監督は『幕が上がる』『曇天に笑う』などの本広克行。
原案には押井守の名前が挙がっている。
物語
先勝美術大学映画研究会は文化祭を明日に控えても、例年通り展示もしなければ発表もないまったりとした時間が流れていた。ところがサラ(小川紗良)は昨日の夜に夢で見た通り、部室である脚本を発見する。それは「夢みる人」というタイトルで、一緒に出てきた16ミリフィルムを映写してみると、その作品は未完成のままで途切れていた。
同じようになぜか夢を見てそこに現れたタクミ先輩(斎藤工)は、その脚本を見ると、「これは撮ろうとすると必ず何か恐ろしいことが起こる、OB達の間ではいわくつきの映画だ」と語る。それでもその脚本に魅せられたサラは、みんなでこれを完成させようと奮起するのだが……。
元ネタは?
ここでサラが完成させようとする「夢みる人」という脚本は、誰もがわかる通り『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』のことだ。かつて押井守が監督を務めた作品であり、原作の枠組みだけを借りて自分の作品にしてしまったことから、原作者・高橋留美子の逆鱗に触れたとも噂される作品である。
だからなのかどうかわからないけれど、本作は『うる星やつら』そのものに関しては一切触れることはない。キャラクターはどう見てもラムだったり、サクラや面倒終太郎など『うる星やつら』のキャラそのものなのだが、それぞれ違う名前のキャラになっている。やはり色々な意味合いで“いわくつきの映画”だから、正確にそれを名指しするのは避けられたということなのだろうか。それでいてサラは『うる星やつら2』のカット割りまでそっくり真似をして撮影している。アニメ版のそれと寸分違わぬものを実写で再現しようとするのだ。
ちなみに『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』は“ループもの”の古典とも言われているようだ。評論家・浅羽通明の『時間ループ物語論』では、“ループもの”を様々に分類する中で、『うる星やつら2』は「時間ループそのものを楽しんで肯定する物語」としている。というのも、主人公のラムは文化祭前日の楽しい1日が永遠に続くことを願っているからだ。
メタメタな感じで
『うる星やつら2』を何度も観ている人ならば、サクラと温泉マークの会話を360度のパンで見せる場面など、かなり忠実に再現しているので、その再現度合いでも楽しめるのだろう。とはいえ本作は『うる星やつら2』の実写版ではないわけで、未完成の映画を完成させようとする映画研究会(映研)の面々の物語となっている。
劇中劇である「夢みる人」の監督をすることになるサラは、タクミ先輩もそれに参加させ、「メタメタな感じで撮りたい」などとも語っている。本作はメタフィクションを意識してつくられているのだ。
そもそもサラを演じる小川紗良はかつて大学映研に所属していて、そこで監督をしていたことがあるとのこと。また、サクラ(劇中劇の役名ではアヤメ先生)を演じる秋元才加は、元アイドルのアキモトサヤカという役柄であり、本作では役者が本人と似たような役柄で映画に登場しているのだ(斎藤工は俳優ではなく、プロになりたい映像制作者という設定だが)。
しかも映研内部の他愛のないおしゃべりの部分は、ほとんど即興で演じられているとのこと。会話の中に『ドリームキャッチャー』とか『メイズランナー』など映画のタイトルを入れて無暗に喜んでいるのは、大学映研にありがちな姿のように思えるし、映画好きな出演者のアドリブということなのだろう。
映画製作という夢
メタな構造はあちこちに見られる。劇中劇のしのぶとラムの会話に見られる関係性は、そのまま映研の面々の関係性に重なる。そもそも『うる星やつら2』では、ラムが文化祭前日の楽しい日が永遠に続くことを夢見たことが発端となるわけだが、それは本作で劇中劇を製作するサラの夢にもつながってくることになる。
劇中劇の製作は途中で頓挫することになるわけだが、それは映研の仲間と一緒にいつまでも映画製作をし続けることがサラの願望でもあるからだろう。未完成ならばさらに映画製作を続けられるからだ。さらに言えば、そんなサラの背後にいるのは、本作『ビューティフルドリーマー』の監督である本広克行の姿ということになるのだろう。本広監督もそんなふうにみんなで映画つくることが夢なのだろう。
ラストはこれまた『うる星やつら2』と同じで、劇中劇内の校舎にタイトルが現れて終わることになるのだが、これは『うる星やつら2』のオマージュであるわけだが、同時に本広監督の『サマータイムマシン・ブルース』の時に登場したSF研究会が入っていた建物とも似ているような気がする。
というよりは、本広監督はそもそも『うる星やつら2』からかなりの影響を受けていて、『サマータイムマシン・ブルース』の時も似たような雰囲気の建物を選んでしまったということなのだろう(『サマータイムマシン・ブルース』は一種の“タイムトラベルもの”でありながら、とても狭い世界でドタバタ劇を繰り広げるところが笑えた)。それほど本広監督にとって執着のある映画だからこそ、本作においてわざわざ実写で寸分違わず再現するなんてことをしてみたのだろう。
本作は「現代のATG」をつくるという意図のもとに「シネマラボ」という新しいレーベルで製作されたものの第一弾だとか。ATGは低予算ながら作家主義的で独自な作品を生み出していた。そんなかつてのATGと本作はかなり雰囲気が異なるわけだが、金があまりかかっていない分、監督が自由にやっている感じは伝わってくる気もする。もしかするとそうした新しい試みの中から何か生まれてくるものがあるのかもしれないが、果たしてどうだろうか。
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