『ベイビー・ブローカー』 子供たちへのメッセージ

外国映画

『万引き家族』などの是枝裕和監督の最新作。

監督・脚本・編集は是枝裕和だが、キャストはすべて韓国人であり、撮影・音楽なども韓国人スタッフが務める韓国映画となっている。

物語

古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨン(イ・ジウン)が〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが…。

(公式サイトより抜粋)

親がいない子供たち

ウィキペディアの記載によると韓国で〈赤ちゃんポスト〉が設置されたのは2009年で、キリスト教の教会がそれを運営している。それから2020年1月までに1694人の子供が保護されたとか。子供を捨てることを助長すると言われつつも、世間的には支持されてもいるようだ。それだけ必要とされているということだろうか。日本にも同様のものがあるという。

しかしながら、たとえ〈赤ちゃんポスト〉のような設備がなかったとしても、孤児院というものが存在しない国もないのだろう。何らかの理由で親を亡くす子供はいるだろうし、親が何らかの理由で子供を捨てたりすることもないわけではないからだ。

フィクションの世界でも孤児院が出てくる物語は少なくない。たとえばイギリスを舞台にした『オリヴァー・ツイスト』とか、アメリカを舞台にした『あしながおじさん』、それから日本が舞台となっている『タイガーマスク』などなど。探してみたらいくらでもあるのだろう。親がいない子供たちは、どこの国でも昔からいたということなのだろう。

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ブローカーと母親と刑事

本作は、捨てられた子供を違法に売り飛ばそうとしているブローカーが主人公ということになる。サンヒョン(ソン・ガンホ)とドンス(カン・ドンウォン)という二人組だ。彼ら曰く、孤児院で暮らしていくよりも、裕福な誰かにもらわれたほうが、捨てられた子供にとって幸せということになる。

ところが今回の場合、母親ソヨン(イ・ジウン)が捨てた子供を取り戻しに来たことから事情が変わる。〈赤ちゃんポスト〉を設置している教会は、二人組がやっている人身売買については知らない。ドンスが教会の夜勤として働いていて、本当は教会で保護するはずの子供を横取りした形になっているからだ。

二人組は母親が戻ってきたことを知り、彼女に事情を打ち明けることになる。ソヨンはブローカーのふたりに文句を言いつつも、謝礼に惹かれたのか養父母探しの旅に同行することになる。

二人組は既に警察に目を付けられている。警察は彼らが人身売買をしていることはつかんでいるのだが、逮捕するためには人身売買が成立した瞬間に現行犯逮捕しなければならないらしい。だからスジン刑事(ぺ・ドゥナ)とイ刑事(イ・ジュヨン)はその瞬間を狙って彼らの後を追っているのだ。

スジンは母親ソヨンが子供を捨てる姿を見て、苦々しい思いを抱いているようだ。「捨てるくらいなら産むなよ」と吐き捨てている。スジンたちの目的はブローカーの逮捕だが、それは人身売買される子供を救うためだ。ただ、子供を救うためには、一度は子供を売り飛ばす必要があり、スジンたちはおとり捜査までして子供を売らせようとする。そうなるとスジンは自分が取り締まるはずの悪事を推進しているような、不思議な感覚に陥っていくことになる。

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“家族”とは何ぞや

是枝作品の多くは“家族”をテーマとしている。『そして父になる』では子供の取り違いが起きたふたつの家族を、『海街diary』では三姉妹と異母妹との共同生活を描いていた。『誰も知らない』では、「巣鴨子供置き去り事件」をモデルにし、親に捨てられた子供たちの姿が描かれ、『万引き家族』では、親からネグレクトされていた子供を含む疑似家族が描かれることになる。こんなふうに“家族”と言ってもその形は様々で、是枝作品は「“家族”とは何ぞや」ということを問うているということになるのだろう。

特に『誰も知らない』と『万引き家族』においては、親に捨てられた子供が登場するのだが、この二作品は捨てられた子供の側の視点に立った映画と言えるのかもしれない。それに対して『ベイビー・ブローカー』では、子供を捨てる親の視点に立っていると言える。『誰も知らない』と『万引き家族』においては、子供を捨てることになる親に関してはほとんど触れられていなかったからだろう。

『ベイビー・ブローカー』は、捨てられた子供を連れた疑似家族が養父母を求めて旅をすることになるが、その中で「捨てる側」と「捨てられた側」が対峙したり、「捨てる側の言い分」を聞くような設定が用意されている。

そもそも「子供を捨てた親」と、「親から捨てられた子供」は、通常ならば二度と会うことはないのかもしれない。ドンスは孤児院出身で、「必ず迎えに行くから」という親からの手紙と共に孤児院に預けられたものの、結局、今に至るまで親には会えていない。

ドンス曰く、実際に子供を迎えに来る親は40人に1人だという。先に「捨てられた子供」がいるから、自分たちがそれを売ることになるわけで、これは逆じゃないとドンスは自己弁護するのだが、これはドンスが自分の親の代わりにソヨンに恨み言をぶつけているということなのだ。

本作では、そんなふうに「捨てる側」は非難されるだけでは終わらない。「捨てる側」の事情にも迫っていくのだ。刑事のスジンには優しい旦那がいるが、子供には恵まれていない。そのことが「捨てるくらいなら産むな」というソヨンに対する反感となっている可能性もある。とはいえ、スジンからの非難に対し、ソヨンが「産む前に殺したほうがよかった?」と返されると、スジンも返す言葉を失ってしまう。これに対しては、どちらが正しいなどと軽々しくは答えられないんじゃないだろうか。

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子供たちへのメッセージ

本作は、それに関しては疑問を提示するだけに留めているわけだけれど、それとは別に生まれてきた子供たちに対しては明確なメッセージを示している。

是枝監督は本作を製作するにあたり孤児院の子供たちの取材をし、子供たちが「生まれてきてよかったのだろうか」という疑問を抱えていることを知ったという。それに対して是枝監督は、劇中でソヨンが旅の道連れになっているみんなに「生まれてきてくれてありがとう」という言葉を贈ることで答えているのだ。

このメッセージは感動的なのだが、ソヨンにその台詞を言わせるために、脚本では色々と強引なところが目に付くようにも感じられる。ソヨンが子供を捨てなければならなかったのは、彼女が子供の父親を殺してしまったからだ。しかもその父親はヤクザで、子供を取り戻そうとしてヤクザ者がソヨンを追ってきたりもしている。加えて、殺人犯の子供というレッテルを背負わせるよりも、誰か別の親のもとで育てられたほうがいいとソヨンが考えたからということになる。このあたりの設定は、どんな父親だったのかがまったく描かれないこともあって説得力に欠ける気もしたのだ。

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海外で映画を撮ること

是枝監督はこれで二作品連続で海外での撮影をしていることになる。本作は韓国映画であり、前作『真実』はフランス映画ということになる。これは海外での撮影に学ぶべきことがあるという意識らしい。ほかの日本の監督も同様のことを考えている人もいる。中国で『チィファの手紙』を撮った岩井俊二や、韓国で『アジアの天使』を撮った石井裕也などだ。

言葉が通じない海外での撮影は色々と問題も起きるだろうし、海外に乗り込んでいくということはストレスもあるだろう。それでも韓国はハリウッド的なスタイルになっていて、撮影環境においては学ぶことも多いようだ。

ただ、本作においても、前作の『真実』においても、日本人という外国人から見た“韓国人”や“フランス人”を極端に悪く描くのを避け、ちょっと遠慮してしまっているようにも感じられた。『真実』は、母親と娘の確執を描く作品だったのに、ドギツイものがなく妙にさわやかだったし、『ベイビー・ブローカー』も“韓国人”のイメージを悪くしないように気を使っているようにも見えてしまった。

違法行為をしているブローカーの二人組もやけにソヨンに同情的で、自分たちが逮捕されることを知りつつ逃げようともしない。サンヒョンはヤクザ者を排除するために自分を犠牲にすることになるわけで、あまりに善人過ぎるように思えるのだ(というか是枝監督自身が善人ということなんだろうか)。そのあたりが本作を現実離れした話にしてしまっているのかもしれない。冒頭の雨の教会シーンが妙に『パラサイト 半地下の家族』を意識していたのも、韓国映画へのリスペクトということなのかもしれないけれど、かえって気を回し過ぎにも感じられてしまったのだ。

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