監督・脚本は『アメリカン・ビューティー』などのサム・メンデス。
先日発表されたアカデミー賞では撮影賞、録音賞、視覚効果賞の3部門を受賞した。
物語
1917年4月、第一次世界大戦中のフランス。ドイツ軍が前線を撤退したという報を受けて、連合国側はそれを追って一気に戦局を有利にしたいと考えていた。ところが、ドイツ軍の撤退は戦略的なものだったことが判明し、作戦の中止が決定される。
作戦中止の命令を伝えるためには、ドイツ軍の陣地をくぐり抜けて行くしかなかった。それが伝えられなければ、連合国軍側の1600人の兵士の命に関わる問題となるからだ。伝令係に選ばれたブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)とスコフィールド(ジョージ・マッケイ)はふたりだけでその命令を遂行しようとするのだが……。
ワンカット撮影?
本作で話題になっているのが“全編ワンカット”というものだが、実際にはワンカット風にうまくつなげているもので『バードマン』と同じように“疑似ワンカット”ということになる。しかも本作では中盤で一度主人公が気を失って一気に時間が経過する場面もあるわけで、“全編ワンカット”で撮られた作品ではない。
“全編ワンカット”で撮られた作品としては『ヴィクトリア』があり、この作品では物語内の時間と映画のランタイムが一致することになるし、撮影が終われば編集作業という手間はいらないということになる。しかし『1917 命をかけた伝令』では編集者の名前がしっかりとクレジットされているし、編集者がワンカット風に映画をつなげているということになる。
だから“全編ワンカット”というのは過大広告なのかもしれないのだが、それはともかくとしてもどんなふうに撮ったんだろうかと思わせるシーンが多々あり、アカデミー賞において撮影賞(撮影監督はロジャー・ディーキンス)を獲得したのは伊達ではないと思わせるには十分だった。
塹壕から抜け出して
本作はふたりの主人公がただひたすら伝令のために前に進んでいくというだけの話だ。ほとんど一直線に突き進んでいくわけで、脇道に逸れることもない。しかし、その行程にはさまざまな困難が待ち受けている。
観客は主人公たちと一体化して、何が飛び出してくるかわからない未知の戦場のなかを進んでいくわけで、ワンカット風の撮影だからこそ主人公との一体感も増すことになるし、先が見えない感覚は緊張感を生むことになる。その意味で本作は、ワンカットという手法と物語がうまく絡み合っている作品だったと思う。
当時の戦争では両軍がそれぞれに塹壕を掘って対峙する形になる。主人公のブレイクとスコフィールドは連合国軍側の塹壕を越えて、その間のノーマンズランド(無人地帯)を抜けていく。この塹壕のなかを歩き回り、そこを越えて戦闘による死体が転がっているノーマンズランドを這っていく場面などは、キューブリックの『突撃』のそれを思わせて秀逸だった。
それからブレイクとスコフィールドの姿を追い続けるカメラが、ふたりが水たまりを迂回する場面ではそのまま水面を滑るように進んでいくところなどちょっと驚きがあったと思う。後半になって一気に夜の場面へと移行するのは、昼間の場面とのコントラストを狙っているようでもあって、照明弾に照らされた廃墟のような街の様子は別世界のようだった。
確率の問題
本作では最初はブレイクが主人公のように物語は進んでいくが、途中でブレイクは死にスコフィールドへと主役がバトンタッチされる形になる。それにしても、なぜスコフィールドが生き残り、ブレイクは死ぬことになったのか。
スコフィールドは特別な能力を持っていたわけではない。一度は爆発で死にかけ、ブレイクに救われたりもする。ブレイクはドイツ兵に情けをかける優しさが、災いしたとは言えるかもしれないが、ふたりの能力に差は感じられないのだ。
ひとりになったスコフィールドは、銃を失くしヘルメットすらない。身体ひとつでドイツ兵がいる街を駆け抜け、激流の川に流され、すでに作戦が開始されてしまった戦場をわき目もふらずに突き進む。戦場では味方の兵士が敵の銃弾に次々と倒れるなか、スコフィールドはたまたま銃弾をかいくぐることになる。
スコフィールドが生き残ったのはあくまでたまたまであり、それは確率の問題なのだ。どんな戦争でも敵側のすべてを根絶やしできるわけではないわけで、一部は生き残る。スコフィールドが生き残ったのは、言い方を変えれば偶然に過ぎないなのだ。
伝令を受け取ったマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)の言葉によれば、次はまた別の伝令が来ることになる。しかもその時は今回とは正反対で、作戦を遂行すべしというものになるのかもしれない。その伝令のためには、また別の兵士が駆り出されるされることになるのだろう。
ブレイクはスコフィールドがかつて勲章をもらったことを羨ましがるのだが、スコフィールドはその勲章をワインと交換してしまったのだという。スコフィールドは自分が勇敢だったから勲章がもらえたわけではないことを理解しているのだ。千人も万人も人をつぎ込めば、たまたま生き残る奴もいるだろうさ。そんな気持ちが勲章に対する素っ気ない態度となっていたのだろう。
生き残ったスコフィールドは冒頭と同じように木にもたれてしばしの休憩を取ることになるのだが、その胸に去来するのは何だったのだろうか。スコフィールドはブレイクという戦友を亡くしながらも、その死を悼む余裕もなく戦場を夢中になって駆け抜けてきた。そして、ほとんどワンカットでその出来事を追ってきた観客もそれを体感している。スコフィールドも観客もようやく一息吐いたところで、生と死は紙一重であることをまざまざと感じたんじゃないだろうか。
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