『ホワイト・ノイズ』 アメリカ独自の病?

外国映画

原作は『コズモポリス』などのドン・デリーロの同名小説。原作小説は全米図書賞を受賞した作品とのこと。

監督・脚本は『フランシス・ハ』『マリッジ・ストーリー』などのノア・バームバック

一部劇場でも公開されたが、2022年12月30日よりNetflixにて配信中。

一体どんなテーマなの?

Netflixはオリジナル作品も多いから、「ここでしか観られない」という点では相変わらず貴重なのだけれど、やはりネット配信ということもあってどうしても集中力には欠けてしまう。

最近のラインナップの『ナイブズ・アウト:グラス・オニオン』『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』『今際の国のアリス シーズン2』みたいなエンタメにはNetflixは適しているのかもしれないけれど、集中力を要するような作品は“難あり”という気もする(そんなのは観る側次第なのだけれど)。

だからアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが自伝的な要素をメキシコの歴史を交えて取り留めなく描いた『バルド、偽りの記録と一握りの真実』のような作品は、ちょっと取っつきにくくなるし評価も低くなりがちにも感じられる。劇場で観るのとネット配信ではやはり観客の気持ちも態度も変わってくるような気がするからだ。

その意味では『ホワイト・ノイズ』も『バルド』と同様に取っつきにくいし、正しく評価されてないようにも感じられる。多分、劇場で集中力を途切れさせることなく観ていたらもっと評価される作品となっていたんじゃないだろうか。

というのも『ホワイト・ノイズ』は、何を描こうとしているのかがなかなか見えてこないのだ。最初に主人公ジャック(アダム・ドライヴァー)の家族たち(娘のひとりは『トゥモローランド』ラフィー・キャシディだったりする)が登場してくるところが典型的で、みんながそれぞれに勝手なことをバラバラに話しているから意味不明な話に感じられるのだ。

本作は3章構成になっていて、第1章でわかるのはジャックの奥さんであるバベット(グレタ・ガーウィグ)がダイラーというあやしげな薬を飲んでいて、それによって物忘れがひどくなっているということだ。ところが第2章で描かれるのは空媒毒物事象(The airborne toxic event)というもので、映画は突然パニック・ムービーのような様相を呈することになる。そんなわけで前半の段階で興味を失ってしまう人もいるかもしれないのだが、本作は第3章にならないと全体像が見えてこないのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

Netflix作品『ホワイト・ノイズ』 12月30日より配信中

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“死の恐怖”について

以下、ネタバレしてしまうけれど、本作が描いているのはアメリカにおける“死の恐怖”というものの受容の仕方ということになるんじゃないだろうか。第1章でバベットが飲んでいた秘密の薬ダイラーの正体は第3章になってようやく明らかにされるのだが、それは「死ぬのが怖い」人に効くという薬だったのだ。これはもちろん眉唾物のいかがわしい薬で、その薬の被験者になったのがバベットだったということになる。このことが明らかになることで、本作の意味不明とも感じられるほどの脈絡ない展開に何となく筋が通ることになっていたんじゃないだろうか。

冒頭では映画におけるクラッシュシーンについて、ジャックの同僚である教授マーレー(ドン・チードル)が論じている。マーレーは「映画の衝突場面はバイオレンスじゃない。アメリカの伝統である楽観主義の一部だ。価値観や信仰の再確認と祝福なんだ」と語るのだが、これは単なる詭弁に過ぎず、死というものをエンターテインメントとして消費しているということなんじゃないだろうか。

さらに第1章ではヒトラーとエルヴィスのことも話題になる。ジャックはヒトラー学者とされており、マーレーはエルヴィスを論じたいと考えている。そして、ふたりはなぜか到底共通点のなさそうなヒトラーとエルヴィスを同時に論じ合うことになるのだが、ここでジャックが展開する理論がおもしろい。

多くの人が熱狂的にヒトラーやエルヴィスを讃えることになったのは、「群衆になりたいから」だと言うのだ。それはなぜかと言えば、ひとりで死に向き合うことは耐え難いわけで、「群衆は死を閉め出す」とも論じられているが、みんなと一緒なら個人の死に直面することはないということだろうか。とにかくここにも“死の恐怖”が描かれているのだ。

Netflix作品『ホワイト・ノイズ』 12月30日より配信中

そして第2部で描かれた空媒毒物事象だが、これはある種の毒物を積んだトラックが列車との衝突事故を起こし、それによって燃え上がった毒物が黒煙となって空に舞い上がり、それが雨として降り注ぐというものだった。ジャックはその雨を浴びたために将来の死を予言されることになるのだが、これはかなり曖昧なものだ。放射能による“黒い雨”ならば本当にヤバいことになるのだろうが、この場合の被害の度合いはよくわからない。ただ、恐怖を煽り立てる者はいる。メディアもそれを積極的に取り上げることになる。

ジャックは「15年後にはもっと分かる」などと言われるのだが、誰でも死に向って進んでいることは確かなわけで、空媒毒物事象による“死の恐怖”というものもどこまで正確なものなのかは曖昧なままに留まっている。それでも住民たちの一部は、黙示録的な事象が現在進行中であるかのように恐怖を煽り立てることになるのだ。それに振り回されることになるジャックの姿はかなり滑稽だ。どこまで本当なのかもわからない情報に右往左往することになるからだ。

Netflix作品『ホワイト・ノイズ』 12月30日より配信中

資本主義経済の構図

ここで描かれていることは『ボウリング・フォー・コロンバイン』(以下『ボウリング』)のそれとよく似ている。『ボウリング』は“死の恐怖”ではなく、コロンバイン高校銃乱射事件に関するドキュメンタリーで、世間が犯人たちがそんな事件を起こした要因としてロック音楽を槍玉に挙げるのを皮肉ったものだった。

『ボウリング』では、槍玉に挙げられた側のマリリン・マンソンは以下のことを指摘している。アメリカの資本主義経済は恐怖を煽り、それによって物を買わせようとする。メディアは黒人などを悪者に仕立て上げて恐怖を煽り、それによって自衛手段としての銃を買わせるのだ。そんな構図があることは確かだろう。

しかしながら同じように大量の銃器が出回っていて、暴力的な映画や音楽だって溢れている隣国カナダでは銃の乱射事件は起きていない。ここにはアメリカ独自の理由があるのかもしれない。『ボウリング』ではその理由を特定するまでには至っていないけれど、アメリカ独自の歴史や全米ライフル協会の存在などが一種の可能性として示されることになる。

Netflix作品『ホワイト・ノイズ』 12月30日より配信中

恐怖に対抗するには?

『ホワイト・ノイズ』もアメリカ独自の病について描いているように感じられる。アメリカでは“死の恐怖”すらエンターテインメントとして消費しているし、事件が起きるとメディアはそれによって恐怖を煽り立てることになる。さらに、その恐怖を和らげるものとして宗教が役に立たないことも本作では示されている。

アメリカは信仰心の厚い人の集まりだとされているけれど、今では多くの人はそうでもないらしい。本作の救急病院の尼僧曰く、自分たちがキリスト教を信じているフリをしているのは、そうじゃなければほかの多くの人が安心できないからだという。信仰の力もその程度でしかないから、尼僧としては現実的な対応をしているということらしい。

それではアメリカにおいて何が“死の恐怖”をやわらげることになるのかと言えば、それはスーパーマーケットにおける消費だということになる。ラストではなぜかみんながスーパーマーケットのレジ前で踊り狂うことになる。極めて能天気で愉快なシーンで本作は幕を閉じる。アメリカでは“死の恐怖”を煽られて訳もわからぬまま右往左往し、それを癒すのはスーパーマーケットで買ったプリングルスなんかを消費するという行為なのだ。

『ボウリング』のマリリン・マンソンは自分たちが“何か”に踊らされているということに自覚的だったが、本作の場合はどうか? 空媒毒物事象が9日間の避難で済み、日常が回復した後はそんなことを忘れてしまったかのようにスーパーマーケットの快楽に耽溺しているようにも感じられるのだ。病としてはより一層深刻という気もするがどうだろうか?

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