子)と一緒に九州へと向かう。
卓は施設での手続きで「食べられなくなってきた時、延命治療をどうするか」と問われるものの、それにすぐ回答することができない。というのは、卓と陽二はずっと疎遠だったからで、卓は父親である陽二のことをよく知らないのだ。ところがどういうわけか連絡は卓のほうに来ることになり、それは卓にとっても予想外だったようだ。だからこそ、父に対するそんな問いを投げかけられて困ってしまったということなのだ。
不在が意味するものは?
本作で「不在」が意味するものはいくつもあるだろう。まずは卓からすれば父親・陽二はずっと一緒にはいなかったという意味がある。陽二は卓とその母親を捨てて、家を出て行ったからだ。
さらには義母の「不在」もあるだろう。陽二が卓たちを捨てたのは、直美(原日出子)という女性と一緒になることを陽二が望んだからということになる。陽二はその直美と結婚していたはずで、本来であるならば陽二に何かあった時に連絡が行くのは義母の直美のほうだったのだろう。ところがその直美はなぜか消えてしまったのだ。
そして、「不在」という言葉は、現在の陽二の状態にも関わってくる。陽二はすでに認知症が進んでいて、卓の表現では「あちら側に行ってしまった」ような状態だ。陽二は認知症のため施設でケアされることになったけれど、陽二はそれを日本ではないほかの国に囚われたと勘違いしている。彼の中では何かしらの陰謀によって自分が隔離されていると感じているのだ。
陽二は自分が生み出した妄想の中にあり、そこに居るけれども頭の中は別の世界を彷徨っている。そんな意味では、陽二は今でも「不在」とも言えるというわけだ。
『かくも長き不在』というフランス映画があったけれど、その「不在」というものには記憶喪失が関わっていた。記憶を喪って過去の自分とのつながりを奪われたからこそ、その人は「不在」の状態に陥ってしまったということになる。本作における陽二の認知症も似たような状態を招いているのだ。
父はどんな人物だったの?
『大いなる不在』はミステリーのようなスタイルになっている。卓が知らなかった父・陽二のことを探っていくことになり、さらには消えた義母が一体どこに行ったのかという点も追われていくことになるからだ。そこに過去の回想も混じり合ってくる。現在の陽二は真っ当な会話が成り立たないわけで、卓は直美が残していた日記などから二人の姿を追い求めていくことになるのだ。
そもそも卓と陽二の関係はどんなものだったのだろうか。卓が久しぶりに陽二と再会したのは、彼が役者として成功を収め、「大河ドラマ」への出演が決まった時だったらしい。その頃の陽二はまだ矍鑠としていて、大学の教授で小難しい理屈を言うインテリだということがよくわかる描かれ方になっている。
卓は陽二に「何か言いたいことがあるんじゃないのかね」と問われてそれを否定することになるのだが、どこかで父親のことを見返してやりたいといった意識を感じなくもない。その久しぶりの再会が、疎遠だった父親と親しくしたいといったものではなかったのは、それからまたしばらく疎遠になっていることからも明らかだろう。
陽二は大学教授として信奉者もいたようだが、誰からも非難されないような真っ当な人間とは言えなかったであろうことも見えてくる。現在時の陽二は認知症の症状が出ていない時に、かつての行為を卓に詫びる。過去には卓に暴力を振るったりしたことがあったからだ。陽二はそのことを許してくれと卓に懇願することになるのだ。
また、突然現れた直美の息子(三浦誠己)の言動からも、陽二が彼から酷く嫌われていることが明らかになる。直美の息子は彼女の入院費用を卓から出させようとする。なぜそんな厚かましいことをするのかと言えば、彼からすれば、母親に人倫の道を踏み外させ、母親を「不在」にした陽二は憎むべき存在だからということになる。
直美は陽二に家政婦のようにこき使われ、実際に倒れて入院することになったわけで、その費用くらい陽二が出して当然という意識があるのだ。さらには直美の妹・朋子(神野三鈴)は、一時直美の代わり陽二の世話をしていた時期があり、その際に陽二から性的暴力を受けかけてケガをしたのだという。
卓は直美の息子から「あんたは父親のことを何も知らないじゃないか」と非難されても返す言葉もない。卓は自分が捨てられたことに怒りを抱いていたのかもしれないが、直美の息子からの怒りを知って驚いたようでもある。
これは陽二のことを何も知らないという事実を改めて突きつけられたからだろう。そのことで卓はさらに陽二を知りたいと感じたのかもしれない。卓は妻の夕希が東京に帰った後も、直美の日記を調べ、さらに二人の関係を探っていくことになるのだ。
父をたずねて……
本作はミステリーのように展開していくと記したけれど、終わり方は謎が解決してスッキリするといったものにはならない。だからだろうか、どうにも後半部分がとても長く感じられた。そもそもミステリーのつもりでもないのかもしれないけれど、導入部がそんなスタイルだったので私が勝手に謎の解決を求めてしまっていたのかもしれない。
陽二の認知症は少しずつ悪化し、それが直美との関係を終わらせることになり、最終的には冒頭の警察沙汰へとつながっていく。これについては驚くべきことはないし、消えてしまった直美の居所については曖昧なままに終わることになる(直美の自殺に見えなくもないシーンもある)。
それでも陽二にはある変化が訪れることになる。最初は施設での延命治療に関してすぐには答えられないと言っていたのに、最後の場面では陽二をできるだけ長く生きさせてやってほしいと依頼することになるのだ。
この間に卓が知った陽二の姿は決して立派なものとは言えないだろう。直美のことを尋ねて妹の朋子のところに押しかけたけれど、それでも卓が拒否されることになるのは、それだけ陽二がよく思われていなかったからだ。
さらに直美の日記には陽二が直美に送った手紙も添付されていて、卓はそれを読むことで陽二と直美の純愛を見たのかもしれないし、あるいは人倫の道を外れてまでの行動にかえって二人の人間らしさのようなものを見たのかもしれない。
かつての陽二の様子を見ていると、卓にとって父親は立派だけれどイヤなヤツで近づきがたい人だったのかもしれない。ところが「不在」の父を探す旅において見つけたのは、もっと人間的な陽二だったのかもしれない。それによってかつての父がもっと身近な存在になったのだろう。それが最後の卓の変化につながったということになる。
サクラの場面など人物を端に寄せる構図はおもしろい部分があったりもしたのだが、卓が東京でやっている演劇がどんなふうにメインストーリーと関わってくるのかなど、いまひとつ掴み切れないまま終わってしまった部分もあり、個人的には消化不良といった印象が否めない。とはいえ、誰にとっても他人事とは言えない出来事を描いていて切実なものを感じたし、藤竜也の熱演には見るべきものがあったと思うし、原日出子のラストの表情も忘れがたいものがあった。
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