『ボーダー 二つの世界』 揺さぶられるのは観客か?

外国映画

カンヌ国際映画祭「ある視点部門」でグランプリを受賞した作品。

原作・脚本は『ぼくのエリ 200歳の少女』の原作者でもあるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト

監督・脚本はアリ・アッバシというイラン出身の人物。

物語

スウェーデンの税関に勤務するティーナ(エヴァ・メランデル)には特殊な能力があった。違法な物を持ち込もうとする不届き者を嗅ぎ分ける力があるのだ。ティーナによると、違法なことをしているという羞恥心のような人間の感情を察知する力があるという。

そんな技能を持つティーナだが、その見た目はあまりに野性的でひどく醜い。だから持ち込みを咎められた者からは悪態をつかれることも度々だった……。

自分に対する違和感

「自分は人とどこか違う」と感じるのは特別なことではないが、ティーナはその醜い容貌から周囲から浮いている。童話『みにくいアヒルの子』では、アヒルの群れのなかで育った一匹の「みにくいアヒルの子」が、実は白鳥のヒナだったことがわかるという話だった。アヒルのヒナのなかにいると、一匹だけ風貌が異なっていたことが「みにくい」とされたわけだ。

ここでの「みにくい」という判断は、単に多数派ではないということに過ぎないということがわかる。また、成長して白鳥となった「みにくいアヒルの子」が、アヒルよりも美しいとする価値評価があるとすれば、それは童話を作り上げた人間の勝手な判断に過ぎない。アヒルも白鳥も「種」が異なるだけで、美醜のボーダーを判断をする基準などどこにもないとも言える。

われわれ人間はどこか自分たちと違う人がいたとすると、それを別のものとして排除しがちだ。『ボーダー 二つの世界』のティーナはその特殊能力で人間たちの世界に溶け込んでいるものの、仕事を離れればその容貌は他人の目を引いてしまう。だからだろうか、ティーナは森のなかの一軒家に暮らしている。一応は寂しさを紛らわすための同居人はいるのだが、その男はティーナを利用して遊び惚けている怠け者で、ティーナが本当に自分の居場所と感じられるのは森のなかだけだ。ティーナは森のなかの湖で裸になって泳ぎ、キツネやヘラジカたちと触れ合う。人の居ない森のなかではティーナは本当の自分らしくいられるのだ。

ティーナの出生の秘密

ティーナは職場での才能はピカ一で、判断を誤ることはまったくなかったのだが、ある日、観光客の男性に初めて間違いを犯す。彼は違法な物など何も持っていなかったのに、彼を疑い検査を要求したのだ。しかし、ティーナは彼のその風貌に自分に近い何かを感じる。

ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)と名乗るその男は、別室での身体検査に応じるのだが、その検査を終えた別の職員は戸惑いを隠せない。というのは、ヴォーレは見た目はどう見ても男なのだが、女性だったのだという。判断を誤ったティーナはヴォーレに謝罪するのだが、ヴォーレは特段問題にするつもりはないらしい。ヴォーレに興味を抱いたティーナは自分から彼女(彼?)に近づくことになるのだが、ヴォーレはティーナの出生についての秘密を知っていたのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

(C)Meta_Spark&Karnfilm_AB_2018

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衝撃的なアレ

ティーナとヴォーレの風貌のモデルとなっているのはネアンデルタール人だとか。このメイクがとてもよくできていて、人間でありながらどこかおかしいという感覚を見る者に引き起こす(アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされている)。

モデルとなったネアンデルタール人は、以前はわれわれホモ・サピエンスの祖先とされていたのだが、今では「我々の直系先祖ではなく別系統の人類であるとする見方が有力」(ウィキペディアより)とされているのだとか。だから似ているけれど、どこか違うという微妙な感覚を抱くことになったわけだ。

ここでふたりの存在に関するネタバレをしてしまうが、ふたりは北欧神話に登場するトロールという妖精という設定だ。しかし、このネタバレが衝撃的なわけではなく、そのふたりの性行為(というか繁殖行為)をあからさまに描いてしまうところが驚きだった。

ヴォーレは人間からすると男性に見えるのだが、実は女性器があるということはすでに示されていたのだが、ふたりが森のなかでその行為に及ぶと、女性だと思っていたティーナの股間から男性器めいたものが生えてくる。そして、そのティーナの男性器らしきものをヴォーレが受け入れる形になる。人間からすると逆転したような形の、別種の生物の繁殖行為に唖然とさせられるのだ。

ティーナとヴォーレの性別は人間とは逆転したものなのか、あるいはどちらも両性具有なのか? そのあたりはよくわからないのだが、生物界にはオスが子供を産むタツノオトシゴとか、メスがペニスのような生殖器を持つ昆虫などもいるらしいので、人間が判断するような男女というボーダーはあまり意味がないものなのかもしれない。

この衝撃的な場面では、グレッグ・イーガンの短編「祈りの海」(短編集『祈りの海』所収)を思い出した。この作品ではわれわれとは違う形で進化した人類の生殖を描く場面があって、性別というボーダーも曖昧となっていく摩訶不思議な代物となっている。『ボーダー 二つの世界』の衝撃もそうしたものだが、まさかそれをあからさまに映像化してしまう人がいるということが驚きだった。

監督のアリ・アッバシは、故国イランであらゆるものが検閲の対象となる状況を知っているために、余計にそれを明確な映像とすることにこだわったらしい。

ボーダーとは?

本作では様々な境界(ボーダー)が描かれている。性別に関する境界は上記の衝撃的な場面で描かれているし、ティーナの職場であるフェリー乗り場は、国と国との境界(国境)に位置するものである。そしてティーナとヴォーレは、人間とは「」が異なる存在であることが明らかになる。

ティーナは自分を染色体異常なのだと知らされていた。しかし、人間とは違う「種」だと知ることで、本来の居場所を見つけたようにも感じる。そしてヴォーレと一緒に生きていくことを考えるのだが、一方では長らく人間として育てられてきたことによる戸惑いもある。ティーナは「種」としてはトロールなのだが、人間として生きてきた期間が長いだけに、どちらの立場に立つべきか葛藤することになる。

(C)Meta_Spark&Karnfilm_AB_2018

地球に寄生する人間?

一方、ヴォーレにはティーナに隠していたことがあった。ヴォーレは人間たちがトロールにしてきたことに恨みを抱き、自分が産んだ無精卵の子供と引き換えに人間の子供を誘拐していたのだ。そして、その子供は児童ポルノを製作する組織に売られていた。

本作ではヴォーレの口を借りて人間に対する不信感が語られる。人間はトロールたちを実験材料として隔離して虐げてきた。人間は地球にとっては寄生虫のような存在だとも言う。人間がいるからこそトロールは絶滅に追いやられているし、このまま人間たちがのさばれば地球をも滅ぼしてしまうかもしれない。そんな危惧を抱いているからこそ、ヴォーレは人間たちに復讐しているわけだ。

地球にとっての最悪の寄生生物が人間だという認識は、漫画『寄生獣』にもあったものだ。そして、『寄生獣』の主人公シンイチが人間と宇宙から来た寄生生物のミックスされた存在であり、その境界に立つことになったように、ティーナは人間とトロールとの境界に立たされることになるのだ。

ティーナは森のなかにいると動物たちと自然に触れ合い自分本来の姿になれると感じていたわけだが、居候男の飼い犬だけには敵意をむき出しにされていた。これはティーナの微妙な立ち位置を表している。ドッグショーに出場するほど人間世界に馴れている犬にとっては、ティーナは「森のなかに住む獣の一種」という人間世界とは敵対する存在と感じられていたからなのだろう。しかし一方では、ティーナは親しい近隣の人たちに同情を感じるほどには人間らしい感覚を持っている。そんなボーダーにいるのがティーナなのだ

ティーナは一度はヴォーレを警察に売ることになるわけだが、その後のヴォーレから送られてきた子供(多分、ヴォーレとティーナの間にできた子供)のことを愛らしく見守っている。ティーナは今後どちらの立場を選ぶことになるのだろうか?

揺さぶられるのは観客か?

本作を観ると、トロールのティーナには同情してしまう部分がある。だが同時に、トロールを人間とは異なる別のものと感じ、受け入れ難く感じる部分もある。ヴォーレは木から採取した蠢くミルワームをそのまま食べるし、ティーナの子供も生きたままの虫を嬉しそうに食べている。人間としてはどうしても気味が悪いとしか思えないし、嫌悪感すら催してしまう。自分たちとは違う存在を受け入れるということは、そうした習慣をも許容するということなのかもしれないのだが、それは簡単なことではないようにも感じられる。

本作のティーナが「種」というボーダーに立たされて葛藤したように、本作は観客にも揺さぶりをかける。人間が勝手に設定してしまっているボーダーの感覚に対する揺さぶりだ。そうしたボーダーは北欧の妖精というファンタジーの世界ではなくて、われわれが生きる現実世界のあちこちに見出せるものだということは言うまでもない。

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