『ゴースト・トロピック』 彷徨っていたのはどこ?

外国映画

監督・脚本はバス・ドゥボス。この人はカンヌ国際映画祭やベルリン国際映画祭などで注目されているベルギーの監督。本作は2019年製作の長編第3作。

第72回カンヌ国際映画祭の監督週間出品。

主演はバス・ドゥボス監督の第4作『Here』にも顔を出すことになるサーディア・ベンタイブ

物語

掃除婦のハディージャは、長い一日の仕事終わりに最終電車で眠りに落ちてしまう。終点で目覚めた彼女は、家へ帰る手段を探すも、もはや徒歩でしか帰れないことを知る。寒風吹きすさぶ街を彷徨い始めた彼女だったが、予期せぬ人々との出会いを通じ、その小さな旅路は遠回りをはじめ――。

(公式サイトより抜粋)

誰もいない部屋の風景

冒頭、誰もいない部屋の様子が描かれる。そこは明るい光が差し込んでいるリビングで、カメラはフィックスでそこを捉え続ける。すると次第に日が陰っていき、ゆっくりと部屋が暗くなっていき夜を迎える。

そんな長回しのシーンに誰かの声が被さってくる。「この空間を私たちの人生で埋める。骨の折れる大仕事だ。私が知る中で一番辛い仕事。この空間を見ると、この大切な苦労が見える」、そんなことがささやくように語られるのだ。

主人公はこの部屋の主であるハディージャ(サーディア・ベンタイブ)だ。ヒジャブをしているハディージャはイスラム系ということだろう。舞台となっているベルギーでは移民ということになる。旦那はすでに亡くなっていて、ハディージャが働いてその部屋を維持しているということになる。

『ゴースト・トロピック』は誰もいない部屋が暗くなっていく場面から始まり、そこが明るくなり円環を閉じるようにして終わることになる。ハディージャは普段からその部屋には寝るためだけに帰るような状況だったのかもしれない。朝は日が昇る前に出かけ、夜は日が沈んでから帰る。明るい日差しがあるリビングで過ごすことなどほとんどない忙しい生活ということなのだろう。

©Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

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夜の街で出会った人々

そんな状況だったからか、仕事帰りに電車で眠りこけてしまったハディージャ。電車はなくなり、タクシーに乗る金の持ち合わせもない。本作は、歩いて帰るしかなくなってしまったハディージャの一夜を追うことになる。暗い夜の街の中を歩いていくハディージャは、出会った人たちの優しさに助けられることになる。

ATMを使わせてくれた警備員(シュテファン・ゴタ)も、途中まで車で送ってくれたコンビニ店員もとても親切だ。とはいえ親切なのはハディージャも同様で、道端で凍死しかけていたホームレスを助けたりもする。

それから、かつてお手伝いとして働いていた邸宅に寄り道した際には、そこにこっそり住み込んでしまっている男に気づいても見逃してやったりもする。夜の街は寒そうでハディージャは小さな身体をすくめるようにして歩いていくことになるのだが、人々との出会いはちょっとだけ心を温かくさせるものがあるのだ。

©Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

そして、夜の小旅行の後半では、娘が遊び歩く姿を発見してしまう。男性と親しげな様子の娘を心配そうに覗き見するハディージャだが、ふたりを邪魔することはなく家に帰ることになる。それでもハディージャの気持ちには複雑なものがあるのかもしれない。

ハディージャはいつも忙しく働く身で、会社の帰りには「見知らぬどこかへ」というリゾートへと誘う広告を見て佇んでいる。南国で遊ぶ日を夢見ているのだ。電車で寝落ちして夢の中に入り込んでしまった時には、それまでの外界の音が消え熱帯地方(Tropic)の鳥と思しき鳴き声が聞こえてきたのは、彼女が夢見ていたのが南国の風景だったということなのだろう。

無人の部屋に朝日が差してくる場面で映画が円環を閉じた後、おまけのようにハディージャの娘が南国の海に遊ぶ様子が描かれている。移民第一世代には叶わなかった夢を、第二世代はあっさりと享受していることになる。しかし、娘のにこやかな横顔を見ていると、親世代の羨望よりも何かしらの充実感のほうを描いているようにも感じられた。

©Quetzalcoatl, 10.80 films, Minds Meet production

彷徨っていたのはどこ?

ハディージャは夜の街を歩いて帰宅することになるものの、特段の危険もなく、出会う人たちはみな優しい。凍死しかけていたホームレスは亡くなってしまったけれど、奇跡が起きたのか、幽霊(Ghost)となって飼い犬のところへ現れることになったのも、本作の優しさを示しているようでもあった。

上映時間は84分で、いくつかの出会いが描かれるだけのミニマルな設定だ。それでも16ミリカメラで撮られたという夜の場面がとても素晴らしく、フィックスショットの連続で夜の街の状況を示していたかと思うと、ゆるやかにカメラが移動していく時がある。そこにアコースティック・ギターの音が被さってくると別の世界へと移行していくようにも感じられた。

夜のネオンの光はハディージャのバックでぼやけた明るい光となり、寒空の中を歩いているはずが、夢の中で明るい南国風の場所を歩いているかのようにも見えてくるのだ。ハディージャが彷徨さまよっていたのは夢の中だったのかもしれない。そんな不思議な感覚がとても魅力的な作品だった。

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