『いつか、いつも……いつまでも。』 とあるパワー

日本映画

監督は『ロックよ、静かに流れよ』『西の魔女が死んだ』などの長崎俊一

脚本は『西の魔女が死んだ』などの矢沢由美

物語

海辺の小さな町。祖父である“じいさん”(石橋蓮司)が院長を務める診療所で医師として働く俊英(高杉真宙)は、じいさんや家政婦の“きよさん”(芹川藍)と一緒に暮らす、そっけない態度に優しさを隠した不器用な若者。ある日、そんな彼の前に、思い込みの激しい叔母さん(水島かおり)に連れられて、亜子(関水渚)という女性が現れる。なんと亜子は、俊英が思いを寄せていた、ある女性にそっくりだった。

(公式サイトより抜粋)

昭和風味のキラキラ映画?

俊英(高杉真宙)が生活する静かな病院の描写をぶち壊すかのように闖入者がやってくる。この叔母さん(水島かおり)は何とも強烈なキャラクターだ。まず人の話をまったく聞こうとしない。勝手にひとり合点して勘違いしたまま、しばしの間スクリーン上を支配し、その勘違いをみんなに押しつけたまま嵐のように去っていく。そんな観客の度肝を抜くようなキャラクターなのだ。

叔母さんは亜子(関水渚)を自分の知り合いだと勘違いしている。亜子もそれを勘違いだと指摘しようとはするのだが、叔母さんはのべつ幕なしにしゃべり続け亜子に付け入る隙を与えず、強引に亜子を俊英の家へと連れてきたのだ。叔母さんは亜子のことを長男か誰かの嫁だとか言っているのだが、早口の上にろれつも回らない感じで何を言っているのかもよくわからない。とりあえず叔母さんとしては、亜子を紹介するために連れてきたらしいのだ。

(C)2022「いつか、いつも……いつまでも。」製作委員会

しかし、俊英としてはその亜子を見て驚かされることになる。彼女は俊英にとっては想いを寄せる相手だったからだ。とはいえそれは俊英が勝手に想っているだけの一方的なものだ。俊英は写真の中の亜子に恋し、実はこっそりと家まで会いに行ったりもしたらしい(結局、声をかけることなかったのだけれど)。

『いつか、いつも……いつまでも。』では、俊英が一目惚れした亜子が、様々な偶然のいたずらが重なって、俊英の家で一緒に暮らすことになってしまう。こんな設定は“キラキラ映画”にいかにもありそうな設定なんじゃないだろうか。

とはいえ本作には例の叔母さんのような昭和チックな人物も多いわけで、それが亜子を巻き込んでドタバタ劇を繰り広げたりもする。だから最初はどこかちぐはくというか、居心地の悪さがあるかもしれない。

(C)2022「いつか、いつも……いつまでも。」製作委員会

“おばちゃんパワー”の毒牙

ちなみに本作はオリジナル脚本なのだが、それを書いたのは、冒頭で有無を言わせぬ強引さで俊英と亜子を引き合わせた叔母さんを演じていた水島かおり(脚本を書く時のペンネームが矢沢由美らしい)だ。彼女はベテラン女優でもあるようだが、長崎俊一監督の奥様でもあるそうだ。そんな水島かおりが本作を陰日向になって操っていくことになるのだ。

水島かおりという女優さんがどんな人かは知らないけれど、本作に登場する叔母さんのキャラクターは強烈で、その“おばちゃんパワー”が本作を牽引する。実際には叔母さんは序盤以降は次第にフェードアウトしていくことになるのだが、俊英の家にはもう一人のおばちゃんがいる。

それが家政婦のきよさん(芹川藍)だ。このきよさんもなかなかのキャラクターで、最初はあからさまに亜子に嫌な顔を見せている。俊英の家に居候することになった亜子としては、最初はきよさんを警戒するのだが、実際に内側に入ってみればきよさんは世話好きなおばちゃんだとわかってほのぼのとした雰囲気になっていき、本作もホームコメディらしくなっていく。きよさんは俊英と亜子の関係を理解し、よき協力者になっていくのだ。

きよさんは家政婦としてじいさん(石橋蓮司)と俊英たちの生活一般を仕切っている。その意味で、最初に本作の基本的設定を用意した叔母さんと、家を仕切っているきよさんという、二人の“おばちゃんパワー”に本作は牽引されていくのだ。亜子も観客も最初はそのパワーに圧倒されてうろたえることになるかもしれないけれど、次第に“おばちゃんパワー”に慣れてくるからか、意外と心地よいものになっていくのが本作のおもしろいところなんじゃないだろうか(反面、序盤の“おばちゃんパワー”に拒否感を抱く人が出る可能性は十分にある)。

(C)2022「いつか、いつも……いつまでも。」製作委員会

ささやかな幸せ

俊英は亜子の双子の妹の写真に惚れていたらしい。しかし家に転がり込んできたのは亜子のほうで、俊英はそれを知らずにいたわけだけれど、亜子の色々とこじらせているところにちょっと幻滅したのかもしれない。それでも一緒に過ごす内に、写真の中の妹ではなく現実の亜子に惹かれていくことになる。

一方の亜子は、実は結婚したばかりの新妻なのだという。亜子は精神的に不安定な部分もあり、投げやりな形で親の勧めに従って結婚を決めたらしい。旦那は悪い人ではないらしいのだが、俊英と一緒に生活する内にそれはやはり間違いだったと気づいたということなのだろう。ラストで亜子は再び俊英のところへ戻ってくることが示され大団円を迎えることとなる。

これはラブストーリーの成就でもあるけれど、現実から目を背けがちだったふたりが地に足を着けて歩き出すということでもあったのかもしれない。四人の家族が揃って家の下の地面を観察することになるのは、そんな意味が込められていたんじゃないだろうか。

実は俊英にもかつては婚約者がおり結婚も決まっていて、そのために診療所につながる形で新居を増築して待っていたらしい。その女性・まり子(小野ゆり子)と別れることになったのは、俊英が何となく流されるような形で付き合っていたからで、亜子の存在が最終的な別れを促すことになる。その新居のキッチンには一枚板の高価なテーブルが用意されていたのだが、それは亜子のいたずらによってかわいい漫画を描かれてしまう。

モデルハウスのようなキッチンには似つかわしくないデザインになってしまったテーブルだが、そこには家族の微笑ましい姿が描かれていて、そんな落書きもそれほど悪くはないという気持ちにさせてくれる。そんなふうにして居心地のいい場所というものは出来ていくものなのかもしれない。

(C)2022「いつか、いつも……いつまでも。」製作委員会

関水渚『町田くんの世界』でもブーたれた顔がかわいらしいコメディエンヌという感じだった。本作で演じた亜子も精神的に不安定な部分とおっちょこちょいなところが重なりあってドタバタを繰り広げるわけだが、それもやっぱりかわいらしかった。対する高杉真宙の俊英は相変わらずのイケメンキャラだが、どこかで昭和風の古臭さも感じさせる。これは脚本を書いた水島かおりのテイストなのかもしれないが、それが意図したものかはわからないけれど本作は昭和風で大人の“キラキラ映画”みたいなものになっていたように感じられた。

本作で食卓に並ぶ料理、たとえば亜子が作ったきんつばとか、きよさんの煮物とか、あまり派手さはないけれどとても美味しそうで、ささやかな幸せという感じは悪くなかった。おばちゃんキャラ二人にかき回される家の中で、石橋蓮司のじいさんだけは終始落ち着いている極めて真っ当な“いい人”となっていて安心感があった。

タイトルには色々な意味が込められていることは公式サイトの記載を見るとよくわかるのだが、このタイトルは何度読んでも覚えられそうにないところが難点だろうか。

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