『あのこと』 なぜそこは地獄に?

外国映画

原作は今年ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの小説「事件」

監督・脚本は『Mais vous êtes fous』のオードレイ・ディヴァンで、本作は監督としては第2作。

原題は「L’evenement」。

本作はヴェネチア国際映画祭では金獅子賞を獲得した。

物語

アンヌの毎日は輝いていた。貧しい労働者階級に生まれたが、飛びぬけた知性と努力で大学に進学し、未来を約束する学位にも手が届こうとしていた。ところが、大切な試験を前に妊娠が発覚し、狼狽する。中絶は違法の60年代フランスで、アンヌはあらゆる解決策に挑むのだが──。

(公式サイトより抜粋)

なぜ今?

『あのこと』の舞台は60年代のフランスだ。主人公のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は大事な試験を前にした大学生だが、そんな時に妊娠が発覚する。この時代のフランスでは法律で中絶が禁止されている。かといって、学業をあきらめて出産をするということは、人生と引き換えに子供を選ぶことになるわけでそれもできない(大学生=エリートという時代だったのだ)。アンヌはたった一人の闘いを強いられることになる。

本作が描こうとしていることが次第にわかってきて私が最初に感じたのは、「なぜ今、この作品が作られる必要があるのか?」という疑問だ。現在のフランスでは出産や中絶にかかる費用はすべて保険で賄われることになっているとのことで、わざわざ昔の話を持ってきてそれを映画化する必要性はあるのかという疑問が湧いたのだ。

当然ながら製作する側もそれは考えていたようで、監督のオードレイ・ディヴァンは本作の映画化を検討していた時にプロデューサーから同じ疑問を投げかけられていたようだ。

まずは「中絶は女性の権利」ということは今では当たり前のことにも感じられるけれど、それが世界的な趨勢とまでは言えないということがあるのだろう。たとえば『17歳の瞳に映る世界』で描かれていたように、アメリカでは州によっては中絶が禁止されているため、主人公はわざわざ都会にまで出かけなければならなかった。

そしてさらには「中絶は女性の権利」という動きに対するバックラッシュ(揺り戻し)も起きているらしい。アメリカでは中絶を違法にする州が増えてくることが予想されているのだという。そんなわけで上の記事にあるように、女性の権利は未だに一進一退という危なっかしい状況にあるとも言えるということだ。

だからこそ本作は、今、作られるべき映画ということになる。アンヌは中絶を巡って“地獄巡り”とも言うべき12週間を過ごすことになるわけだが、観客はこんな地獄を体験したあとでも「中絶は禁止」などと言い切れるのか。本作が狙っているのはそういう啓蒙活動ということになる。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

啓蒙のための方法論

本作のアスペクト比は1.37:1という、いわゆるスタンダードサイズだ。左右の幅がとても狭い。そのサイズでカメラはアンヌの姿をクローズアップで描いていくことになる。監督曰く「カメラはアンヌ自身になるべきで、アンヌを見ている存在であってはならない」ということで、観客もアンヌ自身となってアンヌが体験する地獄を味わうことになる。

特にそれが強調されるのは、中絶のために編み棒をアソコに入れる場面が、アンヌがちょうど自分の身体を見下ろす形で撮られているところだろうか。後半で闇医者に中絶手術を施してもらう際も、同じスタイルで撮られている。

これは『17歳の瞳に映る世界』において、手術の際にカメラが主人公の横からその表情を狙っていたのと比べると、本作が観客に主人公の苦痛や恐怖を体験させることを意図していることがよくわかるシーンとなっている。カメラはアンヌのことを映しもするのだが、それ以上にアンヌの目線になっているからこそ、観客はアンヌの体験する地獄巡りを味わうことになるわけだ。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

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12週間の地獄巡り

本作はアンヌに起きたことを時系列に従って追っていくことになる。これもアンヌ自身を体験させることにつながっている。今が妊娠してから何週目なのかということが示され、それが12週目まで続くことになる。

アンヌは医者から妊娠を告げられると、「助けてください」と懇願する。これはもちろん中絶を意味するわけだが、中絶は法律で禁止されていて、協力した者も罪に問われることになるために医者は何もしてくれない。「妊娠してしまったら終わり」という台詞もあるけれど、その時点で女性に選択肢はなくなり、産むことしか認められない状況に陥ってしまうのだ。

また、子供の父親もちょっとだけは登場するものの、うろたえるだけで何か協力してくれるわけではなくまったく頼りにならない。そして、いつも一緒だった友達すらも、アンヌが中絶を画策していると知ると距離を取るようになる。

時代的には本作よりちょっと前の話となるけれど、同じようにフランスでの中絶を題材とした作品として『主婦マリーがしたこと』(クロード・シャブロル監督、イザベル・ユペール主演)がある。この作品のマリーは違法な中絶手術をする側の立場だが、マリーのような人たちがどんな最期を迎えることになったのかということは、フランスでは周知のことだったのだろう。だからこそそれに巻き込まれることの恐ろしさも理解しているわけで、アンヌは誰にも頼ることが出来ずに一人で状況に立ち向かうしかなくなっていく。

ようやく見つけた闇医者のところで中絶の処置をしてもらい自分の部屋に戻ったアンヌは、痛みにのたうち回ることになる。そして、大量の血を流し、命が危険な状態にまで陥ることになる。本作で描かれるこのあたりの描写は同じ題材を扱った『4ヶ月、3週と2日』以上に衝撃的だったし、ある種のホラー映画のようにおぞましいものがある。けれどもそれは、中絶を違法としたことで女性がどんな地獄を味わうことになるのかということを改めて示すために必要だったということなのだ。

(C)2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – WILD BUNCH – SRAB FILM

なぜ地獄が生じたのか?

アンヌは極めて優秀な学生だが、一方でセックスに関しても積極的に見える。だから寮の中では保守的な女性たちから反感を買ったりもする。それでも本作が女性の欲望というものに対して肯定的であるところは、60年代を舞台にしていても現代に通じるものがある。

本作ではアンヌが一人で闘いを強いられることになるけれど、それはたまたまアンヌだったというだけに過ぎない。アンヌといつも一緒だったエレーヌ(ルアナ・バイラミ)は、自分もセックスを楽しんでいて妊娠しなかったことはたまたまだと告白する。エレーヌがアンヌと同じ立場になる可能性もあったということが示されるのだ。女性なら誰でもアンヌのような地獄巡りをさせられる可能性があるということだ。

それと同時に“あのこと”は男性側の問題でもあるということも示される。アンヌが妊娠を知った時に発したのは、「不公平」という言葉だった。これは同じように快楽をむさぼりつつも知らん顔の男に対してのものだろう。後始末をさせられるのは女性だけで、それにも関わらず女性には選択肢がまったくないというのはどういうことなのか。そんな怒りがその言葉につながったということだろう。

このレビューでは“地獄巡り”という言葉を何度も使ったけれど、アンヌがいたのは別に地獄ではない。アンヌをそんな絶望的な状況へと追いやったのは「中絶は禁止」としてしまった社会ということになる。

子供を作る夫婦以外はセックスしないということを厳格に守るならば別なのかもしれないけれど、そんなことは無理なわけで女性が望まない妊娠をしないためには男性側の理解と協力が必須ということになる。しかしそれでも望まない妊娠がゼロになるわけではないだろう。その場合も「中絶は禁止」などとして、“あのこと”を見えない場所へ押しやることが間違いだということは、本作が如実に示している。もちろん中絶を積極的に勧めるわけではないけれど、中絶という選択肢もなければならないし、そんな境遇に陥った女性たちを社会の中でケアしていかなければならないということだろう。

学生寮のベッドの上で誰の助けも呼べずにのたうち回るアンヌを体験した観客としては、そんなことを感じざるを得ないのだ。女性の権利に対するバックラッシュというものがたとえ一部であったとしても起きているとするならば、60年代のフランスを描いた本作は今こそ観るべき映画となっていると言えるかもしれない。

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