『TENET テネット』 眩惑か困惑か

外国映画

『ダークナイト』『インターステラー』などのクリストファー・ノーランの最新作。

原題の「TENET」は、ラテン語による回文「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」から採られたもの。

一体何が起きている?

全体を要約すれば「第三次世界大戦を阻止する物語」となるのだろうが、観た人がそんなふうに思えるのかどうかはわからない。『TENET テネット』は物語を複雑にして、主人公の名もなき男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)と同じように観客を五里霧中の状態に置こうとしているかのようでもあるからだ。

冒頭、観客はオペラハウスを舞台にしたテロで一気に出来事の真っ只中に放り込まれるのだが、わけもわからないままにその作戦は間違っていたとされ、主人公は捕らえられて拷問を受け、自決薬を飲むことになる。しかし、それは単なる睡眠薬であり、主人公は新たな作戦に取りかかることになるわけだが、その間ほとんど説明もないままに突っ走るかのように展開していくのが本作なのだ。

この設定は主人公と観客を同じ立場に置くのと同時に、観客への挑戦めいてもいて、複雑な展開を解明したいというファン心理も突いている。コロナ禍でほかの大作が公開延期をしたりもしているなかで、『TENET テネット』は熱心なファンのリピート鑑賞を当てにしているところもあるのかもしれない。かく言う私も一度では何だかよくわからずに、すでに二度目を観てきてしまったわけで、そういう意味でノーランの術中にはまってしまったと言える。

とにかく一度観ただけでこの作品のすべてを理解するのは無理というもので、ソフトが発売されたなら何度も繰り返し再生して細かい部分をチェックしてみたくなる作品と言える。ちなみにノーランは本作の「脚本の練り直しに6、7年は掛けている」とのことだから、様々なことが詰め込まれ、綿密に組み立てられた作品になっているということなのだろうと思う(私はまだよく理解できていないのだが)。

(C)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

時を遡る

主人公の名もなき男が課せられるのは第三次世界大戦を阻止するという計画だが、実際には第三次世界大戦はまだ起きていないわけで、その計画自体は未来の誰かのものということになる。未来の誰かが現在に干渉してきているということだが、タイムトラベルものというジャンルからすれば、このこと自体は珍しいことではない。ただ、時間の遡り方は独特なものがある。

たとえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ターミネーター』のようなタイムトラベルものの場合、ある時点へ一気にタイプリープする形になるのが一般的だろう。それに対して本作はまさに時間の流れを遡ることになり、何カ所かに設置されている回転扉を通って逆行の側(?)に移行し、時間が遡るのを待つことになる。だから1年前に戻るためには、1年の時間がかかることになる。

さらに本作を奇妙にしているのは、同じ空間にも関わらず、「順行」と「逆行」の両方の現象が同時に進行しているという状況だろう。世界は同じでも、個々を支配している原理が異なるということだろうか。科学的な説明としては「エントロピーが減少する」云々の台詞もあるわけだが、それだけで原因と結果が逆転するようなことが起きるのかどうかは私にはわからない。

普通に生きている人間(つまり順行)からすると、逆行している人間は後ろ向きに歩いているように見えるし、銃弾は壁から飛び出して元の弾倉に戻ることになる。だから順行の人間と逆行の人間がカーチェイスをすると、逆行側の車は後ろ向きに走っているように見えることになる。これが予告編でも使用されている本作の見せ場の一つであるカーチェイスのシーンということになる。

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時にこだわる男

クリストファー・ノーランの出世作でもあり、日本で初めて紹介されたノーラン作品でもある『メメント』は衝撃的な作品だった。すでに『メメント』でも時間という要素は決定的なものとなっていて、ここでもノーランは時間を遡るという試みをしている。

なぜ時間を遡らなければならないかと言えば、『メメント』の主人公は前向性健忘という病で、約10分しか記憶が続かないからで、観客もその主人公と同じように、時間を遡ることで“ある瞬間”に辿り着くことになる。

通常の人間ならば、自分がやってきたことを忘れてしまうということはない(認知症のお年寄りでもない限り)。しかし、この主人公の場合は病気のために、10分経つと自分が何をしているのか、どこにいるのかということも、さらには自分が誰であるかすら見失ってしまう。自分の状況を把握するには、過去の自分の体験すべてが記録された映像があるならば、それを逆再生で見ていけばいいことになる。それによってどこで誤ったか、どこで騙されたかが判明する。

ただノーランは『メメント』の時点では、映画のすべてを逆再生しようとはしなかった。なぜかと言えば逆再生は理解が難しいからではないだろうか。すべてが逆回しの映画では、人間は後ろ向きに歩き、言葉は逆再生となり意味をなさないことになるだろう。

もちろんノーランはそれを理解していたからこそ、10分という単位で時間を分割し、一度10分前の時間に戻ってそこから再生(順行)し、さらに20分前に戻って再生(順行)し、ということを繰り返していったわけだ。全体で見れば時間を遡っている(逆行している)わけだが、10分という単位では順行して物語ることになるわけだ。観客は今の10分が、その前の10分よりも過去(前)に位置すると補正しながら『メメント』を観ていくことになる。つまりはノーランは逆再生ではわかりづらいと判断し、10分ずつに区切って順行で描くことを選んでいたということだ。個人的にはこれは画期的なアイディアだったと思う。

しかし『TENET テネット』ではその先を行く。通常から見れば逆再生に見える「逆行」を取り入れた物語になっているからだ。ノーランは今こそ時代は俺に追いついたと思ったのか、今なら逆行する人間を描いても観客にも理解されると踏んだのかもしれない。

ただ、この試みは普通の人間には理解が追い付かないところがあるんじゃないかと思う(とりあえず私には早すぎたのかもしれない)。というのは、「逆行」することを体験したことがある人間はいないわけで、それを理解するのは感覚的に難しいように思えるからだ。たとえばまったく観たこのない映画をエンドクレジットから観始めたとして(しかも台詞は字幕で追えるとして)、その映画を理解できるものなのだろうか。やったことがないからわからないが、いちいち原因と結果を逆転させて頭で補正しなくてはいけず、物語を追うことが難しいんじゃないだろうか。

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幻惑か困惑か

冒頭のオペラハウスでは主人公は何者かに逆行の弾で助けられることになるのだが、それは一体どういうことなのか考え出すとそれだけでも混乱してくるのだ(すでに銃弾は発射されているのに相手はまだ撃たれてないとは?)。

順行の世界から見たものと、逆行の世界から見たものは逆転してくるということなんだと思うし、カーチェイスとオスロ空港での格闘などは両方の側からそれを見せてくれるわけで、それなりに発見もある。実はマスクを被っていた男は主人公自身だったというのがオチと言えばオチなのかもしれないのだが、結局は同じことを二度繰り返して元に戻ってしまったような感覚にも陥る。

原因と結果の連鎖が映画をラストへと導いていくのだとすれば、本作はその後に結果から原因に遡ることになり、どこにも辿り着かないような気にもなってくる。つまりは円環構造をなしているとも言え、これはタイトルに選ばれた「TENET」が、回文ということからしても意図的なものだが、主人公が同じところを回っているようにも思え、たとえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にあったようなカタルシスとは縁遠いだろう。

クライマックスのスタルスク12での挟み撃ち作戦では、順行と逆行があちこちで入り乱れ、ビルが爆破されたり再建築されたり、とんでもない事態になっている。さらに混乱するのはこの場面でニール(ロバート・パティンソン)は一体何人いるのかということであったりもする。逆行してきた人間が回転扉から順行の側に移ると、同じ人間が同じ場所に同時に存在するということが生じるらしい。それをあの混乱の中で理解するのは到底無理なわけで、やはり何度か鑑賞しなければわかった気になることもできない代物なのだ。

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本作は150分もあるのだとか、まったく知らずに観ていたのだが、そこまで長い作品とは思えなかった。その意味では引き込まれるものがあるのだが、一体何が起きているんだろうかという感覚は最後までぬぐえなかった。順行で生きる人間にとってはちょっと異次元の体験なのかもしれない。

『インセプション』の街がグニャリと変形していくアレは、映像を見ていれば感覚的にわかるし単純におもしろい。しかし、逆行と順行が入り交じる世界は奇妙で見たこともない世界だが、それを頭で理解しようとしてもすんなりとはいかないようだ。『インセプション』に眩惑されたとすれば、『TENET テネット』には困惑させられたというのが正直な感想になる。それでも理解できないままなのも悔しいから、ソフトが発売された際にはもう少しゆっくりとアレコレ吟味してみたいとも思う。

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