『オッペンハイマー』 正攻法のノーラン

外国映画

原作はカイ・バードマーティン・J・シャーウィンによる『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』

監督は『インターステラー』などのクリストファー・ノーラン

主演は『ダークナイト』などでノーラン組常連のキリアン・マーフィー

アカデミー賞では作品賞・監督賞など7部門を受賞する評価を得た。

物語

第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。
これに参加したJ・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。
しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。

(公式サイトより抜粋)

“原爆の父”とされる男

アカデミー賞で主要な賞を独占した形になり話題となった作品だ。アメリカでの公開は昨年7月だったにも関わらず、日本では半年以上遅れての公開ということになる。しかも日本でもネームバリューのあるクリストファー・ノーラン監督だけに、なぜなのだろうかとは思っていたのだが、業界には複雑な事情があるということらしい。

そのひとつはやはり伝記映画である本作が、“原爆の父”とされるオッペンハイマーという人物を扱っているからということになるのだろう。日本は唯一の被爆国として、オッペンハイマーが生み出した原子爆弾という兵器の恐ろしさについてそれなりに見聞きしている。直接体験したわけではなくとも、たとえば『はだしのゲン』のような作品の中で、その惨劇を少なからず知っているわけで、どうしてもセンシティブにならざるを得ないということなのだろう。

『オッペンハイマー』の構成としては、2つの視点に分かれている。ひとつはオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の視点だ。彼が1954年に機密保持許可に関する聴聞会というものに呼ばれて尋問を受けているところから始まる。この尋問に答える形で、彼は人生を振り返ることになる。それからもうひとつの視点が、原子力委員会のストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)という人物のものだ。ここでは1959年のストローズの商務長官就任に関する公聴会の様子が描かれていくことになる。

1954年の聴聞会とオッペンハイマーが振り返る過去の場面はカラーで描かれ、1959年のストローズの公聴会の場面はモノクロで描かれることになり、混乱することはない。それではなぜ本作は2つの視点で描かれる必要があったのかということになる(これについては後で触れる)。

©Universal Pictures. All Rights Reserved.

現代のプロメテウス

冒頭ではプロメテウスの神話が引用されている。プロメテウスは天界の火を盗んで人類にもたらしたとされる。人類はその火によって恩恵も受けることになるが、それによって戦争をし始めることになり、プロメテウスはその罰として永遠の責め苦を負わされることになる。本作のオッペンハイマーはそんなプロメテウスと重ね合わせられているということになる。オッペンハイマーは一度は“原爆の父”としてもてはやされることになるものの、その後には没落と責め苦が待っていることになるのだ。

その没落に関わるのが、ストローズという人物だ。ストローズがオッペンハイマーと出会ったのは、彼がプリンストン高等研究所の所長としてオッペンハイマーを招聘したからだ。この時が1947年で、すでにオッペンハイマーは“原爆の父”として知られている。その際、オッペンハイマーは同研究所のアインシュタインと何らかのやり取りをするのだが、その後、アインシュタインはストローズのことを無視して去っていく。ストローズはこのことをオッペンハイマーがアインシュタインに彼の悪口を吹き込んだかのように解釈していたらしい。これがふたりの最初の関わりということになる。

本作はそこから時を遡ってオッペンハイマーが“原爆の父”と呼ばれるようになるまでの過程を追っていくことになる。登場人物が多すぎて一度観ただけでは到底理解できない部分はあるのだが、強引に大雑把にまとめれば、オッペンハイマーは自分の関心のあること以外には無頓着な人間として描かれていると言える。

弟の奥さんの名前を覚えていなかったりするし、若かった時代の恋人のジーン(フローレンス・ピュー)には「花はいらない」と言われているのに、なぜかいつも花を用意している。そして、その無頓着の極めつけが共産主義との関わりだろう。オッペンハイマーの周りには弟やジーンを含め何人もの共産党員がいたけれど、原爆に関するソ連とのスパイ合戦が背景にあるにも関わらず、彼らとも付き合っていたのだ。そうした無頓着なところが後になって響いてくることになる。

©Universal Pictures. All Rights Reserved.

スポンサーリンク

 

オッペンハイマーの人物像

本作はオッペンハイマーのかなり複雑で厄介な心理的葛藤を描いている。彼の当初の目的はナチス・ドイツに先んじて原爆を製造することだった。そのためにグローブス将校(マット・デイモン)の誘いを受け、「マンハッタン計画」にリーダーとして参加することになる。これはオッペンハイマーやそのほかの物理学者の多くがユダヤ系だったことから、ナチスの手に危険な兵器が渡ることを阻止するためでもあったということになる。

ところがそのナチスが原爆完成前に降伏してしまう。すると当初の目的を失ったはずなのに、オッペンハイマーはすぐに「日本がまだ降伏していない」と言い出すことになる。当初の目的からはズレるけれど、この時には物理学者としての意地なのか何なのかはよくわからないけれど、「マンハッタン計画」をやめようとはしないのだ。

結局、「マンハッタン計画」は成功し、オッペンハイマーは“原爆の父”となったわけだが、その後の水爆の開発に関しては反対することになる(このことが水爆推進派だったストローズとの対立にもつながる)。これは自分のやったことの恐ろしさを知ったからということなのだろう。科学者は先を見通せるという話もあったし、プロメテウスというのは「先見の明を持つ者」という意味もあるそうだが、オッペンハイマーは先を見通せていなかったということなのだろう。

本作はオッペンハイマーのしたことを描きつつも、それについて断罪しているわけではないという意見もあるようだ。それでもオッペンハイマーの奥さんキティ(エミリー・ブラント)の言葉は、オッペンハイマーのことを非難している言葉とも感じられた。

キティの言葉というのは、オッペンハイマーのかつての恋人ジーンが自殺し、オッペンハイマーがひとりでそのことに苦しんでいた時の台詞だ。キティはこんなふうに言う。「自分の犯した罪が大変な帰結をもたらしたからといってみんなが同情してくれると思ったら間違いよ」と。この言葉は、その後にオッペンハイマーが犯した罪(広島や長崎の被害)にも通じることになるわけで、ぼやかされてはいるけれど本作はオッペンハイマーを断罪する映画になっているとも言えるのだろう。

※ キティに台詞については、以下のサイトを参照させていただいた。

私怨なの?

並行して描かれていくオッペンハイマーの視点と、ストローズの視点。これはなぜかと言えば、オッペンハイマーが1954年の聴聞会で公職を追放されることになったのは、ストローズが原因になっているからということになる。

これはいわゆる“赤狩り”というものだ。オッペンハイマーが共産党員と近いこともあり、ソ連のスパイであるという疑いがかけられたのだ。それを裏で操っていたのがストローズであり、聴聞会では彼が刺客として送り込んだ人物ロッブ(ジェイソン・クラーク)が場を仕切ることになる。

そして、そのことが明らかになるのが1959年の公聴会ということになる。この公聴会にオッペンハイマーが出てくるわけではない。ただ、ここでは突然出てきたヒル(ラミ・マレック)という人物によって、かつてのストローズの企みが暴かれてしまう。ヒルはストローズが私怨でもってオッペンハイマーを陥れようとしていたとバラしてしまうのだ。ストローズは勝手に自滅した形なのだ。

ラストはストローズが最初の疑問を抱いた、アインシュタインとオッペンハイマーの謎のやり取りのところへ戻ってくることになるのだが、このやり取りは実際にはストローズとは関係のないやり取りであったことが明らかになるわけで、ストローズという人物がしつこく描かれるのは一体どんな意味だったのかという気がしないでもなかった(ストローズの最後の苦し紛れの発言が、オッペンハイマーを非難するものとなっていたのかもしれないけれど)。

というのも、本作はストローズが居なかったとしても成立する話なのだ。私怨でオッペンハイマーを陥れようとしたのは歴史的事実なのかもしれないけれど、わざわざ同等に描くほどの人物とは思えなかったので、本作の構成自体にも疑問を感じてしまった。

©Universal Pictures. All Rights Reserved.

地球を破壊する可能性

それではアインシュタインとオッペンハイマーの秘密のやり取りがどんなものであったのかということになるわけだが、これは原爆についてのある計算についての話ということになる。原爆についての理論上の計算では、ある危険な出来事が起きる可能性があったのだという。それは原爆によって大気そのものに引火する可能性があるというもので、それがゼロではなかったということになる。

劇中では、アインシュタインは原爆開発にとって重要な学問である量子力学については理解できなかったと言われている。アインシュタインはオッペンハイマーからは過去の人のように扱われていたのだ。「神はサイコロを振らない」という言葉は、アインシュタインが量子力学を理解できなかったことを示す言葉として引用されている。アインシュタインには量子力学が言っていることが、偶然とか確率に支配されたものと感じられたということらしい。

一方でオッペンハイマーは量子力学の研究者ということになっている。ふたりはこの点では対照的な存在ということになる。オッペンハイマーはアインシュタインとは違い、サイコロを振った、つまりは賭けに出た人だったということになる。

原爆における計算では、大気に引火する可能性がゼロではないとされていた。「ほぼゼロ」ではあったけれど、まったくの「ゼロ」ではなかったのだ。それでもオッペンハイマーは賭けに出たということになる。

もしかしたらそれによって地球を破壊する可能性もあった。それでもオッペンハイマーは原爆を生み出してしまうことになる。ただし、実際の実験でも、広島でも長崎でも、原爆が大気に引火するようなことはなかった。その意味ではオッペンハイマーは危なっかしい賭けに出て勝ったとも言えるのかもしれない。

ただ、現実世界における米ソの競争による核拡散の状況を見ていると、別の言い方もできる。原爆は大気に引火することはなかったけれど、このまま核拡散の状況が続くことは、結局は地球を破壊することにつながっていくことでもある。最後のシーンでアインシュタインとオッペンハイマーが幻視していたのはそういう未来だったのだ(アインシュタインはそんな暗澹とした気持ちだったから、ストローズのことが目に入らなかったというだけだったということになる)。

©Universal Pictures. All Rights Reserved.

正攻法のノーラン

ノーランはCG嫌いで何でもリアルに撮影したがるわけだが、本作においてもトリニティ原爆実験のシーンをリアルに撮影することに拘ったらしい。しかしながら、これはどうにも中途半端だった気もする。本物の核爆弾を爆破させるわけにはいかないわけで、結局は規模の大きい爆発にはなっていたけれど、本物の核実験の動画とは比べられるものではないわけで、リアルではあるけれど原爆の怖さを感じさせるものではなかったと言える。

それから聴聞会の一場面が妙だった。この場面では、オッペンハイマーの浮気に関して明らかにされる。そして、それを後ろの席で聞いていた奥さんのキティも知ることになる。その際、なぜかオッペンハイマーは浮気相手であるジーンと衆人環視の聴聞会の狭苦しい椅子の上で交わる場面を幻視する。ただ、この場面で描こうとしているのは、キティが自分たちのプライベートのすべてが晒されていると感じたということだったはずだ(その意味ではここで視点が移動している)。それならば裸でオッペンハイマーと抱き合う相手はキティでなければならないはずだろう。それを傍からジーンが見ているのならわかるけれど、とにかく妙な場面だった気がする。そもそもノーランは色恋を描かせるといつも失敗しているような気がする。

蓮實重彦はどこかでノーランのことを「アイディアの人」だと語っていた。確かに、これまでのノーランはそういうところがあった。外連味のある仕掛けが楽しませてくれたのだ(『TENET テネット』は仕掛けが複雑すぎてついていけなかったけれど)。それに対して本作は真っ向勝負といった感じで、正攻法で描かれているとも言える。その点が評価されたのかもしれないけれど、外連味たっぷりの仕掛けがないノーランはちょっと寂しい気もした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました