『遠いところ』 理解し難い若者?

日本映画

脚本・監督は『アイムクレイジー』などの工藤将亮

英語のタイトルは「A Far Shore」。

物語

沖縄県・コザ。
17歳のアオイは、夫のマサヤと幼い息子の健吾と3人で暮らし。
おばあに健吾を預け、生活のため友達の海音みおと朝までキャバクラで働くアオイだったが、 建築現場で働いていた夫のマサヤは不満を漏らし仕事を辞め、アオイの収入だけの生活は益々苦しくなっていく。
マサヤは新たな仕事を探そうともせず、いつしかアオイへ暴力を振るうようになっていた。

そんな中、キャバクラにガサ入れが入り、アオイは店で働けなくなる。
悪いことは重なり、マサヤが僅かな貯金を持ち出し、姿を消してしまう。仕方なく義母の由紀恵の家で暮らし始め、昼間の仕事を探すアオイだったがうまくいかず、さらにマサヤが暴力事件を起こし逮捕されたと連絡が入り、多額の被害者への示談金が必要になる。切羽詰まったアオイは、キャバクラの店長からある仕事の誘いを受ける―
若くして母となった少女が、連鎖する貧困や暴力に抗おうともがく日々の中でたどり着いた未来とは。

(公式サイトより抜粋)

沖縄の若者の現実

キャバクラで働いているアオイ(花瀬琴音)はまだ17歳だ。それでも堂々としていて大人っぽいし、すでに2歳になる息子もいる。アオイが東京から来た客に話している言葉を信じるならば、沖縄では中学を卒業してそのままキャバクラ勤めという女の子が当たり前なのだとか。

もちろん沖縄でも未成年がお酒を飲むことは禁止だし、キャバクラで働くことも違法なわけで、警察が来たらアオイたち未成年の女の子たちは裏口から逃げ出すことになる。

ハイヒールを脱ぎ捨てて裸足で夜の街を駆け抜けていく彼女たちは、どこか無邪気で子どもっぽい。最初の章のタイトルが「子どもたち」となっていたのは、アオイたちキャバクラで働いている女の子のことを指しているということなのだろう。

とはいえ、そんなアオイにはすでに息子もいるわけで、稼いで食べていかなければならない。アオイの母親は刑務所に収監されていて、父親(宇野祥平)は離婚して別の家族がいる。頼りに出来るのは祖母と義理の母くらいで、働いている間は祖母に息子の健吾を見てもらっているのだが、祖母はキャバクラで働くこと自体に反対でアオイとの折り合いはよくない。

そして、旦那のマサヤ(佐久間祥朗)は何をしているのかと思えば、息子の世話を放棄して夜は寝ているらしい。かといってまともに働いているわけでもなく、挙げ句の果てにアオイが隠していた金まで使ってしまうような典型的なダメ亭主なのだ。

(C)2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

なぜ沖縄なのか?

工藤将亮監督は京都出身の人とのことで、沖縄のことを調べ上げて『遠いところ』を製作したらしい。わざわざ知らない土地の沖縄で映画を製作したのには意図があるのだろう。公式サイトにはこんな情報が記されている。

沖縄では、一人当たりの県民所得が全国で最下位。子ども(17歳以下)の相対的貧困率は28.9%であり、非正規労働者の割合や、ひとり親世帯(母子・父子世帯)の比率でも全国1位(2022年5月公表「沖縄子ども調査」)。さらに、若年層(19歳以下)の出産率でも全国1位となっているように、窮状は若年層に及んでいる。

こんな情報が記されていると、本作は沖縄の特殊性を描いていくものなのだろうと思うかもしれない。東京から来たキャバクラの客は、未成年が接待するその店を「東京ではあり得ない」と喜んだりもするのだが、かといって本作は沖縄の特殊性に寄り添った作品ではなさそうだ。

というのも、本作では沖縄が「なぜ」こんな状況に置かれているのかといったことにはほとんど触れられないのだ。たとえば基地の問題とか政治の問題とかは本作においてはほとんどスルーされている。

『キネマ旬報』(2023年7月上・下旬合併号)の工藤監督のインタビューによると、監督が沖縄に興味を持ったのは、「シングルマザーの家庭に育ったことが大きい」と語っている。

アオイはシングルマザーではないけれど、途中から旦那のマサヤは物語から退場することになるし、息子が祖母に育てられているところも工藤監督の境遇と似ているらしい。つまりは沖縄を舞台にはしているけれど、工藤監督はそれを自分のほうに引き寄せていて、沖縄の特殊性ではないもっと普遍的な物語を意図しているということなのかもしれない。

(C)2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

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理解し難い若者たちの行動

アオイは旦那のマサヤに散々な目に遭わされる。隠していた金は奪われ、顔をボコボコに殴られ、暴力事件の示談金まで押し付けられる。にも関わらずアオイはマサヤと別れるということを選択肢として考えていない。誰が見ても真っ当ではないのに、いつまでもマサヤに執着している。

これは「なぜ」なのか? 当然そんな疑問が生じるのだけれど、本作の劇中にそれについての答えはない。なぜ沖縄が日本の中でも特殊な位置にあるのかということに触れられていないのと同様に、沖縄の若者がなぜそんな行動をしてしまうのかという点についても本作はスルーしているのだ(これはちょっと気にかかる)。

マサヤは暴力事件を犯して物語から退場することになるけれど、彼がその退場前に言っていた台詞は「ヤー(お前)に何がわかる?」というものだった。これは働きもしないマサヤに対して、アオイが文句を言った際にマサヤが返した言葉だったと思う。マサヤはアオイにはわからないような“何か”を抱えていたのだろうか。結局、この後マサヤは警察に逮捕されることになり、それはわからず終いになる。

そして、アオイは同じ言葉を、友人の海音(石田夢実)に投げかけている。海音は金のためにウリ(売春)まですることになったアオイを心配し、彼女を気にかけていたのだが、それに対してアオイは「ヤー(お前)に何がわかる?」という言葉を投げかけるのだ。アオイは海音にはわからない“何か”を抱えていたのだろうか。しかし、それを共有することもなく、海音は死んでしまう。海音は、自分が紹介した男がアオイを売春に引き込んだことに責任を感じていたのだろうか。

そのあたり本作の登場人物の行動には観客からすれば理解し難いことが多い。特に海音の自殺は唐突だったとも思う。これは観客からすればとてももどかしい。

というのはアオイや海音の行動が、極端に言えば、“愚か”なものに映るからだ。もっとほかに選択肢はあるはずなのに、なぜそんな間違った選択肢に飛びついてしまうのか、そこが理解できないためにもどかしいのだ。

先ほどの「ヤー(お前)に何がわかる?」という台詞は、それを言っている本人が相手に理解できない“何か”を抱えていたというよりも、単に相手を突き放すためにあるのだろう。相手に対して去勢を張っていただけなのかもしれない。困っていたら誰かの助けを借りてもいいはずなのに、それすら知らないという沖縄の若者の無知を示していたのだろうか。

アオイは示談金の意味すらわからないような若者だった。中学卒業でキャバクラで働くというのは、そうしたことすら学ぶ機会を奪われているということなのかもしれない。

(C)2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

“遠いところ”とは?

公式サイトから引用した物語では、アオイが「たどり着いた未来とは?」などと謳っているわけだが、本作のラストはそれとは正反対だ。

タイトルの「遠いところ」というのは一体どこなのか? 一番わかりやすいのは英語のタイトルを見てみればいい。「A Far Shore」というのは直訳すれば、「遠い岸辺」ということだろう。これはすぐに「彼岸」つまり「あの世」に結び付くだろう。

ラストは児童養護施設に保護されていた健吾を連れ出したアオイが、健吾を抱えたまま朝焼けの海の中に入っていくのだが、ここにはどう考えても未来はない。沖縄の若者はそれだけ追い込まれているということを示したかったのだろうか。

(C)2022「遠いところ」フィルムパートナーズ

本作は工藤監督が沖縄の現状を調べ上げて出来たわけで、多分アオイのような若者は少なくないのだろう。主演の花瀬琴音は東京出身らしいのだが、方言の台詞にも違和感はなかったし、ごく自然に沖縄の風景に馴染んでいた。

そんな花瀬琴音の頑張りもあって、本作はリアルな沖縄の風景と共に、沖縄の若者たちの姿を垣間見ることが出来る。観光地としての沖縄しか知らない観客としては、キャバクラ帰りのアオイが地元の人しか使わないだろう緑が生い繁る暗い路地を歩いていくシーンなどがとても印象に残る。観光地としての沖縄とは別の沖縄の顔を垣間見させてくれるのだ。

ただ、本作は「ラストありき」で突き進んでいくきらいがあり、アオイを「遠いところ」へ向かわせるために、矢継ぎ早に彼女を追い込む出来事を連鎖させるあたりでリアリティを感じられなくなってしまった気がする。

アオイのような沖縄の若者はそんなに“愚か”なんだろうか? さすがにもっとまともな判断を出来そうにも感じるのだが、それは私が沖縄の現状を知らない者だからなのだろうか(もちろんその可能性はあるけれど、ラストへの経緯はかなりデフォルメされていたんじゃないだろうか)。ラストで「遠いところ」へ行きたかったのは、アオイというよりは工藤監督のほうだったんじゃないかとも思えた。

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