『マトリックス レザレクションズ』 それは織込み済みだから

外国映画

『マトリックス』シリーズの18年ぶりの最新作。

かつての3部作の監督名義はウォシャウスキー兄弟だったが、今回はラナ・ウォシャウスキーの単独での監督作品となっている。

原題は「The Matrix Resurrections」。「Resurrection」とは復活のこと。

物語

もし世界がまだ仮想世界[マトリックス]に支配されていたとしたら――?
ネオ(キアヌ・リーブス)は、最近自分の生きている世界の違和感に気付き始めていた。やがて覚醒したネオは、[マトリックス]に囚われているトリニティーを救うため、何十億もの人類を救うため、[マトリックス]との新たな戦いに身を投じていく。

マトリックスとは?

第1作『マトリックス』は、哲学的テーマとエンターテインメントが融合した稀有な作品だった。主人公のネオことトーマス・アンダーソン(キアヌ・リーブス)は、その感覚を「起きていてもまだ夢を見ているような感覚」と表現しているが、今自分が見ている現実が不確かなものに感じられるということは昔からあったとも言える。

たとえば「胡蝶の夢」という話がそうだろう。荘周は蝶となって飛んでいるという夢を見るのだが、その後、目覚める。しかしながら、今見ていたものが夢だったと言い切れるのか。もしかすると今感じている現実らしきもののほうが夢なのかもしれない。蝶が荘周という人になった夢を見ている可能性も否定できないというのだ。

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哲学的?

また、哲学の世界では「水槽の脳」という仮説がある。今自分が体験している現実は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないかというものだ。これはまさに『マトリックス』の世界そのものと言える。夢を見ている者にとっては夢はリアルなものと感じられるわけで、その夢が永遠に覚めなければそれは現実と変わらないとも言えるのかもしれない。

映画『マトリックス』の世界では、人間たちは機械によって栽培されている。水槽のようなポッドの中で、人間は電池のようにエネルギーを機械に供給するために生かされている。そしてポッドの中の人間は、“マトリックス”と呼ばれる仮想現実の中で現実世界と同じような夢を見させられているのだ。

『マトリックス』のこうした描写は、昔からある現実の不確かさをものの見事に示していたので、以降は『マトリックス』こそがその典型となり、「マトリックスのような」と形容すれば多くの人にそれが伝わるほど人口に膾炙することになった。

エンタメ?

さらに『マトリックス』が画期的だったのは、上記のような哲学的なテーマと共に、カンフーなどを取り入れたエンターテインメント作品だったところだろう。誰もが真似するほど有名になったバレットタイムという撮影方法によって生まれた時間が止まったような感覚は新鮮な驚きを与えることになった。

ところが第2作『マトリックス リローデッド』と第3作『マトリックス レボリューションズ』は哲学的(?)な部分が前面に出て難解になり、一方でアクションはCGに頼り過ぎて退屈になってしまったようにも感じられた。

続編が難解に感じられたのは、私がサイバー空間に対する理解に欠けるからなのかもしれない(サイバーパンクの元祖として有名な『ニューロマンサー』のおもしろさもまったくわかってない)。ネオという主人公もスミスという敵キャラも、サイバー空間の何かに対応しているのだと思うのだが、その関係性がいまいちよくわからない。

今回の第4作目『レザレクションズ』では、スミス(ジョナサン・グロフ)がネオの味方のようになったりするわけだが、それがどんな意味を持つのかがサイバー空間に対する知識も感性も欠けている人間にはよくわからないのだ。わかる人にはわかるのかもしれないのだが、私と似たような感想を持つ人が多かったのか、続編は第1作ほどの評価を得られなかったようだ。

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繰り返しでもいい?

その意味では第4作の『マトリックス レザレクションズ』にもあまり期待していなかったわけだが、意外にもそれなりに楽しめたとも言える。自己言及的な部分がおもしろかったのだ。このシリーズが毎度同じことの繰り返しであることを劇中で吐露したりもしているのは潔い。ツッコまれる部分をよく理解していて、それを織込み済みのものとしてこの第4作は出来ているのだ。

本作においては『マトリックス』3部作は映画ではなくゲームとして存在している。そして、ネオは世界的に有名な「マトリックス」というゲームを製作したゲームデザイナーという設定だ。この設定によって劇中では過去の3部作の映像が何度も登場することになるし、その映像を投影している壁を背景にする場面まであって、あからさまに自己言及的な作品となっている。

ネオは「マトリックス」の続編を製作を求められる。親会社のワーナーがそれを望んでいて、それは一方的に決められたことになっている。ウォシャウスキー監督自身も『マトリックス』の大成功の後、これといったヒット作がなかった(*1)わけで当然続編を求める声はあっただろうから、これは監督が自分自身について語っているということだろう。

(*1)『クラウド アトラス』はまあまあだったが、『ジュピター』はかなり酷かったという印象で、『マトリックス』以後はその成功が仇になっているのかも。『マトリックス』前の『バウンド』はエロくてカッコいい2人の女性が主人公の良作で、今から思えばこれはウォシャウスキー兄弟がなりたかった姿だったのかもしれない。

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同時に製作された『リローデッド』と『レボリューションズ』は、2作品合わせて第1作を拡大して繰り返しているようにも見えた。そして今回の『レザレクションズ』は最初は第1作の続編なんじゃないかという噂もあったように、第1作目と同じ始まり方になっているし、ネオは赤い薬を再び飲むことになる。

もちろん一部で差異もある。モーフィアスはローレンス・フィッシュバーンからヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世に変わったし、マトリックスを仕切っているのもアーキテクトからアナリストに変わっている。それでも基本は明らかに同じ話の繰り返しなのだ。

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それでも第4作が作られたのはなぜかと言えば、蘇ったネオもそうだったように、人間は大事なことも忘れてしまうからだろう。だから繰り返し語る必要がある。大事なことというのは「真実に目覚めよ」ということだ。

そして、今回覚醒するのがネオではなくてトリニティ(キャリー=アン・モス)になっていたのは、ラナ・ウォシャウスキー監督が性別適合手術を受けたことに関わってくる。

ラナにとっては女性であることのほうが真実だったということなのだろう。仮想現実に微睡むことはある意味では楽なのかもしれないのだが、それは反面不自由でもある。真実には厳しい側面もあるけれど、自由になることはそれ以上の価値があるということだろうか。そうした大事なことだからこそ繰り返し言う価値があるわけで、その意味で『マトリックス レザレクションズ』は必然性があったということなんじゃないかと思えた。

マトリックス レザレクションズ(字幕版)
もし世界がまだ仮想世界[マトリックス]に支配されていたとしたら――?ネオは、最近自分の生きている世界の違和感に気付き始めていた。やがて覚醒したネオは、[マトリックス]に囚われているトリニティーを救うため、何十億もの人類を救うため、[マトリックス]との新たな戦いに身を投じていく。 (C) 2021 Warner Bros...


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