『ザ・フラッシュ』 文句のない娯楽作?

外国映画

監督は『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』などのアンディ・ムスキエティ

『ジャスティス・リーグ』にその一員として登場したフラッシュが主演となった単独作。

本作は『ジャスティス・リーグ』や『ブラックアダム』と同じDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)の1作として企画されたらしいが、DCEUではなくてDCUの作品とされたらしい。詳しい事情はよくわからないけれど、仕切り直しということのようだ。

物語

地上最速のヒーロー、フラッシュことバリー・アレンは、そのスピードで時間をも超越し、幼いころに亡くした母と無実の罪を着せられた父を救おうと、過去にさかのぼって歴史を改変してしまう。そして、バリーと母と父が家族3人で幸せに暮らす世界にたどり着くが、その世界にはスーパーマンやワンダーウーマン、アクアマンは存在せず、バットマンは全くの別人になっていた。さらに、かつてスーパーマンが倒したはずのゾッド将軍が大軍を率いて襲来し、地球植民地化を始めたことから、フラッシュは別人のバットマンや女性ヒーローのスーパーガールとともに世界を元に戻し、人々を救おうとするが……。

(「映画.com」より抜粋)

文句のない娯楽作?

フラッシュというキャラクターは『ジャスティス・リーグ』で初めて登場した。ほかのメンツと比べると弟分のようなキャラクターで、コメディ担当みたいな位置付けだったように思えた。

とにかくとんでもなくスピードという設定で、フラッシュことバリー・アレン(エズラ・ミラー)が本気で走り出すと“スピードフォース”とかいう別次元に移行し、周りの世界は止まったようになるらしい。

冒頭の派手なアクションがそんなフラッシュの能力をうまく紹介している。空は飛べるし目からはビームを出すといったオールマイティな力を持つスーパーマンや、無尽蔵の財力と様々な武器を活用するバットマンと比べると、若輩者といった感じのフラッシュは分が悪い。結局その時も悪党を追うのはバットマン(ベン・アフレック)で、フラッシュの役割としてはバットマンのやり残したことの後始末ということになる。

そんなわけで派手な見せ場はみんな兄貴分たちの領分で、フラッシュはそれを愚痴りながらも彼の能力を最大限に活用し、崩壊寸前の病院から子どもたちを助けることになる。ビルが崩壊し、一気に外に投げ出されることになってしまった子どもたち。普通なら絶体絶命のピンチというところだが、フラッシュは「腹がへっては戦はできぬ」と言わんばかりに腹ごしらえをしながらそれを見事にこなすことになる。

この冒頭のシークエンスは、本作がバットマンとして最後の登場となるベン・アフレックの活躍もあって、導入部の“つかみ”としてはバッチリ決まっている。最後の美味しいところは唐突に現れて去っていくワンダーウーマンガル・ガドット)に持っていかれてしまうけれど、フラッシュはそこから一気に2時間ちょっとを存分に楽しませてくれるのだ

(C)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved (C) & TM DC

DC版マルチバース

バリーはたまたま自分の能力によって時間を遡ることができることを知り、それを過去の出来事を改変するために使うことになる。その出来事というのが、バリーの母親が強盗に殺された事件だ。その事件のためにバリーは母親を殺され、父親は母親を殺害したとして無実の罪を着せられることになってしまったのだ。「あの事件さえなければ……」、そんな思いがバリーに時を遡らせることになる。

バリーは過去の出来事を変え、それによって自分の母親を事件から救い出すことになる。ところが、バリーはその仕事をやり終えて元の世界に戻るはずが、途中でスピードフォースの中で何者かに襲われ、元の世界に戻る前にそこから弾き飛ばされることになってしまう。

そこはバリーがいた元の世界とは別の世界で、若かりし頃のバリーもいる。しかもタイミングの悪いことにかつてのスーパーマンの敵だったゾッド将軍(マイケル・シャノン)が来襲し、地球は危機的な状況に陥ることになってしまう。バリーは若いバリーと一緒になって、世界の危機に立ち向かうことになるわけだが……。

こんなふうにしてDC版マルチバースの扉が開くことになる。MCUは先にマルチバースを取り入れたわけだが、本作も流行りみたいにも感じられるマルチバースを取り入れた形になっているのだ。

(C)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved (C) & TM DC

スポンサーリンク

 

マイケル・キートン、登場!

本作は冒頭のアクションなどの見せ場もあるけれど、観客を喜ばせたのはマルチバースによって過去のDC作品のキャラクターがあちこちに顔を出してくるところだろう。

何と言ってもティム・バートン版の『バットマン』シリーズでバットマンを演じていた、初代バットマンとも言えるマイケル・キートンが再びバットマン役として登場するのは、ファンをにんまりさせるところだろう。

黄色のエンブレムのかつてのバットマンスーツでマイケル・キートンが登場してくる場面はワクワクさせるし、バットモービルもかつてのバージョンになっているのも懐かしさを誘うのだ。

(C)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved (C) & TM DC

また、この地球にはスーパーマンは存在しておらず、その代わりに登場するのがスーパーガール(サッシャ・カジェ)だ。1984年の『スーパーガール』ヘレン・スレイター『スーパーマン』(1978年から)シリーズのクリストファー・リーヴと一緒に顔を出したりするけれど、今回のスーパーガールはスカート姿ではなくてカッコいいイメージになっていてこれもまたよかった。

しかしそれ以上にビックリしたのは、ニコラス・ケイジが長髪のスーパーマンとして登場してくるところ。あとで調べてみると、これは企画倒れになってしまった『Superman Lives』という映画とのこと(監督はティム・バートンだったらしい)。マルチバースという設定ならば、現実には実現しなかった映画も実現したことなるのだ。

そんなわけで『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で3人のピーターが同じ世界に登場することになったように、『ザ・フラッシュ』はファンにとってはとても賑やかで楽しい作品になっている。

しかしながら、それほど新奇さはないとも言えるかもしれない。マルチバースの使い方は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のそれとよく似ているようにも思えるし、愛する人を殺されたヒーローが時間を逆戻りさせるというのはすでに『スーパーマン』でもやっていたことだ。

それでも本作はバリーのちょっとウザいキャラクターがおもしろくて飽きさせない。もともとしゃべり過ぎてバットマンことブルース・ウェインに呆れられている感じだったバリーだが、過去に遡って若かりし頃のバリーと遭遇すると、自分のウザいキャラを改めて確認することになってしまう。この新旧のバリーのコンビがボケとツッコミ(あるいはダブルボケか?)のようになっていて、服を燃やしてしまって丸裸になるなど下らなくて笑えるネタが盛り込まれていて飽きさせないのだ。

(C)2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved (C) & TM DC

ほろ苦い結末と外部の事情

そんな娯楽作の『ザ・フラッシュ』だが、結末はほろ苦い。バリーは母親を救うために世界を変えてしまう。ところが、そのことが地球自体を危機に陥れることになってしまう。けれどもその世界には頼りになるスーパーマンはいない。バリーはバットマンとスーパーガールと一緒になって奮闘することになるけれど、最終的には同じ結末になってしまう。バットマンもスーパーガールも殺され、地球はゾッド将軍の手に堕ちることになってしまうのだ。

バリーはその結末を回避するために何度も時間を遡ることになる。地球を救うために何度も同じ闘いを繰り返すことになるのだ。ここでようやく明らかになるのは、バリーをその世界へと弾き飛ばしたスピードフォースの中の怪物はバリー自身だったということだ。過去の出来事にこだわるあまり、バリーはいつまでもそこから抜け出せなくなっており、真っ赤なスーツは薄汚れて別物のようになってしまっている。あの怪物は何かをこじらせてしまったバリー自身の姿だったのだ。

ブルース・ウェインは「両親の死が今の自分を作った」という旨のことを告白していた。しかもベン・アフレックのブルースも、マイケル・キートンのブルースも同じことを言っていた(ように記憶している)。ブルースの場合は過去の悲劇をうまく昇華しているのかもしれないけれど、バリーはそれを変にこじらせてしまい、最終的にはその世界を崩壊させることになってしまうのだ。

それを回避するためにできることは、バリーが元の世界を受け入れることだ。母親を殺され、父親は無実の罪で逮捕されている元の世界、それを受け入れることを余儀なくされるのだ。これは何かを諦めて受け入れなければいけない出来事もあるというメッセージだろうか(それでもその後に行われた裁判で父親の無罪は勝ち得ることになるのだけれど)。

バリーとお母さんの最後の触れ合いの場面はちょっとホロリとさせる。このお母さんを演じていたマリベル・ベルドゥは、どこかで見た顔だと思っていたら『天国の口、終りの楽園。』(アルフォンソ・キュアロン監督)で重要な役柄を演じていた人だった。

こんなふうに本作は映画そのものだけを見れば娯楽作として何も文句はないのだけれど、どうも外側が騒がしい。というのも、この作品は公開前に色々とゴタゴタしていたようなのだ。その一端は主演のエズラ・ミラーの素行の悪さにあるようだ。それでも公開することになったのは、すでに金がかかり過ぎていたからだろうか。

最近、日本でも公開間近だった某映画が出演俳優の騒動によって撮り直しになり公開延期となってしまったようだ。本作だってそんなことにもなりかねなかったということだろうし、映画そのものが楽しくても映画外のそんな醜聞を知ってしまうと、それに水を差される形にもなってしまう。素直に「楽しかった!」と言えれば良かったのだけれど……。

コメント

タイトルとURLをコピーしました