『シン・ウルトラマン』 「怪獣プロレス」だけじゃない

日本映画

企画・脚本は『シン・ゴジラ』『新世紀エヴァンゲリオン』などの庵野秀明

監督は『シン・ゴジラ』『進撃の巨人』などの樋口真嗣

物語

次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室専従班】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。
班長・田村君男(西島秀俊)、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)、非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)、汎用生物学者・船縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務に当たっていた。
禍威獣の危機が迫る中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、神永とバディを組むことに。浅見による報告書に掛かれていたのは、【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。

(公式サイトより抜粋)

それぞれのウルトラマン

大ヒットとなった『シン・ゴジラ』の後を受けて発表された『シン・ウルトラマン』。本作は『シン・ゴジラ』と同様に、ウルトラマンが初めて現われた世界を描くことになる。ゴジラは世界的に有名なキャラクターなのかもしれないけれど、お茶の間のテレビで見ることのできたウルトラマンのほうが、子供にとってはもっと親しみのあるヒーローだったんじゃないだろうか。

もちろん私も子供の頃に再放送などでウルトラマンに親しんできたわけだけれど、それほど熱心に見ていたわけではなかったのか、覚えていることはかなり限られている。ゼットンの名前と顔は知っていたけれど、ウルトラマンを倒した敵だということすら知らなかったくらいうとい。

私にとってのウルトラマンは、「怪獣プロレス」とほとんどイコールだと言ってもいい。ウルトラマンは毎回怪獣と闘うことになり、カラータイマーに急かされつつ、最後はスペシウム光線という伝家の宝刀が飛び出し、「シュワッチ!」とかの掛け声と共にどこかへ去っていく。そんなイメージばかりしかないのだ。「水戸黄門」的な勧善懲悪の話だったと勝手に思い込んでいたのだが、本作を観るとそんなイメージは間違いだったのかもしれないとも感じられた。

(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

「怪獣プロレス」ではない部分

もともとのテレビ番組『ウルトラマン』の前には『ウルトラQ』という前身番組があり、それは『トワイライト・ゾーン』みたいな怪奇現象を描いたものだったとか。『ウルトラマン』はちょっと怪奇現象とは違うのかもしれないけれど、本作は藤子・F・不二雄が言うところのSF(すこし・不思議)な話としておもしろかった。

『ウルトラマン』は単なる怪獣退治の話ではなかったようだ。『ウルトラマン』は子供向けの番組だったから最終的には「怪獣プロレス」が用意されていたのだと思うのだが、大人が見てもおもしろい何かを含んでいたということなのだろう。

本作における「怪獣プロレス」の比重はそれほど大きくはない。後半になると、地球を狙っているザラブやメフィラス(山本耕史)などの外星人たちと人間たちのやり取りが中心になってくるからだ。外星人の存在に振り回される日本政府の描き方は、現実の政治を皮肉る形にもなっているし、長澤まさみ演じる浅見弘子が巨大化してしまうというおかしなエピソードもある。

このエピソードはガリバー旅行記みたいなものだが、人間の巨大化は実は外星人が持ってきた科学技術の賜物であり、人間を生物兵器として使うという狙いだったらしい(外星人はその技術を利用して日本政府を操ろうとするわけだが)。

ウルトラマンが巨大化するのもこの技術によるものらしい。ウルトラマンは宇宙人だからスーパーマンみたいに何でもできる能力があるのだと思っていたのだが、そんな設定があったのだ。樋口監督の『進撃の巨人』のそれも、実は人間が開発した技術だったわけだし(映画版では触れられてなかったけれど)、もしかしたらそんなところにも何らかの影響を与えたりしているのかもしれない。

(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

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マニアックな作り

本作は初代ウルトラマンのテレビシリーズのエピソードをかなり踏襲しているらしい。まったくそれを覚えていない者としてはそのあたりはよくわからないけれど、いくつかの印象的なテレビのエピソードをつなぎ合わせた形になっているようで、その点ではまとまりに欠けるとも言える。オムニバス的に様々なテーマが盛り込まれているけれど、ひとつひとつを深く突っ込むほどにはなっていないようにも感じた。

ウルトラマンが神永新二(斎藤工)の自己犠牲の精神に感じ入り人類に好意的な感情を抱くことになる部分や、外星人の圧倒的な力の前に人類が感じる絶望などは、かなりあっさりしていて性急に感じられる部分も多かった。

『シン・ゴジラ』は、ゴジラが存在しなかった世界という設定で、震災と原発事故のことを織り交ぜつつ展開していったわけで、日本人ならば誰でもがわかる話だったと言える。それと比べると、『シン・ウルトラマン』はかなりマニアックな作りになっているようだ。元のネタを知らなければ何のことかよくわからないような台詞もあるからだ。

たとえば着ぐるみネタだ。怪獣が頭だけをげ替えたような似た形状をしているという話があったが、それは怪獣の着ぐるみを製作会社が使いまわしていたという舞台裏をくすぐるネタだったようだ。

それからウルトラマンが昔ながらの姿とはちょっと違っていたのは、本来のデザインを目指したものとのこと。カラータイマーとか、目の部分の穴などは、その当時の様々な状況との妥協の産物だったらしい。本作ではそれを本来のデザインに戻したということであり、そのこだわりはやはりウルトラマンが好きな人たちによって作られた作品だと感じさせる。

(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ

最後にゼットンが地球を破壊しようとするのは、庵野秀明の趣味なんだろうか? 『巨神兵東京に現わる 劇場版』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』『シン・ゴジラ』でも破壊の限りを尽くして世界の終わりを描こうとしているようでもあって、本作の兵器としてのゼットンは一瞬にして太陽系すら消し去るとかいう桁違いの破壊力だとされていた。

さすがに地球を破壊してしまうことは避けられたけれど、世界の終わりを待望しているみたいにすら思えてくるのは気のせいだろうか(最終的にはほかの作品と同様に、それを回避して人類は救済されることになるわけだが)。空の向こうに薄っすらとゼットンの姿が見えるという画は、『エターナルズ』のセレスティアルズの姿みたいだった。

それから本作ではちょっと奇妙な構図の画が何度も登場する。画面の一部を何かで遮り、その奥で登場人物が話しているという構図だ。これはテレビシリーズでいくつかのエピソードを担当していた実相寺昭雄監督のスタイルを踏襲したもので、「実相寺アングル」などと呼ばれているものだとか。ごく普通の会話の場面も、そうした工夫で奇妙な場面に様変わりするのだ。

ウルトラマンの初心者としては、このコンテンツがただの「怪獣プロレス」だけに終わるものではないということを理解させてくれたという意味で、本作は観る価値があったと思う。

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