『ハッチング -孵化-』 毒親がのさばる理由

外国映画

監督は今回が長編デビュー作となるハンナ・ベルイホルム

ジャンル映画に特化した国際映画祭、ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭ではグランプリを受賞した。

物語

北欧フィンランド。12歳の少女ティンヤは、完璧で幸せな自身の家族の動画を世界へ発信することに夢中な母親を喜ばすために全てを我慢し自分を抑え、体操の大会優勝を目指す日々を送っていた。ある夜、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。家族に秘密にしながら、その卵を自分のベッドで温めるティンヤ。やがて卵は大きくなりはじめ、遂には孵化する。卵から生まれた“それ”は、幸福な家族の仮面を剥ぎ取っていく…。

(公式サイトより抜粋)

母親の期待を背負って

北欧家具に囲まれたモデルハウスのような自宅に住まうのは、金髪碧眼の白人家族。リカちゃん人形みたいな作り物の世界にも見える。そんなティンヤ一家を仕切っているのは母親(ソフィア・ヘイッキラ)だ。母親にとっては、完璧な幸せを具現化したような動画の配信が心を満たすことになるのだ。

その動画では美しい部分だけが切り取られる。汚い部分、見たくない部分は動画の中には存在しない。そして、それを決めているのは母親だ。動画の中では仲の良い4人家族を演じているが、母親にとっては旦那(ヤニ・ボラネン)も、旦那のミニュチュアみたいな息子もすでに落第点を付けられている。そして、最後に残っているのが娘のティンヤ(シーリ・ソラリンナ)なのだ。母親はティンヤに「あなたくらいはわたしを幸せにしてくれたっていいじゃない」と語りかける。ティンヤが最後の望みなのだ。

母親はかつてフィギュアスケートで活躍していたものの、ケガをして挫折したらしい。今ではその代わりに、ティンヤが体操選手として大成することが母親の夢となっているのだ。

ある日、そんなティンヤの家に闖入することになったカラスが、散々暴れた挙句に母親に始末されることになる。そんな哀れなカラスの姿を見て、ティンヤは母親の理想からはみ出したものは、母親によって始末されると感じたのかもしれない。ティンヤはそんなカラスに同情し、代わりとなる卵を助けてやることになるのだが……。

(C)2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Vast

卵から誕生したもの

動画の中では絵に描いたような幸せを演じつつも、実際にはティンヤは様々なものを抱えている。母親からの過大な期待は大いにプレッシャーだろうし、家族関係にも不安がある。

母親は幼いティンヤにも愛人テロ(レイノ・ノルディン)の存在を隠すことはないし、父親もそれを知りつつも放任している。幸せな家族を演じつつも、実際にはその家族は見かけだけを取り繕ったものなのだ。そんな事実はティンヤをベッドの中で密かに泣かせることになる。そして、一緒のベッドにいる卵は、ティンヤの不安や悲しみを吸い込むようにして巨大になっていく。

かくして誕生したのはカラスとは言い難いような怪鳥だ。そして、“それ”はティンヤを母親と見なすことになる。インプリンティングというやつだ。

ティンヤは最初は巨大な鳥に怯えるものの、次第にそれを受け入れ、自分の子供のようにかわいがる。そして、“それ”はティンヤによって“アッリ”と名付けられ、彼女と一緒に過ごしていくことになる。

※ 以下、ややネタバレもあり!

(C)2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Vast

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白い家とグロい怪鳥

白を基調としたいかにも美しく清潔な家に、こっそりと住むことになるアッリ。その姿は家とは対照的にグロい(同時に愛嬌もあるのだが)。これは完璧さを求めるティンヤ一家の見たくない汚い部分を形象化したのがアッリだからなのかもしれない。

アッリは卵の時はティンヤの涙をすすって巨大化し、孵化してからはティンヤの嘔吐物を食べて成長する。これは親鳥がヒナに食べ物をかみ砕いて与えるところからきているようだ。しかしそれと同時に、ティンヤの普段は隠された汚い部分やどす黒い部分をアッリがエサとし、それを増強させているようにも見える。これはその後のアッリの行動にもつながっていく。

アッリはティンヤの暗い欲望を実現してしまう。通常なら、邪魔な人が居たとして、その人を心の中で呪ったとしても、それを現実の行動として示す人はほとんどいない。ところがアッリはなぜかティンヤの暗い欲望を忖度し、彼女の代わりにそれを実現してしまうのだ。

この関係は母親とティンヤとの関係とも重なっているだろう。母親の望みをティンヤが叶えようとするように、ティンヤの密かな望みをアッリが叶えようとするのだ。しかし、アッリはティンヤの思い通りに動いてくれるわけではない。これもティンヤが母親の期待通りに事を成し遂げられないことと同じだ。だから最後にティンヤが手に負えないアッリを始末しようとすることは、母親がいらなくなったティンヤを始末することでもあり、ティンヤ自身がそれを認めたことになってしまっていたんじゃないだろうか。

(C)2021 Silva Mysterium, Hobab, Film i Vast

毒親がのさばる理由

アッリが隣家の飼い犬をあっさりと惨殺し、次いで体操のライバルともなっていた隣家の少女にも大怪我を負わせることになったあたりで、アッリはもうティンヤの手に負えない存在になっている。

個人的にはその後にアッリが対峙することになるラスボスがいるとすれば、母親しかあり得ないようにも感じられた(愛人にフラれた時のキレッぷりも母親のヤバさを示している)。というのは、ティンヤ一家において一番害があるのはどう見ても母親だからだ。ところがそんなふうに話は進まなかった。

ティンヤにとって母親は一家の中の神の如き存在であって、すべてを決める全能の存在であり、それを否定することなど想像だにしないということなのだろう。アッリの残虐さならば、母親を始末することは可能だろう。しかし、ティンヤは母親に対してはまったく反抗する意志すらなかったのだ。これがいわゆる“毒親”というものの恐ろしさということなのだろう。

同じように“毒親”を描いていた『MOTHER マザー』でも、主人公の少年は母親から犯罪行為を強要されつつも、最後まで母親を擁護し続け、母親を否定することがなかった。これはそこまでマインドコントロールされているということでもあるし、まだ親を否定するほど大人に成りきれていなかったということでもあるのだろう。

『ハッチング -孵化-』のティンヤも同様で、親を否定しようなどという考えはまったく思い浮かばなかったということなのだ。それがラストの悲劇を生んでしまったということなのだろう。

途中までは『ドラえもん』の1エピソードである「台風のフー子」みたいにも感じられたけれど、アッリの暴れっぷりと変態ぶりは完全にホラー映画だった。ここでは一応詳細は伏せておくけれど、最後に生き残ったのは何だったと見ればいいんだろうか?

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