『チィファの手紙』 舞台が変われば何が変わる?

外国映画

『リリイ・シュシュのすべて』『リップヴァンウィンクルの花嫁』などの岩井俊二が中国で製作した2018年の作品。

今年の初めに公開された『ラスト・レター』と同じ原作をもとに製作されたもの。

物語

若くして亡くなったチィナンの葬式が終わった後、妹のチィファ(ジョウ・シュン)はチィナンの元に届いていた同窓会の手紙を受け取る。後日、チィファはチィナンが亡くなったことを知らせるために同窓会へと出向くのだが、チィファは学校のマドンナだったチィナンと勘違いされ、姉の死を言い出すことも出来ずに帰ってきてしまう。

同窓会の場にいたイン・チャン(チン・ハオ)は、実はチィファの初恋の人。チィファはチィナンと勘違いされたままイン・チャンとあいさつを交わし、メールアドレスなどを交換することに……。

製作の経緯

上に記した物語の概要は『ラスト・レター』のものをコピーして、役名などを変えただけのもの。というのも、本作は『ラスト・レター』と同じ原作を映画化したものだから当然とも言えるわけだが、『チィファの手紙』のほうが『ラスト・レター』のリメイクなのかと思っていたのだが、実際には『チィファの手紙』のほうが先に製作され、中国ではすでに2018年に公開されていたとのこと。

そもそものきっかけは中国でも人気があるという岩井俊二は、その人気のきっかけとなったLove Letterのリメイクの話を受けることが多かったのだとか(中国では日本の10倍のファンがいるとか)。ただ、自分の作品をほかの人に任せるよりも、自分でやったほうがいいと岩井俊二は考えたようだ。

しかし、現在は『Love Letter』が製作された1995年とは時代が異なるわけで、『Love Letter』において重要な要素となる手紙を書く人そのものがかなり少ない。そこで主人公がスマホを水没させて使えなくするという状況を作り、手紙が間違った人に届いてしまうということを起点にした、『Love Letter』のリブート作品のような『チィファの手紙』が出来上がったということになる。

(C)2018 BEIJING J.Q. SPRING PICTURES COMPANY LIMITED WE PICTURES LIMITED ROCKWELL EYES INC. ZHEJIANG DONGYANG XIAOYUZHOU MOVIE & MEDIA CO., LTD ALL Rights reserved.

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中国での映画撮影

岩井俊二はすでに『ヴァンパイア』で海外(カナダ)で撮影した全編英語の作品を撮っている。本作も中国を舞台にしていて、全編中国語の作品である。だからこの作品は中国映画という扱いになるのだろう。

海外で映画を撮影することは岩井俊二にとっては、重要な意味を持つようだ。日本の中だけで生きていくことは、その特殊性の中に浸かることになり、外に出ないとそのことに気づくことがない。その意味で海外での映画製作が、より日本のことを知るきっかけにもなるという意識があるようだ。

それに加え、岩井俊二は新しいことに挑戦することが好きなのだろう。コロナ禍での不自由な撮影状況を利用してリモートで完成させた『8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版』にもそうした姿勢が表れていたが、本作は『ラスト・レター』と同じ原作を用いながらも、中国という舞台に合わせて細部を変えるローカライズが意識されたものとなっている。

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ふたつの作品の差異

ふたつの作品の差異として挙げるとすれば、まずは季節の設定が異なる。『ラスト・レター』は夏の時季となっていて、大人になった鏡史郎がかつての未咲と裕里の生まれ変わりのような少女と遭遇する場面が鮮烈な印象を残した。夏の強烈な日差しの中へ白いワンピース姿のふたりの登場する瞬間は、久しぶりに郷里に戻った鏡史郎が一気に過去へとタイプスリップしたかのような感覚を抱かせるのだ。一方『チィファの手紙』においては、季節は冬になっていて、イン・チャンがチィナンとチィファの生まれ変わりの少女と遭遇する場面はさらりと流されているようにも思えた。

『チィファの手紙』においてより特徴的に思えたのは、そのノスタルジックな雰囲気だろう。というのは回想場面は両作とも1988年を舞台としているわけだが、日本の1988年と中国の1988年では趣きが異なるからだ。『ラスト・レター』は回想場面において目立つのは、登場人物が学生時代ということもあって制服に身を包んでいることくらいで、現在時との差異はあまり感じられない。しかし『チィファの手紙』においては、回想場面の街並みはまだ発展していない昔の雰囲気を残している。中国はこの約30年の間に急速に近代化したこともあり、回想場面がよりノスタルジックなものと感じられ、時代の変遷を意識させることになる。

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ローカライズ

それから『チィファの手紙』において一番中国の事情を考慮してローカライズされているのは、チィナンの息子の役割が大きくなっているところだろう。この息子は自殺してしまった母親チィナンのこともあり、「なぜ人は死ぬのだろう」などと悩むことになるのだが、ここには中国の「一人っ子政策」の影響があるのだとか。正直に言うと、日本人の私としては、このエピソードが『ラスト・レター』にはないものだとは気付いたけれども、その背景に関しては理解していなかった。

中国では1979年から2015年まで「一人っ子政策」が実施されていて、その政策に違反した者には罰金が科せられていた。『チィファの手紙』のチィナンの息子は、その政策が廃止される前の子供であり、ムームー(ダン・アンシー)という長女の次に生まれた二人目の子供であるわけで、自分のことを余計な存在だと感じていたということになるのだろう。

恐らく中国においてはそうしたことはよくあることであって、中国において『チィファの手紙』を上映するならば、特段の説明がなくとも理解されるであろう心情なのだ。このあたりがローカライズすることの大切さで、そのことによって特定の国の観客により親しみのある作品になるということなのだろう。

私は『ラスト・レター』を観た時のレビューに、何度も登場する川の水の流れが東日本大震災における津波を思わせると感じていたのだが、これは日本という国に合わせてのローカライズということだったのだろう。『チィファの手紙』においてはそうした川の流れは一切出てこないわけで、日本の事情に合わせて作品をカスタマイズした結果が、ふたつの作品の違いとなって表れているということなのだ。

『チィファの手紙』は、さすがに同じ話ということもあり『ラスト・レター』を観た人にとっては驚きには欠けるかもしれないが、見比べてみるのもおもしろいかもしれない。それからあまり普段は見ない中国の役者陣も新鮮だったし、美少女枠のダン・アンシーはいかにも岩井俊二が好きそうな端正が顔立ちだったと思う。

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