『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』 大して問題にならない?

外国映画

製作総指揮にはモーガン・フリーマンが関わっている。

監督・脚本は『NightLights』のデヴィッド・ミデル。本作は長編第2作とのこと。

物語

2011年11月19日午前5時22分。双極性障害(躁うつ病)を患う黒人の元海兵隊員ケネス・チェンバレンは医療用通報装置を誤作動してしまった。その後まもなく、白人の警官が到着した。ケネスは緊急事態ではなく、間違いであると伝えたにも関わらず、警官には聞き入れてもらえない。家のドアを開けるのを拒むケネスに対して、警官は不信感を抱き、更には差別的な表現で侮辱し始める。そして、警官到着から90分後の午前7時、ケネスはドアを壊して入ってきた警官に撃たれ、死亡する。何の罪も犯していないケネスは、なぜ警官に殺されなければならなかったのか。今こそ知るべき世界の実態がここにある。

(公式サイトより抜粋)

事件のあらまし

本作において白人警官に殺されることになるケネス・チェンバレン(フランキー・フェイソン)は、何も悪いことなどしていない。医療用通報装置が誤作動で鳴ってしまっただけなのだが、警官に殺されることになってしまう。なぜ、こんな事件が起きてしまったのか?

通報を受けたライフガード社の担当者はケネスとの連絡を試みるがそれは果たせず、警官たちが直接ケネスの家に出向いて安否確認することになる。

警官がドアを叩く音で寝覚めたケネスは、ようやく事情を察する。ケネスは通報は誤報であり、今は緊急事態ではないと説明し、丁重に警官にお引き取りを願うことになるのだが、警官側としては上司からの命令で直接自分の目で異常がないことを確認しなければならない。

ドアを開けて中を確認させてくれればすぐに終わることだったのだが、ケネスとしては警官に対する不信感があるからか、それは避けたいようで頑なにそれを拒むことになる。そのことが事態を悪化させてしまう。

(C)2020 KC Productions, LLC. All Rights Reserved

根強い人種差別

『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』は、ほぼリアルタイムで描かれている。朝の5時半に通報があり、7時にケネスは銃殺されることになる。そのため回想場面などは一切ない。ケネスがなぜ警官を拒むのかについて説明はされず、観客はただ事件の只中に放り込まれることになる。

それでも家族との電話での会話によれば、ケネスが過去にも警官に酷い目に遭わされていることは推測される。ケネスは「この辺りの警官はヤバい」と感じているのだ。

冒頭に示されていたのは、「警察官を見て安心する人もいれば、恐怖のどん底に突き落とされる人もいる」という言葉だった。アメリカという国においては、白人は警官を見れば安心できるけれど、黒人ならば逆に恐怖を覚えるということだろう。

ケネスは黒人だ。だから警官に対していい印象を持ってなかったことは容易に推測できるだろう。アメリカの根強い人種差別がこの事件の中心にあるのは間違いない。

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大して問題にならない?

警官の任務はケネスの安否を確認することだった。しかし、ドアを開けることを拒むケネスの頑なな態度を疑い始めた一部の警官は、中を見せられないのは訳があるはずという解釈をすることになり、ケネスに疑惑の目を向けるようになる。

警官たちはベテランであるほど偏見に満ちているようにも見える。新人のロッシ(エンリコ・ナターレ)は比較的真っ当なのに、ベテランほど凝り固まった考えに支配されている。多くの警官は、この辺りの貧しい地域に住む黒人は犯罪の温床となっているに決まっているはずと、最初から疑ってかかっているのだ。

最終的にはケネスの懇願もむなしく、ドアは突き破られ、警官たちはケネスを組み伏せて殺してしまう。すでに部屋の中も確認したわけで、それ以上の行動が必要だったとは思えない。それでも警官たちはケネスを殺してしまうのだ。これは信じがたい事件だが、現実にそれは起きてしまったということになる。

ケネスは病気持ちの老人だ。警官が組み伏せた時には武器も所持してなかった。それにも関わらず警官はケネスを銃殺する。これは黒人を殺しても大して問題にならないという意識でもない限り出来ない行動とも思える。実際にこの事件で有罪となった警官は、今のところいないというわけで、差別的な発言を繰り返していた警官なんかは、そんな意識すらあったのかもしれないのだ。

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欲を言えば……

白人警官に黒人が殺される事件は度々起きているようだ。そして、それは映画にもなっている。たとえば『フルートベール駅で』『デトロイト』がそうだろう。この2作はそれぞれ2013年と2017年にアメリカで公開された作品だ。しかし、『デトロイト』で描かれる事件が起きたのは実際には1967年であり、多分、それ以前からこうした事件は起きてきたのだろう。

『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』に描かれる事件は、2011年にアメリカで実際に起きたものだ。そして、アメリカで本作が公開されたのは2019年。今になって本作が日本で公開されることになったのは、ジョージ・フロイドの事件が2020年に起き、「息ができない」と訴えるその動画が世界中に広まったことの影響だろうか。

前述したけれど、白人警官に黒人が殺される事件は度々起きている。それでもその映像が記録として残っていることはなかった。ところがジョージ・フロイドの事件の場合は、誰かがスマホで撮影した映像が動画サイト等で拡散されることになった。実際の映像が残っていたことは大いにインパクトがあり、それがブラック・ライヴズ・マター運動の大きな盛り上がりにもつながった。

本作でケネスが組み伏せられる場面は、その動画を思わせなくもなかったわけだけれど、本作はその事件の前にすでに公開されていたのだ。

劇中でケネスは訴えていた。何もしてないのに警官に家に押し入られる謂れはない。憲法にも警官にそんな権利はないと書いてある。この正当な訴えは無視され、暴徒と化した警官たちはケネスの命を奪うことになる。こんな事件を知れば「黒人の命も大切だ」というデモが起きるのも当然ということだろう。そのことを再確認するためにも本作は観るべき価値がある作品と言える。

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エンドロールではライフガード社の録音テープが再生されることになる。これを聞くと、本作がきちんと事実に基づいて作られていることがよくわかる。ケネスは精神的な病もあって不安定な部分もあり、突然オバマ大統領に語りかけたりする異常な言動も録音テープに残っている。

そして、この録音テープを聞いていると、それだけで現場の事態が緊迫しているのがよくわかる。それに対して本作は、一部で過剰にドラマチックな演出をしているところがある。補聴器に響くハンマーの音でケネスが何度も頭を抱えたりするとか、場を盛り上げようとする劇伴はちょっと余計だったようにも感じられた。

ケネスが体験した出来事はそれだけで十二分に恐ろしいものだったし、ドキュメンタリーのような撮り方のほうが題材に相応しかったんじゃないだろうか。これは本作がとてもよくできていただけに、「欲を言えば」ということだけれど……。

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