『夜明けまでバス停で』 世代を超えたメッセージ

日本映画

監督は『光の雨』『愛の新世界』などの高橋伴明

脚本は『WALKING MAN』などの梶原阿貴

本作は、雑誌『キネマ旬報』の日本映画のベストテンでは第3位に選出され、高橋伴明は日本映画監督賞を、梶原阿貴が脚本賞を獲得した。

昨年10月に劇場公開され、5月25日にソフトがリリースされた。

物語

2020年11月の深夜。大道路沿いにあるバス停の細いベンチに、うつむくように腰をかけた北林三知子(45)が仮眠をとっている。このところ一気に冷え込むようになった。手持ちのコートではこの先の寒さには耐えられないかもしれない。向こうからコンビニ袋を下げた男がやってくる。男は生垣から石を拾ってコンビニ袋の中に入れる。キャリーケースに頭をもたげた三知子はそれには気付いていない。男は三知子のすぐ前で立ち止まり、コンビニ袋を頭上に振り上げた―。

(公式サイトより抜粋)

事件を参考にした虚構

『夜明けまでバス停で』は、実際に起きた事件を参考にしている作品なのだそうだ。その事件というのは、「渋谷ホームレス殺人事件」だ。渋谷区幡ヶ谷のバス停で夜中に仮眠していた60代のホームレスの女性が、40代の男に撲殺されたという事件だ。しかし、本作はその事件を参考にしてはいるけれど、その事件の中身に迫るという作品ではない。

というのは、被害者のホームレス女性は亡くなってしまい、さらに加害者の男性も公判前に自殺してしまったという事件であり、事件についての詳細が裁判で語られることもなく終わってしまったからだ。

もちろんこの事件については、加害者についても被害者についてもある程度の情報が報道されているけれど、製作陣としては事件そのものを描くことよりも、それを利用して別のことを描きたかったということなのだろう。

もし事件を具体的に追ったとしても、精神を病んだ男性によって引き起こされてしまった悲劇というものにしかならなかったということなのだろう(被害女性にとっては誠に不幸としか言いようがないわけだが)。そんなわけで本作はあくまでもフィクションということになる。

(C)2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

転落には理由あり

本作の主人公・三知子(板谷由夏)はアクセサリー作家の仕事しているのだが、それだけでは食べていけないために焼き鳥屋のバイトもしている。この焼き鳥屋はなかなか活気のある店で、客も多く繁盛しているのだが、ある出来事によって状況は一変する。

それが新型コロナの騒動だ。コロナの患者が増えるにつれ、客はまばらになり、緊急事態宣言で店を一時的に閉めざるを得ないことになってしまう。そうなるとバイトの三知子たちの立場は弱い。社員たちの前にバイトたちはクビを切られ、その焼き鳥屋が借り上げていた部屋からも追い出されることになってしまう。そんなこんなで三知子はあっという間にホームレスの立場に陥ってしまうのだ。

三知子がそんな立場に追い込まれてしまうのには理由がある。三知子は正義感が強い女性であり、見栄っ張りで人に弱味を見せられない人でもある。そんな三知子の性格が彼女をホームレスへと追いやることになってしまうのだ。

三知子はフィリピンからの“ジャパゆきさん”のマリア(ルビー・モレノ)の厳しい家計事情を察し、店の残り物を持って帰るための手伝いをしている。これも三知子が弱い立場にいる人を見過ごせないためだろう。こうした正義感の強さは、同じ時にクビになった同僚の純子(片岡礼子)に「いつも正しいよね。それってなんか、時々ムカつく」などと冗談混じりに指摘されたりもする。

また、三知子には別れた旦那がいるのだが、なぜか旦那が彼女名義のクレジットカードを使って拵えた借金を律儀に返しているらしい。その理由は恥を晒すようなものだからというのだ。こんなふうに正義感の強さと見栄っ張りな部分が、三知子を実家に戻るという選択肢をないものにしてしまうことにつながっている。折り合いの良くない兄に頼ることができさえすれば、三知子はホームレス生活などする必要はなかったのかもしれないのだ。

(C)2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

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正義と怒り

本作の主人公・三知子が正義感の強い人だったように、本作の登場人物はどこかで自分のことを正しいと思っているのだが、ほかの立場から見るとそれぞれどこかで間違っているようにも感じられる。本作がフィクションだというのは、そうした観点から本作が構成されているということだ。

冒頭では、バス停で仮眠をとっている三知子を、誰かが撲殺しようとする場面が描かれている。この工藤(松浦祐也)は孤独な男なのだが、地域でボランティアとしてゴミ拾いをやったりもしている。彼はあるYouTuber(柄本佑)の「ホームレスは税金泥棒」という主張に影響され、夜中に自分のテリトリーのバス停で仮眠をしている三知子のことを疎ましく思うようになる。

YouTuberは、ホームレスは臭くて、無意味な存在だと主張する。実際の三知子はそれなりに身綺麗にしているのだが、YouTuberの悪影響を受けた工藤にとっては彼女が汚いものに感じられてしまう。ゴミ拾いを褒められるのと同じように、彼女のことを排除することも正しいことのように思い込んでしまうのだ。

もう一人の登場人物としてバクダン(柄本明)と呼ばれるホームレスが出てくる。バクダンはかつての学生運動の闘士であり、交番を爆弾で爆破したとして逮捕されたという経歴の持ち主だ。バクダンがそんなことをやったのは、彼なりの理由がある。

バクダンは日本がアメリカの核兵器の傘の下という安全な場所に居つつも、ベトナム戦争でベトナムを攻撃するための兵器を売りつけて儲けていることが許せなかったのだ。「こんな世の中おかしい」という思いが、彼にバクダンを作らせることになる。

工藤という男も彼なりに正しいことをやっているつもりだったのかもしれないし、バクダンにも彼なりの正しさがある。けれどもほかの立場から見れば、彼らのやっていることはどこかで間違っているわけだ。

それから焼き鳥屋時代の三知子の上司とも言える店長の千晴(大西礼芳)は、途中で自分の間違いに気づき、正しいことに目覚めることになる。千晴はオーナー(三浦貴大)と一緒になって三知子たちバイトをクビにした張本人だ。しかしオーナーがやっていることが既得権益に胡坐あぐらをかいた酷いことであることを理解し、三知子たち弱者の立場に立つことになるのだ。

店長はオーナーにバイトたちの退職金を払わせるために、三知子の署名を偽造する。これはもちろん犯罪ということになるわけだが、千晴は三知子たちのために正しいことをしていると信じているからそんなこともできるということになる。

こんなふうに本作の登場人物は、自分では自分のことを正しいと思っている。三知子も自分が正しいことをしてきたと信じている。だからそれがこの国では「割りに合わない」ことに次第に怒りを覚えることになるのだ。

(C)2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

切り捨てられる弱者

本作はコロナ禍の騒動を描いている。日本政府のコロナ対策はどうだったのか。様々な見解があるのかもしれないけれど、本作はそれに否定的だ。劇中で当時の菅首相の演説が引用されている。「自助、共助、公助」の順番というやつだ。「最初は自分で努力しましょう」というアレだ。これは結局は国が弱者を切り捨てているということなんじゃないか。本作にはそんな怒りがあるのだ。

本作において悪役のような役割を与えられている焼き鳥屋のオーナーは、バイトのことなどは使い捨ての駒のようにしか考えていない。三知子たちをクビにしても何とも思わないし、挙句の果てには退職金までネコババしようとする。このオーナーの姿には、最終的には弱者を切り捨てることで、自分たちの立場を安泰にしようとしているようにも見える政治のあり方が重ねられているのだろう。

だから三知子は異議を唱えることになる。三知子はバクダンに感化され、爆弾作りに精を出すことになるのだ。そして、ふたりが都庁を爆破するつもりで歩いてゆく場面は、ヤクザ映画の「道行き」シーンみたいに演出されている。ヤクザが仁義に駆られて敵対組織に殴り込むように、三知子とバクダンは正義の名の下に爆弾を仕掛けるのだ。

ところがこの爆弾はフェイクだったらしく、三知子は肝を冷やしただけで犯罪者になることは免れることになる。三知子は正しいことをしてきたと信じていた。だからこそ、それが「間尺に合わない」と知ると、怒りを覚えることになる。もちろん爆弾なんかにその怒りを向けることは間違っているわけだけれど、政府が弱者を切り捨てるようなことを続けていればそんなことも起こり得るということなのかもしれない。

(C)2022「夜明けまでバス停で」製作委員会

世代を超えたメッセージ

高橋判明監督のインタビューによれば、最初に梶原阿貴が書き上げた脚本にバクダンというキャラクターを付け加えたのは高橋監督のアイディアだったようだ。それによって本作はちょっと予想外の展開をしていくことになる。

高橋監督は連合赤軍事件を題材にした『光の雨』という作品も撮っているし、学生時代は大学闘争で大学を除籍されもしたということで、バクダンの立場はどこかで高橋監督とも重なってくるようにも感じられる。

バクダンは三知子に爆弾作りを指南することになるけれど、今の若者たちがかつてのバクダンたちの怒りについて何も知らないことを嘆いてもいる。だいたい当時の学生運動の闘士たちの言葉は小難しくて何が言いたいのかわからないことも多く、今の世代からすれば理解不能な存在にも感じられる時がある。これに関してはたとえば『罪の声』などにも描かれている。それでもバクダンは若い世代の三知子に何かを伝えようとしているようにも見えなくもないのだ。

バクダンは三知子の前で、「俺たちはどうすれば良かったんだろう。それが未だに総括できない」などとつぶやいている。正しいと思って活動していたけれど、そこには今では疑問もあるということだろうか。だからだろうか、バクダンは三知子を犯罪者にはしなかった。しかしながら、バクダンは同時に「腹腹時計」という危なっかしい本を三知子に託している。この本は、Wikipediaによれば「爆弾の製造法やゲリラ戦法などを記した教程本」とのこと。極左グループが地下出版した有名な本で、人前で読むのは憚られるようなものらしい。

多分、バクダンはこの本を託すことで三知子にテロリストになれと言いたいわけではないのだろうと思う。具体的に何を伝えようとしているのかはわからないけれど、今回の爆弾騒ぎが老後の暇つぶしだったわけでもないのだろうから、それによって“何か”を伝えようとしていたんじゃないだろうか。三知子の受け取り方がどうなのかという点には疑問も残るけれど、本作にはかつての学生運動の世代からの若い世代へのメッセージみたいなものが込められていたようにも感じたのだ。

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