『世界の中心で、愛をさけぶ』『リバーズ・エッジ』などの行定勲監督の最新作。
原作は水城せとなによる漫画『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』。
物語
流されやすい大伴恭一(大倉忠義)は、結婚しているにも関わらず不倫相手とカラダだけの関係も続けている。結婚にしても不倫にしても、女性からアプローチされると断れずに流されてしまうのが大伴の性分みたいなものなのだ。“流され侍”というのが昔の彼のあだ名だったらしい。
しかし、ある日、探偵をしているという後輩の今ヶ瀬(成田凌)が現れ、大伴の浮気を調査していることを打ち明ける。大伴は今ヶ瀬がそれをネタに金を強請り取ろうとするのかと警戒していると、今ヶ瀬は金ではなく「カラダと引き換えに」とホテルに誘いキスを迫るのだった。実は今ヶ瀬は大学の時に大伴に出会って以来、ずっと彼のことが好きだったのだ。
“流され侍”ここにあり
大伴は常にクールで、見た目もいいだけに、言い寄ってくる女性も少なくない。しかし、大伴は自分がどうしたいということがない人間なのだろう。結婚したのは妻が望んだからで、不倫をしたのは不倫相手が望んだからだ。
その後に離婚を望んだ妻が大伴のことを「気持ち悪い」と言ったのは、大伴は自分が望むことがわからないために、相手に選択肢を預け、どう出るのか窺っているからだ。自分では何も選べず、何も決断できないのが大伴なのだ。だからこそ今ヶ瀬の脅しも成功したのかもしれない。
ごく一般的には、ノンケの男がゲイの男性に言い寄られたとしても、躊躇してしまうだろう。それでも大伴は生来の流されやすさから、今ヶ瀬の要求を受け入れてしまい、さらには大伴が結局離婚したこともあって、いつの間にかにふたりはほとんど同棲しているような状態になっていく。
女優たちの闘い
『窮鼠はチーズの夢を見る』は男性二人の恋愛を描く映画でありながら、女性のキャラが何人も登場する。かわいらしくてしたたかな妻の千佳子(咲妃みゆ)、カラダだけの関係を求める不倫相手(小原徳子)、元カノ夏生(さとうほなみ)は「今ヶ瀬と私のどちらかを選べ」と大伴に迫ることになる。さらに再婚を決意させるたまき(吉田志織)もいる。しかし、そんな女優陣と並べてもひけを取らないのが、今ヶ瀬を演じた成田凌で、本作における主演女優は成田凌なんじゃないかと思える。
大伴は「面倒くさくて複雑な女がいい」などと恋愛論を語っていたが、そのほうが退屈しないからなのかもしれない。そして、一番複雑で一番面倒なのが今ヶ瀬なのだ。嘗め回すような流し目を送ってみたり、事が成就した後には急に甘えてみたり、拗ねて瞳をうるうるさせるなど、様々な表情を見せて大伴を篭絡することになるからだ。
他方で大伴を演じた大倉忠義も頑張っている。彼はジャニーズ事務所所属のアイドルだが、男性同士のやりとりとしては邦画ではこれまでにないくらい生々しい描写にも果敢に挑んでいるからだ。
その人だけが例外に
本作において最も印象に残るのが「心底惚れるって、すべてにおいてその人だけが例外になっちゃうってことなんですね」という今ヶ瀬の言葉。今ヶ瀬にとって大伴は決して理想の男性ではない。すぐに周囲に流され、ダメだとわかっていることすらやめられない。そんな大伴のことを今ヶ瀬が好きなのは、もはや理屈ではないわけで、そうした恋愛対象の条件などから遠く離れた例外として大伴は存在している。
一方で大伴からすれば、今ヶ瀬が告白してきたこともほかの女性陣と同様のものだったのかもしれない。だから大伴は今ヶ瀬からカラダを求められても好きにさせていたところがあるわけだが、そんな“流され侍”が自分の決断で行動することになる。それまでの性行為では受け身の立場だった大伴が、攻めの立場へと変わるのだ。これは大伴にとって今ヶ瀬が例外的な存在となった瞬間だろう。大伴はゲイに目覚めたというわけではなく、たまたま好きになってしまったのが今ヶ瀬という男だっただけで、例外的な事態が生じているわけだ。
終わらないふたりの関係?
そんな特別な関係を築くことになったふたりだが、その関係が長く続くことがなかったのも必然なのかもしれない。“流され侍”の大伴が世間の大多数の考えに流されることは明らかで、マジョリティの異性愛に対して反抗するつもりなどないからだ。ラストで今ヶ瀬が仕掛けたのは、大伴に永遠に自分の存在を刻み付けようとする意図だったようにも感じられた。
今ヶ瀬は別れを切り出し、ふたりは車で海へと出掛け、関係を清算する。二度と会わないことを決意したふたりなのだが、なぜか今ヶ瀬は再び大伴の前に姿を現す。今ヶ瀬は自分から別れを切り出しながらも、「そばにいさせてほしい」と懇願するのだ。そして、再び関係が再燃したと思われたのだが、次の朝になると今ヶ瀬は消えている。
本作で個人的にとてもうまい構成だと感じたのは、ふたりが海で過ごした場面の詳細を、今ヶ瀬が消えた後の大伴の回想として挿入しているところ。その海の場面は、ふたりが別れを決意し、ふたりの関係を振り返り、静かに語り合う。最後のいい想い出とも言える時間が流れるわけだが、そんな想い出を台無しにするかのように今ヶ瀬は再び大伴の前に姿を現すわけで、今ヶ瀬が次の朝にたとえ消えていたとしても、すぐに戻ってくることは当然のように思えてしまうのだ。大伴はふたりの関係はいつまでも終わらないと感じていたんじゃないだろうか。
だから大伴はたまきとの再婚の約束を反故にしてまで、フリーになり今ヶ瀬を待つことになる。しかし今ヶ瀬のほうはと言えば、ほかの男性と付き合いながらも大伴のことを想い泣きじゃくっているところからすると、二度と会うつもりはないのだろうと思う。自分から身を退くことで、大伴の心の中に特別な存在として残ろうという意図だったんじゃないだろうか。
劇中では『オルフェ』で最後に王女がある行動をする前のシーンが引用されている(「これからする事を理解しようとしないで」という字幕が見える)。王女は自らが犠牲になることで、永遠の愛を誓った瞬間を自らの胸に刻みつける。今ヶ瀬は王女とは逆に、ふたりの関係が終わらないように思わせることで、大伴の心の中に永遠の愛のような何かを刻もうとしていたのではないだろうか。
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