『オフィーリア 奪われた王国』 女性を救え!

外国映画

シェークスピアの傑作として名高い『ハムレット』を、オフィーリアの視点から描いたという作品。

監督はクレア・マッカーシー

Netflixオリジナル作品として、5月1日より配信中。

物語

デンマークの王子ハムレット(ジョージ・マッケイ)と恋に落ちたオフィーリア(デイジー・リドリー)。しかし、王であったハムレットの父親が蛇に噛まれて死ぬという事故が起き、状況は変わっていく。実はその事故は、新しく王となったクローディアス(クライヴ・オーウェン)による毒殺であることが判明するからだ。

ハムレットは亡き父の敵・クローディアスを討つために策を練るのだが、オフィーリアの父親はクローディアスの右腕ということもあり、その争いに巻き込まれることになっていく。

見どころ

冒頭でオフィーリア自身の言葉によって語られるように、彼女の物語は誰でも知っているし、すでに神話のように扱われている。それは『ハムレット』という戯曲がシェークスピアの傑作の一つであるとされているからでもあるのだろうし、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画のイメージもそれに一役買っているからでもあるんじゃないだろうか。

ジョン・エヴァレット・ミレー作 『オフィーリア』

私自身が最初にオフィーリアの物語を知ったのは、夏目漱石『草枕』において度々言及されていたからなんじゃないかと思う。『草枕』の主人公の画工は、ミレーの描いたオフィーリアに心酔していて、「余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい」と意気込んでいる。

そして、その『草枕』の文庫本の解説には、ミレーの絵画の写真も掲載されていたわけで、オフィーリアが水に浮かびつつ流れていく様子は、その小説以上に記憶に残っている。

ちなみにローレンス・オリヴィエの『ハムレット』(1948年)も、ケネス・ブラナーの『ハムレット』(1996年)でも、この絵画を参考にしているようだ。『オフィーリア 奪われた王国』でも、その色合いすら絵画そっくりのとても美しいシーンを見せてくれる。そのあたりは一番の見どころだろう。

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オフィーリアとは?

『ハムレット』におけるオフィーリアは、その悲劇の中心にある人物で、愛を誓っていたハムレットに冷たくあしらわれ、さらに父親を殺されることになり、狂気に陥って死んでいく。ハムレットは父王の死について探るために、自ら狂気を装うことになるわけだが、だからといってオフィーリアまで騙すことはなかったんじゃないかと思えなくもない。

しかもハムレットはオフィーリアが死んだ後になって、「オフィーリアを愛していた」などと語り出すものだから、狂気を装っているという点すらあやしく思えてくる。フリのつもりが本当に狂気に囚われてしまっているようにも見えるからだ。とりあえず言えることは、オフィーリアが王家の争いに巻き込まれてしまった悲劇のヒロインの最たるものだったということだろう。

Netflixオリジナル作品『オフィーリア 奪われた王国』 5月1日より配信中

黒澤明の『ハムレット』解釈は?

ところで黒澤明『蜘蛛巣城』『乱』などでシェークスピアの戯曲の映画化しているが、『悪い奴ほどよく眠る』はあまりわかりやすくはないが『ハムレット』が下地になっているのだという。『悪い奴』では、『ハムレット』のオフィーリアに相当する役なのが香川京子演じる佳子で、ハムレットは三船敏郎演じる西ということになる。

『悪い奴』では、西は汚職事件の責任を負わされる形で自殺させられた父親の敵討ちのため、敵の懐に潜り込むことになる。その敵の娘が佳子で、西は佳子を踏み台として利用するつもりが、いつの間にかにほだされる形になってしまう。そんな時、西は「悪を憎むのは難しい。憎しみをかき立てて俺自身が悪にならなきゃ出来ない」と語る。

ハムレットたる西は、自分の復讐を貫くことの難しさを痛感しているわけだが、一方の本家のハムレットはそのあたりに悩んでいたようには見えない(ほかのことではアレコレ悩んでいるのだが)。黒澤明がハムレットの“非道さ”を憎んでいたのかどうかはわからないが、オフィーリアに対する仕打ちが酷いものと考えていた可能性はあるのかもしれない。

大胆な改変の意図は?

そんなわけで、ハムレットから酷い仕打ちを受けて死んでいくオフィーリアを救い出そうというのが、本作の意図と言えるのかもしれない。タランティーノが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、悲劇のヒロインとなってしまったシャロン・テートを救い出したのと似たようなものかもしれない。

本作は女性が中心となって製作された作品だ。原作者も女性だし、脚本家も監督もみんな女性とのこと(衣装が華やかでかなり凝っているように見えるのも、女性ならではこだわりだろうか)。『ハムレット』においては、恋人であるハムレットや父親の思惑に翻弄され、王家の争いごとの犠牲となる形のオフィーリアは、本作においては自分の意志で事態を切り抜けようとする。

『ハムレット』と異なる点としては、オフィーリアはハムレットが狂気を装っていることを共有している点が挙げられる。だから「尼寺(修道院)へ行け」と突き放されても、ハムレットの真意を知っているわけで、オフィーリアはハムレット同様に、狂気に陥ったフリをすることになる。また、途中からは『ロミオとジュリエット』的なエピソードも加えられている。ふたりはこっそり結婚し、オフィーリアは毒薬で一時仮死状態になり、それによって窮地を脱し、生き延びることになる。

Netflixオリジナル作品『オフィーリア 奪われた王国』 5月1日より配信中

そのほかのキャラとしては、『ハムレット』においては誤って毒を飲んで死んでしまうガートルード王妃(ナオミ・ワッツ)は、本作ではクローディアスを刺し殺して死んでいく。女性キャラはそんなふうに積極的に自分の意志を貫くのに対し、ちょっと軟弱に見えるハムレットを中心にして男性キャラは不甲斐ない印象でもある。

オフィーリアは、その後、別人の姿でハムレットの前に姿を現すのだが、ハムレットが未だに復讐に執着しているのを知ると、あっさりとハムレットに別れの言葉を残して去っていく。そして、別の場所で父のいない子供を産むことになる。オフィーリアは男などいなくても生きていける強い女性なのだ。

こんなふうにあからさまにフェミニズムを意識した改変のために、もともとの戯曲とはかなり違うものとなってしまっている。かといって、その改変が映画をおもしろくしているようにも思えない。本作ではハムレットの有名な台詞「To be or not to be, that is the question.」すら出てこないわけで、『ハムレット』の映画化というよりはスピンオフ作品みたいに楽しむべきなのかもしれない。

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