原作は2019年と2020年に「アメリカで最も売れた本」とされるディーリア・オーエンズの同名小説。
監督は『ファースト・マッチ』のオリビア・ニューマン。
物語
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた青年の変死体が発見された。容疑をかけられたのは、‟ザリガニが鳴く”と言われる湿地帯でたったひとり育った、無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花、草木、魚、鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いてきた。そんな彼女の世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始める…。
(公式サイトより抜粋)
湿地の娘というよそ者
主人公のカイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)は“湿地の娘”と呼ばれている。カイアは殺人事件の容疑者として逮捕されるが、それは彼女が街からちょっと離れた湿地帯に独りで住んでいたからだ。ここでは湿地帯に住むことの意味合いが明確に示されるわけではないけれど、湿地帯という場所があまり一般の人が住むところではないことは確かだろう。
カイアの父親は軍隊帰りの粗暴な男で、人のことを信頼していない。だからこそ人里離れた湿地帯に住んだのだろう。湿地帯というくらいだから、家の外も乾いた土地は少なくあちこち水に浸っている。ボートがなければ行動できないような場所なのだ。当然不便なことも多いわけで、普通の人たちがわざわざ住むところではないのだろう。だからそんな場所に住み着いたカイアはよそ者として見られることになる。
カイアが逮捕されたのも、よそ者に対する差別的な感情があるからということになる。元弁護士のトム(デビッド・ストラザーン)はそんなカイアを助けようとするのだが……。
カイアの生い立ちと……
本作はカイアの回想の形で彼女の生い立ちが追われていく。親からも捨てられ、湿地帯に独りで住んでいるという状況は誰が見ても同情してしまう。それでもカイアは自らムール貝を採るなどして独力で食いつないでいくことになる。そして、成長したカイアの前には二人の男性が現れる。まずは初恋の相手であるテイト(テイラー・ジョン・スミス)だ。
カイアは父親が去って以来、独りで暮らしていたのは、父親から人を信用するなと言われていたためだ。そんなカイアはなかなか人は近づけようとはしないだろう。テイトはそんなカイアに対し、一定の距離を保ったまま贈り物をする。文化人類学あたりの本に書いてあった気がするが、このやり方は未開地域の部族が、他の部族と接触する時と同じような方法だ。テイトは少しずつカイアに近づいていき、彼女から他人というものに対する警戒心を解いていくのだ。
学校も行かずに文字を読むこともできなかったカイアは、テイトから様々なことを学ぶことになる。そうしてふたりは親密な間柄になるのだが、ふたりには障壁もある。テイトは都会の大学に行って学ぶことを夢見ているが、一方のカイアは湿地帯から離れることを望んでいない。そのことがふたりを別れさせることになってしまう。
テイトは湿地帯に戻ってくるという約束を破り、彼女を捨てた。そのことはカイアにとって絶望的な出来事だった。それでもカイアは湿地帯で生きていき、別の男性と出会うことになる。チェイス(ハリス・ディキンソン)という二枚目だ。ちなみに冒頭で遺体となって発見されたのはチェイスだ。
カイアはチェイスのアプローチを受け入れる。テイトと同じように彼のことを好きなのかどうかはわからなかったけれど、カイアには独りきりの寂しさもあったということだろう。しかし、やがて明らかになるチェイスの本性は、都合が悪くなると父親と同じように暴力に訴える男だったのだ。カイアはチェイスのことを突き放すことになるのだが、それがさらにチェイスをエスカレートさせ、カイアは身の危険を感じるような状況に陥ることになる。
※ 以下、ネタバレあり! 結末にも触れているので要注意!!
否定されるラブストーリー
本作はネタバレ厳禁のミステリーということになるのだろう。本作のオチは確かに衝撃的とも言える。ただ、それによってスッキリする人もいるのかもしれないけれど、何だか巧妙に騙されていたと感じる人もいるだろう。私自身は後者で、主人公のカイアはちょっぴり野性的でもあり魅力的だったし全体的には楽しめたのだけれど、最後の最後で急にモヤモヤした気持ちになった。
本作は、成長したカイアのラブストーリーという側面と、誰が青年を殺したのか(もしくは事故なのか)というミステリーの側面がある。しかしながらラブストーリーとしてはよく出来ているのだが、ミステリーとしては穴だらけとも感じられるのだ。
そして、観客はラブストーリーのほうに感情移入していくことになるわけだが、最後の最後のオチによってそのラブストーリーは否定されることになるのだ。
事件の真相は?
オチから言ってしまえば、湿地の娘であるカイアは、自然から学んだことを利用したということになる。ある種のホタルは光によって求愛をするだけでなく、オスを誘き寄せて補食することがあるのだという。カイアは湿地の動植物について書いた本を出版するのだが、そのパーティーの席でそんなエピソードを語る。「自然には善悪はない」というのがカイアが自然から学んだことなのだ。
カイアはチェイスに対して身の危険を感じるようになり、生きるために何らかの手段で彼をやぐらから落ちるように仕向けたということになる。つまりは裁判では無罪の判決が下ることになったわけだけれど、実際にはやはりカイアが犯人だったということになる。
そして、この裁判の中では、観客はある方向へとミスリードされている。カイアは自分が有利になるはずの証言を拒んだりする。それは別の誰かをかばっているかのようにも見える。その誰かというのはもちろん初恋の相手であるテイトということになる。
テイトがカイアのためにチェイスを殺し、カイアもそれを知りつつもテイトをかばっている。そんなふうにふたりには密かなつながりがあるかのように、観客はミスリードされていくのだ。キャッチコピーの「事件の真相は、初恋の中に沈んでいる―。」は、まさに観客を騙すための嘘ということになる。
オチで明らかになるのは、実際にはカイアは男に助けられるような弱い女性ではなかったということだ。弁護士のトムが陪審員に語ったような不可能に近いことを成し遂げつつ、翌日の朝には平然としていられたような強い女性だったのだ。しかしながらこのことは映画の中で描かれることはないわけで、種明かしが「不可能を可能にしていた」ということだけではミステリーとしては弱いだろう。
本作はラブストーリーの部分はとても丁寧に作られている。美しく描かれた湿地帯を舞台にしたカイアとテイトとの初恋はとても好感が持てるし、つむじ風の中のキスも悪くなかった。さらにもう一方のクズ男であるチェイスの造形もいい。チェイスはいけ好かない二枚目なのだが、カイアの前では弱味を見せるところがあり、そこがカイアが一時心を許すことになる要因になっているのだ。
しかしそんなふうに丁寧に描かれたラブストーリーの部分は、最後の最後に明らかになる貧弱とも言える種明かしによってひっくり返されることになってしまう。もっともカイアが善悪の彼岸にいる強い女性だったということが、本作を製作したリース・ウィザースプーンや主題歌を歌ったテイラー・スウィフトらの多くの女性たちの共感を得た要因だったのかもしれないけれど……。
カイアはノートにチェイスのスケッチを残していた。それを発見したテイトにはショックだっただろうが、カイアにとってはチェイスも自然の営みのひとつとして観察対象ということだったのだろうか?
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