『12日の殺人』 未解決事件に翻弄される

外国映画

監督は『悪なき殺人』などのドミニク・モル

フランスのアカデミー賞とも言えるセザール賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞をはじめ6冠を受賞した。

原題は「La nuit du 12」で、「12日の夜」という意味。

物語

2016年の10月12日の夜、グルノーブル署で、引退する殺人捜査班の班長の壮行会が開かれていた頃、山あいのサン=ジャン=ド=モーリエンヌの町で、21歳の女性クララが、友人たちとのパーティの帰り道、突如何者かにガソリンをかけられ火を放たれた。そして、無残にも彼女は翌朝焼死体で発見される。すぐに後任の班長ヨアン(バスティアン・ブイヨン)率いる新たな捜査チームが現場に駆けつける。クララが所持していたスマートフォンから、彼女の素性はすぐに明らかになった。

(公式サイトより抜粋)

凄惨な殺人事件

本作は実際に起きた事件をもとにしているのだとか。被害者となったクララ(ルーラ・コットン=フラピエ)は、近くに住む友人宅からの帰りに何者かにガソリンか何かをかけられ、生きたまま焼き殺されたのだ。

主人公である殺人捜査班の班長ヨアン(バスティアン・ブイヨン)は、被害者のスマホから彼女の素性を特定し交友関係を当たることになる。ところがクララは交友関係がとても広い女性で、次々と疑わしき人物が出てくることになる。

劇中でも使われている言葉で言えば、クララは“尻軽な”女性ということになるのかもしれない。ヨアンたち警察がクララが彼氏だと認識していた男と話をしてみると、その男にとってクララは、多くのセフレのひとりでしかないことがわかってくるのだ。そして、そんな男性はほかにもいることも判明してくることになる。

クララは惚れっぽくて何人もの男性と肉体関係を持っており、その中には彼女のことを快く思ってない者もいる。黒人ラッパーはyou tubeにアップした動画で、彼女のことを「焼き殺せ」などと歌っていたらしい。ほかにも何人もの自称元カレやらセフレやらが登場してくることになるわけで、多くの容疑者が浮かんでは消えていくことになり、結局、いつまで経っても真犯人の目星も立たないことに……。

©2022 – Haut et Court – Versus Production – Auvergne-Rhone-Alpes Cinema

未解決事件を描いた作品

そもそも本作は、最初の段階でこの事件が未解決だと宣言している。「フランス警察が捜査する殺人事件は年間800件以上。だが20%は未解決。これはそのひとつである」と、最初に解説されているのだ。すでにそんなふうに言い切っているわけで、クララを殺した犯人も見つかることはない。

そんなわけで『12日の殺人』はミステリー作品ではないということになる。事件を解決する役割を担った刑事たちが登場することになるけれど、この刑事たちの描き方も殺人事件の謎に迫るというよりは、刑事たちの日常を追っていくという感じなのだ。

「コピー機の修理が俺の仕事じゃない」とぼやくヤツがいたり、退屈な報告書を作成する場面が丁寧に描かれたりする。事件についても捜査会議があるわけでもなく、昼飯なんかを食べながらアレコレと議論を交わすといった様子になっていて、事件に翻弄されていく刑事たちの姿が描かれていくことになるのだ。

©2022 – Haut et Court – Versus Production – Auvergne-Rhone-Alpes Cinema

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目立たない主人公

奇妙なのは主人公があまり目立たないところだろうか。ヨアンが最初に登場するのは自転車に乗ってトラックを走っている場面だったと思うが、この時点ではヘルメットを被っていたりするためにこの人物が何者なのかはよくわからない。

さらに刑事たちが登場してくる場面でも、ヨアンはそれほど目立たない。この場面は前任者の班長が引退するという場面で、次の班長としてヨアンが出てくるのだが、最初は一体誰が主人公なのかという印象を抱くほどだった。

本作では刑事の私生活の部分も描かれていくのだが、ヨアンが一体何を抱えているのかは一向に見えてこない。一方で、ヨアンの相棒のマルソー(ブーリ・ランネール)のエピソードは詳しく語られている。

マルソーは奥さんとの間でいざこざがあり、自宅に帰れない状況になっている。マルソーの奥さんには不倫相手がいて、さらにはその男との子供を妊娠したのだという。ヨアンはそんなマルソーを助け、自宅のソファーを貸してやることになるのだが、ヨアンについてはほとんど私生活が見えてこないのだ。

ヨアンはほかの同僚とのやり取りの中で「お前は完璧だから」などと嫌味を言われたりしているし、刑事としては優秀で自宅にも仕事を持ち帰るほどワーカホリックだ。しかしながら未解決事件に入れ込んでいくほどの“何か”を抱えているようには見えないのだ。

マルソーの場合は、私生活での問題が刑事の仕事にも影響してくる。奥さんを奪った男と、クララとふしだらな関係を持っていた容疑者を同一視する形になったのか、暴力事件を起こして警察を辞めることになってしまう。

一方でヨアンはマルソーを反面教師にしたのか、それからしばらく時間が経ったラストでは、以前よりは自由に生きているように見える。いつも自転車でトラックを周回していたヨアンが、公道に出て峠越えを目指すようになるのだ。ただ、ヨアンはもともと何を抱えているのかがよくわからなかったわけで、この変化もどんなふうに捉えればいいのか謎だったのだ。

©2022 – Haut et Court – Versus Production – Auvergne-Rhone-Alpes Cinema

クララが殺された訳

そういうことはほかの点でも言える。クララの親友だったナニー(ポーリーヌ・セリエ)は、ヨアンに対してこんな言葉を漏らすことになる。クララが死んだ訳は、「彼女が女だったから」だというのだ。

ナニーがこんなことをヨアンに言わなければならなかったのは、ヨアンたち刑事のクララに対する認識と、ナニーのクララに対する認識が食い違っていたからだろう。ナニーはクララについての情報を隠しているわけではない。それでもヨアンからすれば、重要な交友関係を言い漏らしているように感じられる。

刑事としては、クララを殺した犯人を見つけるためには、クララの奔放な性生活に斬り込んでいかなくてはならないことになる。そこを探ることが犯人への近道になるからだ。しかしながらナニーからすれば、そうしたやり方は被害者クララの奔放さを刑事たちが否定し、侮辱しているようにも感じられたということなのかもしれない。

ただ、ヨアンやほかの刑事たちもクララや女性に対して極端な偏見を抱いていたわけではなかったわけで、ナニーの言葉は唐突なものにも感じられた。もちろん「容疑者はすべて男ばかり」などとは言われていたけれど、作劇上はもっと差別的な刑事を登場させてクララを唾棄するような台詞でも言わせたほうが、ナニーの台詞が際立つような気もした。ヨアンは事件のことをクララの母親に告げる時にも詰まってしまうような真面目な男だっただけに、ナニーの非難は真っ当であっても唐突に感じられたのだ。

そんなわけで全体的に何を言わんとしているのかがぼんやりとしているように感じられた。ドミニク・モルの前作『悪なき殺人』は、ネタばらしがされるとスッキリするものの、ご都合主義のところがかえって興醒めでもあったのだけれど、『12日の殺人』では逆に何も明らかにならないわけでモヤモヤ感ばかりが残った。「セザール賞6冠」という触れ込みもあって期待していたのだけれど……。

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