『ミツバチと私』 その名前で私を呼ばないで

外国映画

監督・脚本はエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン。これまでは短編を撮っていた人で、本作は初の長編劇映画となる。

ベルリン国際映画祭において、主演ソフィア・オテロが史上最年少で最優秀主演俳優賞受賞した。

原題は「20.000 especies de abejas」で、「20000種類のミツバチ」という意味。

物語

夏のバカンスでフランスからスペインにやってきたある家族。
母アネの子どものココ(バスク地方では“坊や(坊主)”を意味する)は、男性的な名前“アイトール”と呼ばれることに抵抗感を示すなど、自身の性をめぐって周囲からの扱いに困惑し、悩み心を閉ざしていた。
叔母が営む養蜂場でミツバチの生態を知ったココは、ハチやバスク地方の豊かな自然に触れることで心をほどいていく。
ある日、自分の信仰を貫いた聖ルチアのことを知り、ココもそのように生きたいという思いが強くなっていくのだが……。

(公式サイトより抜粋)

名前を呼ばないで!

ソフィア・オテロが演じた主人公のことを何と呼んだらいいんだろうか。本作の主人公はココと呼ばれることをイヤがる。その代わりにアイトールという名前で呼ばれたりもするけれど、この名前も拒否することになり、さらには「名前を呼ばないで!」とまで言い出すことになる。

名前は誰にでもあるものだろう。そして、それは自分で選ぶのではなく、誰か(両親や親族など)によって勝手に付けられるものということになる。主人公が自分の名前が気に入らないのは、ココやアイトールという呼び名が男性的なものだからということらしい。

それに対して主人公は抵抗することになる。男の子として見られることに対する違和感はあるし、髪は長く伸ばしていたいとも思っている。だからといって「自分は(心の中では)女の子だ」とまでハッキリと言い切ることもできない。そんな感じなのだろうか。

つまりは本作の主人公はいわゆるトランスジェンダーということになる。場合によってはトランスキッズなんて言い方もあるらしい。しかしながら、そんな幼い年齢で自分の状況を指し示す言葉を知るはずもなく、どこか普通とは違っているという感覚に悩まされているのだ。

©2023 GARIZA FILMS INICIA FILMS SIRIMIRI FILMS ESPECIES DE ABEJAS AIE

幼い子供と家族の関係

本作の主人公の設定は8歳だ。そんな幼い年齢では、周囲にトランスジェンダーについて詳しく知っていて教えを授けてくれるような人はあまりいないかもしれない。まずは家族が主人公と密接に接することになるわけだけれど、父親と母親アネ(パトリシア・ロペス・アルナイス)はあまり主人公を気にかけてはいないようでもある。

バカンスに一緒に来ない父親は「もってのほか」なのだろうし、母親アネは理解があるようでいて、彫刻家としての創作活動のほうで頭が一杯になっている。だからアネも主人公が性自認について悩みを抱えているということに気づいていない。プールで主人公が裸になることをイヤがってローブを着ているのに、アネはその不自然さをトランスジェンダーとは結びつけていなかったようなのだ。

そんな中で叔母ルルデス(アネ・ガバライン)の存在はとても重要な役割を担っている。ルルデスは養蜂家で、蜂針治療なんかもしたりしている。舞台となるバスク地方では養蜂業というのは伝統的な産業らしい。ハチミツはもちろんのこと、蜜蝋もアネの彫刻家としての仕事の材料として使われたりすることになるのだ。

このルルデスだけは主人公をありのままに受け入れることになる。それでもルルデスがとてもいい人に見えてしまうのは、周囲の多くはそんな人ばかりではないということでもある。本作製作のきっかけには、あるトランスジェンダーの子供の自殺があるらしい。周囲の人がみんな劇中のルルデスのような態度でその子供に接していたら、そんな出来事は起きなかったのかもしれない。

原題は「20000種類のミツバチ」という意味であり、これはミツバチの多様性を示すと共に、LGBTQというマイノリティの多様性にも関連しているということなのだろう。

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本当の名前とは何か?

『ミツバチと私』セリーヌ・シアマ監督の『トムボーイ』とよく似ている。トランスジェンダーを題材としているところも共通しているし、名前の問題が重要な要素になっている点でも共通している。

『トムボーイ』の主人公は気になる女の子に咄嗟に嘘の名前をでっち上げてしまうのだが、最終的には「本当の名前」を告白することになる。それに対して『ミツバチと私』は、自分の「本当の名前」を拒否し続けた主人公が、自分で選んだルチアという名前で呼びかけられるところで終わることになる。

それでも『トムボーイ』と『ミツバチと私』では大きく異なる部分もある。ドラマチックであるか否かという点もあるかもしれないけれど、それ以上に上映時間が82分と128分と大きく異なるのだ。『ミツバチと私』は46分も長いことになる。その分が主人公の家族の描写に割かれているとも言える。

母親アネの芸術家としての葛藤とか、アネのそれまでの背景などが垣間見られる部分も丁寧に描かれる。しかしながら、そのエピソードがルチアのことには結びついてくるわけでもないので、焦点がぼやけてしまったような気もする。

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なぜ信仰が話題に?

本作では洗礼式が行われるということが何度も言及されている。さらにはルチアと叔父さんとの会話では、信仰ということが話題になっている。叔父さんは信仰とは「何かを信じることだ」と説明する。ルチアの目は茶色だ。そのことを信じることは簡単だ。鏡を見れば一目瞭然だからだ。しかし信仰というのはそれとは異なる。それは目には見えないものを信じることだからだ。

本作ではその洗礼式が描かれることはないのだが、なぜこんなふうに信仰について話題とされているのだろうか? それは性自認というものにも関わってくるということなのだろう。生物学的に言えば、ルチアは男の子ということになる。裸になればかわいらしい男性器おちんちんが付いているから、それは明らかということになる。しかしながら性自認ということは、そうした目に見える事柄とは違うということなのだろう。

ルチアは叔父さんの話をそんなふうに聞いていたんじゃないだろうか。ルチアは自分の名前をルチアに決めたのは、シラクサのルチアという女性に憧れを抱くことになったからだ。聖人ルチアという女性は自分の信念を貫き通した人だったらしい。ルチアもそんなふうに生きたいということなのだろう。

主人公ルチアを演じたソフィア・オテロは、本作でベルリン国際映画祭の最優秀主演俳優賞を受賞した。ベルリン国際映画祭は男優・女優という区別をなくして、主演俳優賞という賞にしたようだ。撮影当時は9歳ということで、これは史上最年少での獲得ということらしい。

主人公ルチアは女の子になりたい男の子という設定だけれど、演じたソフィア・オテロは名前でもわかるように女の子らしい。トランスジェンダーという役を演じるというのは難しいことだろう。劇中のルチアは女の子にも男の子にも見える感じで、幼いながらもどこかで不安定さみたいなものを感じさせていたのもソフィア・オテロが役に成りきっていたということかもしれない。ルチアがミツバチに自分の名前を語りかける姿が寂しげで印象的だった。

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