『トリとロキタ』 入れ替わる主人公

外国映画

脚本・監督は『ロゼッタ』『その手に触れるまで』などのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

第75回カンヌ国際映画祭では75周年記念大賞を受賞した。

物語

アフリカから地中海をわたってベルギーのリエージュにやって来た少年トリと少女ロキタ。偽りの姉弟として生きる2人はどんな時でも一緒で、年上のロキタは社会からトリを守り、しっかり者のトリは時々不安定になるロキタを支えている。10代後半のロキタはビザがないため正規の職に就くことができず、ドラッグの運び屋をして金を稼ぐ。ロキタは偽造ビザを手に入れるため、さらに危険な仕事を始めるが……。

(「映画.com」より抜粋)

助け合う移民のふたり

ダルデンヌ兄弟のいつもの手法の通り、冒頭からカメラは主人公ロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)の顔を捉え、その後も彼女の姿を追っていくことになる。ロキタはビザ取得のための面接で、面接官からの質問に答えている。ところがなぜ生き別れた弟トリ(パブロ・シルズ)のことがわかったのかという質問に対し、ロキタはうまく答えることができない。

それというのもロキタとトリは、本当の姉と弟ではないからだ。面接官の問い掛けにうろたえ、次第に落ち着きを失っていくロキタは、パニック発作を起こすことになり、その日の面接は中止となってしまう。

ふたりの背景についての詳しい説明はない。ふたりは移民としてベルギーに渡るボートの中で知り合ったとされる。ふたりがなぜ姉と弟だと言い張るのか、そうすることがふたりにとって何かの得になるのかについても具体的な説明はない。ただ、共に家族と離ればなれになってベルギーに流れてきたという境遇は同じで、互いに相手のことを必要としていることだけは理解できる。

ロキタは10代後半で身体も大きい。一方でトリは未だ幼さが残る年齢だ。だからロキタはトリの母親みたいに彼の世話を焼いているのだが、次第にそれだけではないこともわかってくる。

ロキタは祖国を離れてひとりきりになったことが影響したのか精神的に不安定だ。パニック発作はその表れで、いつも薬が手放せない。そんなロキタにとっては、弟のようなトリの存在が精神安定剤のようになっているらしく、ロキタのほうがトリのことを必要としているような関係でもあるのだ。ふたりは移民同士で互いに助け合いながら、厳しい世の中を渡り歩こうとしているわけだ。

(C)LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Television belge)

搾取される移民

これまでにもダルデンヌ兄弟の作品では、『ロルナの祈り』では直接的に、『イゴールの約束』『午後8時の訪問者』においては間接的にではあるけれど移民の問題が取り上げられてきたわけだが、とりわけ『トリとロキタ』移民問題に対する怒りのようなものがストレートに出ている作品になっている。

ロキタはベルギーで働きたくてもビザがないため真っ当な仕事に就くことが叶わず、闇の仕事に頼るしかなくなってしまう。そうしてそんな弱い立場のロキタは、性的にも搾取されるような立場に置かれることになってしまうのだ。それでも祖国の母親はロキタを頼りにしているし、密航仲介者も金を要求してくるわけで、ますます彼女は闇の仕事から逃げられなくなっていくことになる。

ロキタはさらに金を稼ぐために大麻を栽培する仕事に手を出すことになる。秘密の場所にある工場に監禁されたような状態で、通信機器なども一切取り上げられ、その中でロキタはひとりで大麻栽培に明け暮れることになる。そんなふうにロキタはトリとも引き離されることになってしまうのだ。

(C)LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Television belge)

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入れ替わる主人公

本作は主人公がふたりいる。ロキタとトリだ。それでもダルデンヌ兄弟の手法はいつもと変わっていない。カメラは主人公の姿を追い続けることになり、それ以外の情報は観客には与えられない。そのため世界は主人公の見えないところで動いていて、主人公が遭遇する出来事に観客も驚かされることになる。

本作では前半と後半では主人公が入れ替わることになる。前半の主人公はロキタで、後半はトリだ。そして、主人公以外の視点はほぼ入ってこない。ふたりは一緒に行動する場面も多いからわかりづらいのだが、これは厳密に守られているようにも感じた。途中からふたりが引き離されることになると、相手の姿も見えなくなっていくことになるのだ(一度しか観てないから曖昧だけれど)。

(C)LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Television belge)

前半の主人公ロキタが工場に閉じ込められると、トリは姿を消す。そのためロキタは寂しくて、夕食時にもSIMカードを抜き取られたスマホの中のトリの顔を眺めながら過ごしたりしている。その後にトリの方に視点が移行することになると、今度はロキタがどうしているのかが見えなくなる。

トリはうまく闇組織の車に乗り込んで工場へとたどり着くことになるけれど、その時点でも工場内部のロキタが何をしているかはまったくわからない。それでもトリがアクロバティックな行動力で工場内部へ侵入し、ロキタに対して大声で呼びかけることになる。通常ならここでトリの声に気づくロキタの視点へと移行してもよさそうだが、そうはならないのは後半の主人公がトリだからなのだろう。主人公の視点だけを追うという原則がここでも維持されているのだ。

だからトリの前になかなかロキタは姿を現さず、内部の状況がどうなっているのかわからない観客としても、トリと同様にハラハラさせられることになるのだ。このあたりはいつもの手法をふたりの主人公という形でうまく応用していていて、その手法をさらに洗練されたものにしていたんじゃないだろうか。

(C)LES FILMS DU FLEUVE – ARCHIPEL 35 – SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA – VOO et Be tv – PROXIMUS – RTBF(Television belge)

映画が現実を変える?

ラストはそのあまりに厳しい展開に唖然とさせられることになるだろう。移民の問題は色々とあるのかもしれないけれど、結局は移民たちは一方的に搾取される側にあるということを強烈に描いているからだ。先に怒りがストレートに伝わってくると記したのはそういう意味合いだ。本作は現実社会に対する問題提起を意識しているのだろう。

私は今回初めて知ったのだが、かつて『ロゼッタ』が公開された時、ベルギーでは大いに話題になり「映画が現実を変えた」らしい。映画の影響で青少年雇用のための新しい法律が成立することになり、それは「ロゼッタ法」と名付けられたとのこと。そんな意味では『トリとロキタ』も移民問題に一石を投じることになる作品となっていると言えるだろう。

そんなふうに本作を手放しで褒めることもできるのかもしれない。実際に本作はとても完成度は高いとも思う。それでもどこかで既視感のようなものにも襲われる。どんな題材で、どんな物語を描いても手法はいつも一緒だからだろうか。

『午後8時の訪問者』では描いている題材に対して、手法が合っていないようにも感じられたのだけれど、手法にこだわり過ぎることがダルデンヌ兄弟にとってかえって呪縛にもなっているようにも感じられなくもない。『ロゼッタ』は本当に好きな作品なので、余計に高望みをしてしまうということもあるのかもしれないけれど……。

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