『理想郷』 二つの長回しの意味

外国映画

脚本・監督は『おもかげ』などのロドリゴ・ソロゴイェン

主演は『ジュリアン』『苦い涙』などのドゥニ・メノーシェ

原題は「As bestas」。

東京国際映画祭ではグランプリほか3冠を受賞した。

物語

フランス人夫婦アントワーヌとオルガはスローライフに夢を抱き、緑豊かな山岳地帯スペイン・ガリシア地方の小さな村に移住する。しかし、ある出来事をきっかけに地元の村人たちと敵対関係が激化していき……。

(公式サイトより抜粋)

粗野な田舎者VS都会のインテリ

『理想郷』は実際に起きた事件を元にしてできた作品らしい。第二の人生を田舎で過ごしたいという都会に疲れた人もいるわけだが、それを快く思わない地元の人もいる。“ご近所さんトラブル”というのは別に田舎でなくても起きるわけだが、田舎では他人の目が少ないということもあり、時にそんな対立が激化し、歯止めが効かなくなってしまうということなのかもしれない。

公式サイトには似たような作品として『わらの犬』の名前が挙げられている。都会からやってきた夫婦が、田舎の粗野な人たちと対立するという図式は確かによく似ている。ただ、本作は『わらの犬』とは違う展開が待っていることになる。

舞台となるのはスペインのガリシア地方だ。その村はかなり山深い場所で、野生の馬がいたりもして、昔ながらの自然が残っているところだ。フランス人の夫婦はそんな場所に「理想郷」を見出して移住してくる。アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とオルガ(マリナ・フォイス)は、その土地で有機農法で野菜を作り、それを市場で売り、さらに廃屋を修繕して観光客を呼び込もうと計画している。

ところが一部の地元民はそれを快く思わない。シャン(ルイス・サエラ)とロレンソ(ディエゴ・アニード)のアンタ兄弟はその筆頭で、村にひとつしかないバーでもいつもアントワーヌに絡んでくる。アンタ兄弟が特に気に喰わないと感じているのは、風力発電の誘致に関する投票の問題だ。風力発電の誘致が決まれば村には多額の金が落ちることになる。アンタ兄弟はそれを期待しているわけだが、よそ者であるアントワーヌの反対によってそれが邪魔されていると感じているのだ。

(C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S.

どっちが悪い?

村の人々、特にアンタ兄弟などの姿を見ていると、その粗野な部分が目立つし、よそ者であるアントワーヌを露骨に“フランス野郎”呼ばわりする態度には偏屈なものを感じざるを得ない。一方のアントワーヌとオルガは都会に住んでいたインテリだ。あまりに対照的なのだ。

その対立は次第にエスカレートしていき、畑の水遣りに使っていた井戸にバッテリーを投げ込まれ、大事な商品であるトマトが全滅させられる被害が生じることになる。アントワーヌはもちろん警察に被害を訴えるものの、証拠がないこともあって、警察もご近所トラブルとして穏便に済まそうとする。

こうしたエピソードを見ていると非難されるべきは偏屈な田舎者のほうにあると思ってしまうのだが、アントワーヌとアンタ兄弟が腹を割ってバーで話す長回しの場面では、アンタ兄弟の本音も垣間見られることになる。

彼らは村から出たこともないような人間だ。辺鄙な場所にあるその村からは出ていく人ばかりで、嫁が来てくれるわけもなく、二人は未だに独身のまま暮らしている。一生そこで生き、そこで死んでいくことになる。

そんな村に降って湧いたような風力発電の話。アンタ兄弟はその金で些細な夢を見ようとしていることもわかってくる。しかし、ふらりと村に現れたよそ者アントワーヌの夢によってそれが邪魔されていることになる。

アントワーヌが言っていることは正しいのかもしれない。風力発電で儲かるのはそれを運営している他国の会社でしかないわけで、村のためにもならない。その理屈はもしかしたら真っ当なのかもしれない。それでも、村の行く末をよそ者なんかに決められたくないという、アンタ兄弟の気持ちもわからなくはないという気持ちにもなってくるわけだ。

(C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S.

野獣の毛刈りのように

冒頭ではガリシア州の名物らしき風習が描かれる。「ア・ラパ・ダス・ベスタス(野獣の毛刈り)」と呼ばれる祭りだ。冒頭のシーンでは、野生の馬を三人がかりで抑えつける様子がスローモーションで描かれている。これは寄生虫を除去するためにたてがみを切るという理由らしいが、本作はそんな風習をうまく物語に取り入れている。

男たちが首に腕を回して馬を抑えつける姿は、本作の別のシーンで繰り返されることになるのだ。その場面で野生の馬の代わりになるのはアントワーヌだ。そして、そのアントワーヌを抑えつける側になるのがアンタ兄弟ということになる。

ちなみに本作の原題は「As bestas」だ。これを日本語に翻訳すると「獣として」といった意味合いになるようだ。野生の馬は獣だが、それを抑えつける男たちの姿もまた獣のように見える

そして、本作でアントワーヌを演じているドゥニ・メノーシェは巨漢だ。彼が出演したこれまでの作品でもその体格は活かされていて、たとえば『ジュリアン』などではドゥニ・メノーシェの役柄はモンスターのように扱われている。しかし本作においては、そんな巨漢のアントワーヌが次第に追い詰められていくことになり、そうした場面はホラー映画のように打楽器の音が恐怖を煽ることになる。

アントワーヌはインテリという設定だ。アンタ兄弟の嫌がらせに対し、アントワーヌはカメラを手に取り証拠を残そうとする。しかし、怒りで我を忘れることもあり、そんな時はアンタ兄弟の家に乗り込み、力ずくで相手をねじ伏せようしたりもする。最終的には巨漢のアントワーヌが、アンタ兄弟に二人がかりで逆に抑えつけられる側になる。暴力の応酬がアントワーヌを死に追いやることになってしまうのだ。

  ※ 以下、ネタバレもあり!

(C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S.

スポンサーリンク

主人公が交代する後半

『わらの犬』のようなラストを想像していた者としては予想外の展開ということになるわけだが、本作は後半になると主人公がアントワーヌの妻オルガに交代することになる。というよりも、後半のほうが本作のキモなのかもしれない。

後半では時が流れ、オルガは独りで村に留まっている。彼女はアントワーヌが望んでいた生活を続けていたのだ。そして、突然いなくなってしまったアントワーヌのことを捜してもいる。オルガとしては犯人が誰なのかは理解している。そして、アントワーヌの遺体が周囲の山に埋められていると推測し、独りで山の中を捜索し続けているのだ。

このオルガの姿を見て、観客の多くはなぜ彼女は未だに村に留まっているのだろうかと疑問を抱くだろう。オルガの娘マリー(マリー・コロン)もそんなふうに感じている。マリーもアントワーヌが恐らく殺されたであろうことを理解していて、だからこそマリーは母親がその村に留まる理由が理解できない。

マリーはすでに何度かオルガのことを連れ戻そうとしてきたらしい。今回、マリーが村にやってきたのも同じ理由からだ。ところがオルガの意志は固く、マリーとオルガとの間で激しいいさかいが展開されることになる。

(C)Arcadia Motion Pictures, S.L., Caballo Films, S.L., Cronos Entertainment, A.I.E,Le pacte S.A.S.

二つの長回しの意味

本作の監督ロドリゴ・ソロゴイェンの前作の『おもかげ』は、本作とは逆にスペインの女性がフランスに住むことになる話だった。そして、『おもかげ』で特に印象的だったのが、冒頭の18分に渡るという長回しだ。

created by Rinker
コロムビアミュージックエンタテインメント
ロドリゴ・ソロゴイェンはキモとなるシーンを長回しで撮りたいのか、『理想郷』においても長回しのシーンがある。そのひとつは前半のアントワーヌとアンタ兄弟のバーでのやり取りであり、もうひとつは後半のオルガとマリーの諍いの場面ということになる。前半の場面については、前述したけれど、本作ではこの二つの長回しが重要となっているように思えた。しかし、後半のオルガとマリーの諍いの争点がいまひとつつかめない気もした。

それでもロドリゴ・ソロゴイェン監督のインタビューを参考にすると、その二つの長回しの場面の対立軸が見えてくるのかもしれない。

ロドリゴ・ソロゴイェンはこの二つの長回しを対照的なものとして描いている。前半の男たちの話し合いに対し、後半では女たちの話し合いが描かれる。そして、その話し合いの結果は対照的なものとなっている。対立軸は「男と女」、さらには「暴力と非暴力」ということになる。

男たちの対話は最終的には暴力へとつながっていくことになる。逆に女たちの諍いは一時はヒートアップすることになるけれど、オルガとマリーは和解することになるのだ。マリーは母親のことを理解できなかった。そのことで一時は双方が相手を非難することになるけれど、最終的にはマリーは母親オルガと父親アントワーヌとの間にあった愛を認めて和解することになるのだ。

オルガは前半ではあまり目立たない存在だった。それでもアントワーヌとアンタ兄弟のトラブルに対して、「別のやり方があるはず」とも漏らしてもいた。オルガはマリーと激しくやり合う形にはなるけれど、最終的には折れ合う形になったとも言える。

男たちは獣のように暴力に訴えることで自滅した。一方で女たちは違うということなのだろう。オルガはアントワーヌの遺体を発見することになり、恐らくそれによってアンタ兄弟は逮捕されることになるだろう。その際、オルガはアンタ兄弟のことは無視して、その母親に訴えかける。その言葉はどこかで勝ち誇ったもののようにも思えたのだけれど、もしかすると男たちのやり方ではない“ほかの方法”を母親に訴えていたということだったのかもしれない。

後半の予想外の展開に戸惑ったけれど、今になって考えてみると、とても考えられた作品だったのかもしれない。主役だと思っていたドゥニ・メノーシェはいい味を出していたけれど途中退場し、後半は堂々とした奥さんオルガが締めることになる。オルガを演じたマリナ・フォイスの毅然とした感じもいいし、アンタ兄弟役の二人の憎たらしさも印象的だった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました