『天使/L’ANGE』 何を観たのか?

外国映画

1982年にカンヌ映画祭評論家週間で発表された実験映画。

監督は画家としても活躍しているというパトリック・ボカノワスキー

実験映画

ブニュエル『アンダルシアの犬』は映画の教科書などには必ず登場する実験映画だが、本作『天使/L’ANGE』は82年に発表された時、その再来だとカンヌで話題をさらったらしい。

本作は台詞もなければ物語もない。映像と音楽だけで構成される7つほどのエピソードが展開していくわけだが、それは“エピソード(挿話)”と言えるようなものではないかもしれない。何の説明もなくそうした音と映像が続いていくだけで、それには関連性も見当たらないし、まったく意味不明とも思えるものだからだ。

何が描かれている?

最初に登場するのは部屋の中でフェンシングに興じる男。彼は中央に吊るされた人形に向かって剣を突く。それが様々な角度から捉えられ、時には廊下の奥から揺れる人形だけが見えたりもする。映像は何度も繰り返され、逆回しになったり、スローになったりもする。

次にミルクを運ぶ女性の映像が続く。女性はゆっくりと部屋に入リ、テーブルにそのミルクを置く。しかし、そのミルクがテーブルから落ちて、容器は割れミルクは床一面に広がる。そんな様子を手に変え品を変え、様々な映像的な技巧を施して繰り返すのだ。

意味不明なエピソードが7つほど展開していくわけだが、最後のエピソードはタイトルに関係しているのかもしれない。ここでは大きな階段を男が上っていくらしい。「らしい」というのはそれが階段だということは確かなのだが、実際にその上にいるものが人間なのか何なのかはよくわからないからだ。人間だとすればかなり巨大な階段ということになるが、もしかするともっと小さな何かが蠢いているようにも見えてくる。光の具合でそのあたりは絶妙にぼかされているからだ。そして、階段上の光が射すところへたどり着くところで映画は終わる。

Copyright KIRA B.M.FILMS/INSTITUT,NATIONAL DE L’AUDIOVISUEL 1982

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観たけど観ていない

そんなわけで本作を観たことだけは確かなのだがどうにも心もとない気もしてくる。眠らなかったはずだし、目を凝らしてスクリーンを見つめていたのだが、それでも最後まで何を観たのかよくわからないまま終わる。そんな64分だった。

本作と比較される『アンダルシアの犬』も実験的な映画であり意味不明な話だが、そこに映っているものが何だかわからないということはなかったはずだが、『天使/L’ANGE』の場合はスクリーンに映っているものが曖昧模糊としていて、何を観ているのかわからないことも多いのだ。

もちろんフェンシングをしていることは理解できるし、ミルクを運ぶ女性の存在も明らかだけれど、冒頭に登場する階段らしきものの映像はかなり曖昧模糊としている。『ラビリンス』に出てきたような重力を無視したような階段だったようにも見えるからアニメなのかもしれないのだが、実写に加工を施しているようにも見える。その区別すらつかないのだ。

ただ、あまりに見えすぎてしまうと何のおもしろみもないのかもしれない。見えてしまうと明白になりすぎ、明白になりすぎるとあまりにわかりやすくなり、そうなると単純で浅はかなものに感じられるからだろうか。曖昧で複雑で何がなんだかよくわからないと、批判するほうも「わからない」とは単純に認めるわけにもいかずにあれこれ考えたくもなってしまう。わからない部分があることは深読みをさせる手段になっているのかもしれない。

そんなわけで私にはこの映画はまったくわからないのだが、それでも印象に残る面があることも確か。私はこの映画のことをほとんど何も知らなかった。しかし、チラシのイメージは記憶のどこかに残っていた(かつてどこでそれを見たのかは不明だが)。だから劇場で再びそれを見つけた時、妙に気になって今回は劇場に足を運んだわけだ。チラシの画も曖昧模糊としている。階段を誰かが上っているらしいが、上半身は炎に包まれたようにぼやけている。静止画だとややわかりやすくはなっているが、動画になるとさらにわかりにくいのだ。

『天使/L’ANGE』は、どのカットも「絵になるほど美しい」とか言われているのだとか。そんな審美眼はないから美しいか否かについては言わないが、わけがわからないからこそ記憶のどこかに深く刻まれることもあるのかもしれない。チラシの画が今まで印象に残っていたように……。

落ちたミルクを凝視する男のギョロ目、『ハロウィン』のブギーマンのような仮面をつけた図書館司書、荒野なのか広い部屋なのかわからない不思議な空間。そんな意味不明なカットが悪夢となって夢に出てきそうな気もする。

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