『ノック 終末の訪問者』 近視眼的な視点から……

外国映画

脚本・監督は『シックス・センス』『ヴィジット』などのM・ナイト・シャマラン

原作はポール・G・トレンブレイの小説「The Cabin at the End of the World」。

原題は「Knock at the Cabin」。

物語

人里離れた山小屋で休暇を過ごしている3人の家族の前に突如現れた、謎の4人組。
彼らは家族を拘束し、こう告げた。
「私たちは、“終末”を防ぎに来た。君たちの“選択”に懸かっている」
「家族3人のうち、犠牲になる1人を選べ」
「しくじれば…世界は滅びる」
果たして、4人の訪問者は何者なのか?
なぜ、世界は終末を迎えることになるのか?

(公式サイトより抜粋)

3人の家族と怪しい4人組

本作の主人公は3人の家族だ。アンドリュー(ベン・オルドリッジ)とエリック(ジョナサン・グロフ)はゲイのカップルで、その娘には養子に迎えたウェン(クリステン・ツイ)がいる。本作ではこの家族が「究極の選択」を迫られることになる。

突然現れた4人組の訪問者は、物腰は丁寧だが強引だ。4人は山小屋をノックして中に入れてくれるように頼むことになるけれど、武器を持っている怪しげな連中を迎え入れてくれる家主などいるはずもなく、結局4人は力ずくで山小屋に押し入りアンドリューたち3人を拘束することになる。

そして、リーダーらしき大男のレナード(デイヴ・バウティスタ)は、そのごつい外見にも関わらず落ち着いて話を進めていく。なぜか彼ら4人は自分たちについてわざわざ自己紹介を始める。これから強盗でもしようという4人だとすれば妙なことで、彼らは彼らなりに誠意を見せようとしているらしい。ところが4人組がそこまでしてすることになる打ち明け話は荒唐無稽で信じ難いものだった。

彼らが言うには、彼らは“世界の終末”を止めにやってきたらしく、そのためにはアンドリューたち家族3人のうちの誰か1人が犠牲にならなければならないのだという。彼らはそんな与太話を大真面目でしてくるわけだが、アンドリューたちがそれを受け入れられるわけもない。世界のために家族の誰か1人を犠牲にしろと言われて、一体誰が納得できるというのだろうか。

アンドリューたちが彼らの語る“選択”を拒否することになると、4人組はある行動に出る。仲間の1人を殺すことになるのだ。つまりは4人組は自分たちの命を賭けてそんなことをやっているということになる。そして、彼らの説得を受け入れなかったことで、世界は終末へ向けて一歩進んだらしく、テレビの中では大地震が起き津波によって多くの人が亡くなったということがニュースとして流れ始めることになる。

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世界のために犠牲になれる?

アンドリューたちに“選択”を迫るために、4人組は命を賭けている。そして、実際に世界は終末へと向けて歩み出す。しかしそれは単なる偶然なのかもしれない。4人組は自殺を教義の中に組み込んだカルト集団なのかも。そんな疑いはあるものの、それを確かめる手段もない。

アンドリューたち3人に世界の運命が賭けられている。しかし、それがなぜなのかは不明だ。ただ、4人組だけはそのことを知っている。4人はみんな同じビジョンを見たのだという。世界が終末へと向っていくというビジョンだ。

もし3人が“選択”を拒否すればどうなるか。世界は滅び、3人だけは生き残る。「トロッコ問題」みたいなものだ。暴走したトロッコが作業中の5人のところへ向っている。たまたま線路の分岐点にいる“わたし”は、進路を切り替えることができる。しかし、別の線路にも1人の作業員がいる。“わたし”は「5人の命」と「1人の命」、どちらを選ぶべきなのか。それが本作では「全世界の人の命」と「1人の命」となっている。しかし、その1人は大切な家族だ。それでも全世界のために命を差し出すべきなのか

「トロッコ問題」はトロッコの存在自体は疑い得ない現実という設定だ。しかし4人組が語る“終末”は果たして本当なのか。もちろん誰もそんなことが現実になるとは思っていない。だから当然ながらそんな話は一笑に付されることになるだろう。

それでも仮にもしその“終末”が現実になるとするならば、アンドリューたちは犠牲として誰かを差し出すべきなのか。これはまた何とも理不尽な話ということになるだろう。なぜその3人なのかは誰もわからない。ただ、選ばれてしまったということになるのだ。まさに「究極の選択」を迫られることになるのが本作なのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

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近視眼的な視点から……

4人組の話に説得力があるとは思えない。ただ彼らは真剣だ、自分の命を投げ出すほどに。そこまでなれるのには当然わけがあるはずで、もしかすると彼らの話は本当なのかもしれない。アンドリューはともかくとして、エリックは次第にそんなふうに心を動かされていく。

4人組の最初の犠牲者はレドモンド(ルパート・グリント)で、その次はエイドリアン(アビー・クイン)、続いてサブリナ(ニキ・アムカ=バード)、最後に残ったのはレナードだ。一人が犠牲になるごとにテレビで流れるニュースでは世界中で天変地異らしきものが起きていく。そして最後にレナードが死んだ時にはすぐ近くに飛行機が落下していくのが見える。

“選択”を拒否すれば確実に世界が終末を迎えるだろう。ここに来てそのことが明白になり、アンドリューとエリックは、娘のウェンを自分たちから遠ざけて、与えられた役割を果たすことになる。

本作は聖書の引用に満ちている。ノックが7回なのは「ヨハネの黙示録」では、7つの封印や7つの災いなどで7という数字が重要な要素になっているからだろう。また、レナードたち4人組は「ヨハネの黙示録」の四騎士を連想させる。もしかするとなぜか神から選ばれることになるアンドリューたちの行動もキリストのそれと重ねられているのかもしれない。

本作の冒頭はウェンがバッタを捕まえるシーンから始まる。この時のカメラはとても被写界深度が浅い。バッタに焦点が当たると、それ以外の遠景はまったくぼやけてしまうような状態だ。本作はそんな映像が効果的に使われている。

これはもしかすると近視眼的で自分の周囲しか見ようとしないアンドリューとエリックの視点を示していたのかもしれない。ところが次第に彼ら(特にエリック)はもしかすると自分たちの“選択”が本当に世界の終末に影響してくるのかもしれないと感じることになる。

ラストで飛行機が堕ちていくシーンでは、前景だけではなく背景となっている上空の飛行機もハッキリと見えていたというのは、彼らが大局的な視点を獲得したということを示していたのかもしれない。だから彼らは自ら犠牲になり、世界を救うことを選んだというわけだ。

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シャマランらしいオチ?

前作『オールド』にも珍しく原作があったわけだが、シャマランはそれに自分なりのラストを付け加えたらしい。それによって『オールド』はシャマランらしいオチのついた作品になっていた。

本作もどうやら原作のラストとは違うらしい。今回もシャマランは独自のオチを用意したのだ。原作では主人公がゲイ・カップルであることが、ラストの展開にも関わる重要な要素になっているらしい。

突然襲撃されたのは同性愛者に対するヘイトクライムではないかという疑いは映画においてもちょっとだけ触れられているわけだが、シャマランが変更した映画版のラストではそれはあまり意味がなくなってしまっている。たまたまゲイだったというだけなのだ。

そんな意味で今回もシャマランは原作を書き換えて自分なりの世界にしてしまっている。原作は邦訳されていないようだし、当然読んでないわけだが、読んだ人が書いたものから推測すると原作のいい部分を損なっているようにも思える。それでもシャマランとしては自分の世界に引き寄せたかったということなのかもしれない。

4人組の言っていることは最初は誰も信じない与太話だが、結局はそれこそが真実だったというオチになっていて、これは『サイン』『レディ・イン・ザ・ウォーター』にも通じるところがあるわけで、シャマランらしいと言えばシャマランらしいのだがひねりはないとも言える。

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レナードを演じたデイヴ・バウティスタはどこかで見た顔だと思ったら、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のドラッグスをやっていた人とのこと。元はプロレスラーだったらしい。道理でガタイがいいわけだが、そんな大男が静かに語りかけてくるというところが妙に不気味さがあった。

レナードは教師であり理性的に訴えてくるわけだが、あの肉体なわけでやる気になればアンドリューたちを制圧するのは簡単だろう。それだけにどうやっても逃げられないような怖さがあり、それはデイヴ・バウティスタのキャラクター造形に多くを担っているような気がした。

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