『ピーター・パン&ウェンディ』 不健全な男たち

外国映画

監督・脚本は『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』『グリーン・ナイト』などデヴィッド・ロウリー

4月28日よりDisney+にて配信中。

物語

幼い頃から過ごした家を離れたくない少女ウェンディ・ダーリングは、大人になることを拒む少年ピーター・パンと出会う。兄弟たちや小さな妖精ティンカー・ベルとともに、ウェンディはピーターに導かれ、魔法の世界ネバーランドへと旅立つ。そこで彼女は、邪悪な海賊フック船長に立ち向かい、人生を永遠に変えるような胸躍る冒険へと乗り出す。

(公式サイトより抜粋)

比べてしまうと……

ピーター・パンの名前は誰でも知っているし、緑色のタイツを履いた少年が飛び回る姿もイメージできる。それでも実際にどんな話なのかは知らない人も多いのかもしれない。

ピーター・パンを主人公とした映画はいくつもあるらしいのだが、私が観ているのは『PAN ~ネバーランド、夢のはじまり~』くらいで、多くの人に親しまれているらしいディズニーのアニメ版『ピーター・パン』すら観ていない。しかも『PAN』のほうはピーター・パン誕生の前日譚ということで、結局ピーター・パンについてはほとんど何も知らないと言ってもいい。

そんな素人として『ピーター・パン&ウェンディ』を観たわけだが、序盤からテンポよく展開していくし、後半の空に浮かんだ船の上でのスペクタクルもなかなか楽しかったと思う(ひっくり返った船の中での戦いは『ザ・フライ』みたいだった)。

ただ、これはあくまでアニメ版を知らない者が本作を単体で観た時の感想ということになる。というのも、私は本作鑑賞後にアニメ版も観たのだが、この二つを並べて比較してしまうと、やっぱりアニメ版は楽しさという点では断然優れているようにも感じられてしまうのだ。

(C)2023 Disney Enterprises, Inc.

リアルなキャラと妙な配慮

そんなわけで本作はアニメ版に親しんでいるファンにとっては評判はよくないようだ。

物語の展開はアニメ版にかなり忠実だ。明日から寄宿舎に入ることになっているウェンディ(エヴァー・アンダーソン)は「大人になりたくない」と感じている。そんなところへピーター・パン(アレクサンダー・モロニー)と妖精のティンカー・ベル(ヤラ・シャヒディ)が現れ、ウェンディとふたりの弟たちをネバーランドへ連れて行ってくれることになる。

しかし、物語はアニメ版に忠実でも、キャラクターは実写に合わせてリアリズムに徹したところもあり、その意味でアニメ版の楽しさを損なっている部分がある。

一番わかりやすいのは番犬のナナで、アニメ版ではウェンディやその幼い兄弟の乳母として、犬なのに彼らを甲斐甲斐しく世話をしているのだが、実写では単なるペットになってしまっている。それからフック船長の片腕と一緒に時計を飲み込んでしまったというチクタクワニも、実写版ではパニックムービーに登場する猛獣みたいな扱いになってしまっていて、マンガチックなおもしろさに欠けているのだ。

さらにもうひとつ評判がよくない部分に触れておけば、ティンカー・ベルの見た目が金髪の白人風ではなく有色人種風のキャラに変更されているところになるだろう(演じているのはヤラ・シャヒディ)。これもファンからは不評を買っているらしい。ディズニーとしては、かつての『ピーター・パン』での赤い肌をしたインディアンの描写などが差別的だという批判もあったことから、ポリティカル・コレクトネスに配慮したということなのだろう。

しかしながら、ファンに不評なのは人種が変更されたことよりも、ティンカー・ベルのキャラクターそのものが改変されて魅力的ではなくなってしまっているからなのかもしれない。アニメ版のティンカー・ベルはかわいらしい妖精でありながら、ウェンディに嫉妬しているという役柄で、ウェンディに対しては意地悪なことをしてみたりもする。そういう部分がティンカー・ベルの愛らしいところだったのに、本作のティンカー・ベルは単に人がいい感じになってしまっていて、かえって魅力を損なってしまっている。

そういうわけで、本作は単体で観たらそれなりに楽しいわけだけれど、アニメ版と比較すると魅力的な部分が損なわれてしまっているようにも感じられてしまうのだ。

(C)2023 Disney Enterprises, Inc.

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大人になることの難しさ

それでは本作はかつての名作アニメを実写にしただけで、独自の部分は何もないのかと言えばそんなことはない。本作はピーター・パンとフック船長(ジュード・ロウ)の関係がアニメ版よりも詳しく描かれている。

いわゆる“ピーターパン症候群”と言われるものは、精神的に大人になれない人のことを指すものとされる。これは“症候群”などと言われているわけで、健全ではない状態のことを指している。ピーター・パンは大人になりたくなくてネバーランドという夢の世界の中に引きこもっている存在で、それは当然健全とはかけ離れているというわけだ。

ただ、アニメ版においてはピーター・パンの否定的な側面はあまり強調されているわけではない。アニメ版のラストでは現実的なウェンディの父親が、かつての子供時代の夢を思い出したという終わり方になっていて、子供の頃の冒険は懐かしいものとして肯定されているようにも感じられるからだ。

(C)2023 Disney Enterprises, Inc.

それに対して本作ではフック船長の存在によって、より一層大人になれない男たちの不健全な姿が強調されることになる。フック船長はかつてジェームズと呼ばれていて、ピーターの親友だったという。ところがある時を境にフック船長はネバーランドを去ることになる。これはフック船長から言わせると、ピーターから追い出されたということになる。

ピーターはネバーランドという夢の世界でいつまでも子供のままでいることを望んでいる。「家に帰ったら楽しい冒険は終わる。あとは大人になるだけ」と考えているのだ。それに対してフック船長は母親に会いたいという思いもあり、あるいはいつまでもそのままではダメだと考えたのか、一度はネバーランドを去ることになる。ところがフック船長はネバーランドに戻ってきた時には邪悪な人間になっていたのだという。

ピーターはネバーランドという夢の世界の中に引きこもりたい。一方のフック船長は、それではいけないと判断して外界の世界を旅することになったけれど、現実世界の厳しさが彼を悪に堕すことになってしまったということなのだろう。

ピーターは「大人になりたくない」存在であり、一方のフック船長は「大人になり損ねた」存在ということになる。どちらも大人になれていないわけだけれど、その段階には違いもある。男が大人になるということは意外と難しいということだろうか。

ウェンディはそんなふたりがネバーランドで延々と無邪気に戦いを繰り広げる姿を見て、我が身を振り返ることになるというわけだ。ウェンディは大人になることこそが一番の冒険だと悟ることになるのだ。

本作のラスト近くでは、ピーターがフック船長の片腕を切ってしまったことを謝罪したりもしている。もしかしたらこれは大人になるための第一歩なのかもしれないわけで、本作はピーター・パンの物語に新しい要素を付け加えているということも言えるのかもしれない(尤も、こうした要素はもともとの原作戯曲にはあったものなのかもしれないけれど)。

(C)2023 Disney Enterprises, Inc.

緑に対するこだわり

そもそも私が本作に興味を抱いたのはデヴィッド・ロウリーの最新作だからだ。デヴィッド・ロウリーはディズニーとの仕事は初めてではなく、『ピートと秘密の友達』というファンタジー作品も撮っている。しかしその一方では『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』『グリーン・ナイト』のようにアート系の作品も手掛けているわけで、その振れ幅が奇妙でもある。

ディズニー作品はもしかすると雇われ仕事なのかもしれないけれど、その一方で緑色に対するこだわりみたいなものは前作の『グリーン・ナイト』でも感じられたわけで、デヴィッド・ロウリーとしてはアート系の作品もファンタジーもあまり関係ないということなのかもしれない。

『ピートと秘密の友達』ではドラゴンの色合いがなかなか鮮やかな緑色だったのも印象的だし、『グリーン・ナイト』の青銅のような騎士の色合いにもとてもこだわりが感じられた。そして『ピーター・パン&ウェンディ』では、ピーター・パンはアニメ版と同様の深い緑色なのは当然として、ウェンディが着ているコートもエメラルドグリーンになっているし、夜の暗いシーンなんかも全体的にどこかで緑がかって見えた。そのあたりはデヴィッド・ロウリーなりの美意識が貫かれているような気もして、それなりに興味深く観ることができた。

本作はDisney+での配信のみでの公開ということらしい。GWはどこも混んでいるし、自宅のテレビで家族みんなで観るとしたらとてもお得で気軽に楽しめる作品になっているんじゃないだろうか。もちろんDisney+ではオリジナルのアニメ版も観られるし……。

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