監督は『14歳の栞』の竹林亮。
脚本は夏生さえりと竹林亮。
物語
月曜日の朝。プレゼン資料の準備で忙しい中、主人公が後輩2人組から「僕たち、同じ一週間を繰り返しています!」と報告を受けるシーンからこの物語は始まります。
小さなオフィスで起きた、“社員全員タイムループ“。
ひとり、またひとりと、タイムループの中に閉じ込められているのを確信していきます。
「もう仕事なんて放り出してしまいたい」「新しいスキルを身につける、いい機会かも?」「仕事をうまくいくまで繰り返して、最高の状態で転職してやる!」それぞれの様々な思惑が交錯しながら、繰り返される地獄の一週間。
しかし、タイムループ脱出の鍵を握る肝心の部長は、いつまで経っても気づいてくれなくて……。
(公式サイトより抜粋)
食傷気味の“ループもの”?
“ループもの”は数多いし、それこそやや食傷気味ですらあったかもしれない。本作のチラシなどにも使われているハンドサインを示した三人(下に添付した場面)の異様な雰囲気からも何かしらのあやしいものを感じ最初は食指が動かなかったのだが、公開が始まると映画サイトなどでは軒並み評判が良さそうだったので観に行ってみた。正直な感想を言えば、大いに笑えた。そして、最後はちょっとだけほろりとさせる、なかなかの掘り出し物だったんじゃないかと思う。
私が劇場に足を運んだ時はたまたま舞台挨拶の時だったのだが、監督やプロデューサーなども劇場公開などは考えてもいなかったようだ。製作陣はネット配信をする「劇団テレワーク」なる劇団などもやっているらしく、それらのコンテンツはyou tubeで見ることができる。本作もそうした場所での公開を考え、ちょっとした短編を作るつもりで始ったものが次第に大きくなり、あれよあれよといううちに劇場公開され、Filmarksで観客の満足度の1位を獲得するまでになってしまったようだ。
とはいってもそれはまぐれではなかったようで、竹林亮監督は最初のドキュメンタリー作品『14歳の栞』も評判がよかったと聞くし、you tubeで公開されてもいる短編『もう限界。無理。逃げ出したい。』は、5000万回も再生されているほどの実力者らしい(ちなみにこの短編もループを扱っている)。
身近なループ感覚
本作はいわゆる“ループもの”ということになるわけだが、ちょっと変わっているのが舞台となっているのがオフィスだということだろう。とはいえ、日々の仕事は同じことの繰り返しのように思えないこともないわけで、忙しく仕事ばかりをしていたら毎日がループしているような感覚に陥ることはそれほど珍しいことではない。本作のオフィスではクライアントの無理難題によって、一週間泊まり込むような地獄の日々が続いている。ところがなぜかそんな一週間が繰り返すことになるのだ。
主人公の吉川(円井わん)は中堅社員というところ。今回のプロジェクトではクライアントとの窓口になっている。吉川がこの仕事に賭けているのは、クライアントは自分が憧れている人物の職場でもあり、今回のプロジェクトが成功すれば吉川はクライアント側に引き抜かれることになっているからだ。そのためにも絶対に成功させなければならない仕事なのだが、クライアントのゴリ押しもあってトラブルばかり……。
そんな時に後輩2人がこっそりと吉川に「僕たち、同じ一週間を繰り返しています!」と報告することで、何か異常なことが起きているということがわかってくる。
「時よ、止まれ」という願い
本作では劇中でも『ハッピー・デス・デイ』、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、『恋はデジャ・ブ』の名前が挙げられている。最近の“ループもの”、たとえば『パーム・スプリングス』とか『明日への地図を探して』なんかは、過去の“ループもの”はすでに前提になっていて、それらの作品でやったことから登場人物が学んでいることもある。
本作では吉川の後輩2人が“ループもの”をよく知っていて、そこから抜け出す方法を探すことになる。ふたりが導き出した結論は、ループの原因となっているのは永久部長(マキタスポーツ)の腕飾りだということ。腕飾りの呪いによって、「50歳になんかなりたくない」「時よ、止まれ」という部長の願いを叶えるべく、ループが発生してしまっているというのだ。
だったら部長に直訴すればと吉川は考える。ところが吉川が直接部長にループを訴えても、まともに扱ってはもらえない。結局は社内の序列をひとつずつ順番に上っていく形で上申するほかない。こんなよく理由がわからないルールはどこの会社でもありそうなもので、吉川たちはそれによって回り道をせざるを得なくなる。
そうしてようやく吉川たちは全員で部長に対してループについてのプレゼンを行うことになるのだが、このシーンが前半のクライマックスとでもいうべきところで、爆笑必死のシーンとなっている。
※ 以下、ネタバレあり! 結末にも触れているので要注意!!
ループのふたつの側面
本作はそのプレゼンによって部長もループしていることを理解するようになるわけだが、腕飾りを壊してもループは継続していく。実はほかの原因があることが判明し、さらに映画は続いていくことになるのだ。
ここではループということのふたつの側面が描かれている。社員たちのほとんどが自分たちが閉じ込められてしまったループから抜け出すことを望んでいる。一方で永久部長はそのループの中に閉じ込められることを望んでいる(「永久」という苗字も意味ありげ)。それを示しているのが、部長がかつて描いていて中途半端になっていた漫画だろう。
この漫画の中の主人公は、人生の終わりになって自分が何もなしえなかったことに気づき、もう一度人生をやり直したいと考える。この場合は改めて人生をやり直せること、つまりはループすることはむしろ主人公が望んだものということになる。そして、この漫画が描いていることは誰もが感じることなんじゃないだろうか。
今、この文章を読んでいる人の中で死んだことのある人はいないはずだから、死ぬ時にそんなことを感じるのか、あるいは満足して死んでいくのかはわからないけれど、それでも自分がその最期にこの漫画の主人公と同様のことを感じたとしても何の違和感もないし、後悔がまったくない人生なんてあり得ないわけで、それは当然のこととすら言えるだろう。その意味ではループというやり直しは、その人にとっては救いになっているとも言える。
つまりはループは抜け出さなければならない苦痛の側面と、やり直せるという意味では積極的な意味合いを持つという両面があるということになる。
ループは救い?
そもそも“ループもの”の元祖と言えるものがあるとすれば、それは輪廻転生という考え方なんじゃないだろうか。この考え方は古代インドに発生したものとされるようだが、日本においてわかりやすい仏教的な輪廻転生ということに限ってみても、ループすることのふたつの側面が感じられる。
仏教では輪廻が“苦”とされ、最終的にそこから抜け出すことが解脱というゴールとされることになる。しかしながらこの目的に達することは難しい。仏教の設定では、お釈迦様はこの世界で唯一それを成し遂げた人ということになっている。しかしながら、そんなお釈迦様も何度も生まれ変わる(輪廻転生)ことでそれを成し遂げたとされるのだ。
お釈迦様の過去生における出来事は、「ジャータカ」と呼ばれる物語として伝えられている。輪廻転生の場合、ループとは異なり、同じ人物が人生をやり直すわけではないわけだが、お釈迦様は何度も何度も生まれ変わり人生をやり直し(その中には動物に生まれ変わることもあるわけで「人生」だけではないのだが)、最終的に解脱に至るほどの立派な(?)人物に成長したというふうにも考えられる。
生き直すことで前よりもうまく生きられるということは、ループの積極的な側面だろう。一方で最終的にはそうした繰り返しの中に閉じ込められていることは“苦”として捉えられ、最終的にはそこから抜け出すことが目的とされる。すでに輪廻転生というものにループのふたつの側面が含まれているわけで、『MONDAYS』はその両面をうまく描いているのだ。
ループして同じ一週間を繰り返すことで、吉川は前回よりももっとうまく仕事をこなせるようになる。これは社畜としての吉川の一面でもあるわけだが、ループから抜け出すために社員たちがやっていることとは足並みが揃わない。吉川は自分の成功のために他人のことを省みないという独善的なところがあったのだ。そのことで会社の仲間と距離が生まれたりもするわけだが、繰り返すループの中で吉川が人間的にも成長していくというラストはちょっとだけ感動的でもあった。
主演の円井わんは初めて名前を知ったのだが、舞台挨拶の中での話によれば直前まで『貞子DX』の撮影だったとのことで、これからの注目株なのかもしれない。『貞子DX』での役柄は謎だが、もしかしたら現在は発表されてはいないタイトルロールということなんだろうか? 昭和のオヤジ感を漂わせるマキタスポーツもよかった。プレゼンシーンが爆笑となったのも、彼の受けがあったからこそかもしれない。それから個人的にいつも気になる池田良は、吉川に無理難題を発注する側として顔を出す。電話の声からして広告代理店の胡散臭い感じが出ていて、これまたツボだった。
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