『いちごの唄』 環七沿いはデートコース?

日本映画

銀杏BOYZの曲を基にして書かれた小説を映画化した作品。

脚本家の岡田惠和がその小説を書き、脚本も担当している。

監督はドラマ『トドメの接吻』などの演出を担当してきた菅原伸太郎

物語

笹沢コウタ(古舘佑太郎)は、ある日、偶然にもクラスメイトの天野千日ちか石橋静河)と再会する。その日は七夕で、それはふたりにとって大切な友人の命日でもあった。そんな日に10年ぶりに再会したふたりは、毎年七夕の日に会う約束をすることになる。

製作のきっかけ

岡田惠和が脚本を書いているNHKの連続テレビ小説の『ひよっこ』に、銀杏BOYZの峯田和伸が出演していたという関係もあってか、銀杏BOYZの曲を基にした小説が書かれたようだ。この本は峯田和伸の絵も収録されているとのことで、ふたりの連名で上梓されている。

私自身は銀杏BOYZのことはほとんど知らないのだが、峯田和伸は『ボーイズ・オン・ザ・ラン』という映画で暑苦しい主人公を熱演していたのが印象に残っている(多分、本人も熱い人なんだろう)。本作でも脇役ながら主人公のふたりを見守るちょっとおいしい役柄で顔を出している。

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コウタとあーちゃんの関係

10年ぶりに高円寺の商店街の片隅で出会ったふたり。しかし、ふたりは昔から仲がよかったというわけではない。コウタは千日のことを「あーちゃん」と呼んでいたのだが、そのことを千日は初めて知ったのだ。

コウタと千日を結ぶのは、亡くなった伸二(小林喜日)の存在だ。コウタにとって伸二は憧れの存在で、千日は伸二と孤児院で一緒だったという過去があった。伸二とコウタはこっそりと千日(中学時代の千日を演じるのは清原果耶)のことを眺めては「天の川の女神」として崇拝していた。しかし、雨の降る七夕の日に、交通事故に巻き込まれそうになった千日の犠牲となって伸二は死んでしまう。

(C)2019「いちごの唄」製作委員会

コウタという不思議なキャラ

コウタはとてもいい奴なのは間違いないのだが、それが何に基づくのかはいまひとつわからないところ。『幸福なラザロ』『町田くんの世界』の主人公に近いのかもしれないのだが、自己犠牲を伴うような行動をするわけでもない(犠牲になったのは伸二のほう)。ただ何となくいい奴で、未だに世間ずれしていないという珍しい存在なのだ。

そんなわけで『いちごの唄』の感想を見てみると、コウタのことを一種の病気(アスペルガー症候群)として捉えている人も一部にはいるようだ。劇中にそんな台詞はないものの、コウタの行動からそのように推定したものらしい。確かにそんなふうに思われてしまう部分はあって、コウタの行動原理みたいなものがはっきりしないようにも感じられた。

石橋静河の存在

映画をわざわざ映画館まで追っていくのにはそれなりに理由が必要だろう。そのひとつが銀杏BOYZの曲からインスパイアされた作品という部分なのかもしれないのだが、私がこの作品を選んだのは石橋静河の出演作だからということになる。

昨年の『きみの鳥はうたえる』が素晴らしい作品になったのは、石橋静河の存在も大きかったはず。そんなわけで本作もスルーするわけにはいかないと思ったわけだが、その期待とは裏腹に出演シーンは思ったほど多くなくてちょっと残念。どちらかと言えば、成長しても子供のままのようなコウタのキャラのほうが目立つ形になっているのだ。

伸二の死によってふさぎ込んでいた千日が、コウタの純朴さに笑顔を取り戻すという場面は微笑ましい。この場面での石橋静河の満面の笑みはとても素敵なのだが、それ以上の複雑さはないような感じもして『きみの鳥はうたえる』のラストの表情のようなインパクトはなかったかもしれない。何というか石橋静河の使い方がもったいないような気もした。

環七沿いはデートコース?

不満点ばかり書いたようだが、いい部分もある。それは殺風景な環七沿いの印象が変わるようにすら感じられる夜の場面。コウタと千日は毎年高円寺の寂れたラーメン屋でラーメンを啜り、環七沿いをブラブラと散歩しながら野方駅近くまで歩き、そこで来年会うことを約束して別れることになる。

環七沿いをデートコースとして描くというのは珍しい。ふたりが何度も通った環七沿いは知らない場所ではないので、その意味では親しみの沸く作品ではある。映画として撮られると違って見えるというのはあって、ロケ地を巡礼する人の気持ちもちょっとだけわかるような気もした。

それからコウタの隣人として登場する岸井ゆきののパンクキャラもよかった。

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