『やすらぎの森』 自分勝手な森の隠者たち

外国映画

監督はルイーズ・アルシャンポー。これが3作目の長編映画とのこと。

原題は「Il pleuvait des oiseaux」。英語のタイトルは「And The Birds Rained Down」で、「鳥が雨のように降ってきた」というもの。

昨年の5月に劇場公開され、今月になってソフト化された作品。

物語

カナダ・ケベック州、人里離れた深い森。湖のほとりにたたずむ小屋で、年老いた3人の男性が愛犬たちと一緒に静かな暮らしを営んでいた。それぞれの理由で社会に背を向け、世捨て人となった彼らの前に、思いがけない来訪者が現れる。その80歳の女性ジェルトルードは、少女時代に不当な措置によって精神科療養所に入れられ、60年以上も外界と隔絶した生活を強いられていたのだった。世捨て人たちに受け入れられたジェルトルードは、マリー・デネージュという新たな名前で新たな人生を踏み出し、澄みきった空気を吸い込みながら、日に日に活力を取り戻していく。しかし、その穏やかで温かな森の日常を揺るがす緊急事態が巻き起こり、彼らは重大な決断を迫られていくのだった……。

(公式サイトより抜粋)

ハートウォーミング?

冒頭で描かれるのは森の中の湖で泳ぐ三人の男たちだ。このシーンだけを見ていると、避暑地の優雅でのんびりとした風景にしか見えない。邦題が「やすらぎの森」となっているのはそのあたりを捉えたものだろう。だから、最初はリタイアした老人たちが織り成すハートウォーミングな物語みたいなものをイメージしていたのだが、実際にはちょっと違っている。実は、三人は社会を逃れ、森に隠れている世捨て人なのだ。

『やすらぎの森』『ノマドランド』と共通するものを感じる人も多いようだ。確かに似ている部分もないわけではないのだが、違いもある。『ノマドランド』では、経済的な理由で車上生活を余儀なくされた人たちが、自然の中で生きることに積極的な価値を見出す話になっていた。

一方の『やすらぎの森』の男たちも自然の中で自給自足の生活をしているわけだが、その根本には社会から自らの意志で逃避してきたという点がある。自然の中で生きることに価値を見出したというよりも、社会からの逃避が先にあるのだ。様々な理由で社会ではうまくやっていけず、逃げ場として森を選んだわけで、そこに積極的な意味合いはないのだ。

監督のルイーズ・アルシャンポーは、本作の登場人物を“アウトロー”と呼んでいる。人のいいおじいさんたちの話にも見えるのだが、彼らは規則に縛られて生きることを嫌い、孤独を求め森に隠れ、「好きに生き、好きに死ぬこと」を選んだ、極めて自分勝手な人たちの映画なのだ。

(C)2019 les films insiders inc. une filiale des films OUTSIDERS inc.

森の隠者たち

三人の老人はそれぞれの理由で森の中で隠れるようにして生きている。三人はそれぞれ自分の小屋を持ち、共同生活というよりはあまり互いに干渉せずに好き勝手に生きている。そして、好きに生き、好きに死ぬということから、死期が来れば相棒である犬と一緒に青酸カリを飲んで自殺する。これは三人が自分たちで決めたことらしい。

この愛犬を道連れにするという部分は、多くの人が疑問を抱くところだろう(本作を観た人の印象を悪くしている点もここだ)。とはいえ、彼らはもともと社会に背を向けて生きることを選んだアウトローだし、「愛犬と一緒に」ということも彼らなりの愛情ということなのかもしれない。

世捨て人三人衆のひとりであるチャーリー(ジルベール・シコット)は、のちに森の生活の仲間入りを果たすことになるジェルトルード(アンドレ・ラシャペル)と親密になり、最後は森の生活を捨て、社会へと戻ることを選択することになる。チャーリーはジェルトルードと一緒に生きることを決めた時に、青酸カリの瓶には触らないと約束しているのだが、それでも「自由でいられるうちは」という条件を付けている。

社会に背を向けて生きるということは誰の助けも借りないということであり、身体を壊したりして自由が利かなくなれば、「自分のことは自分で始末を付ける」という意味合いでもあったのだろう。その延長に愛犬も一緒にという考えも出てくるということらしいのだが……。

(C)2019 les films insiders inc. une filiale des films OUTSIDERS inc.

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現実の世捨て人は?

昨今はコロナ禍ということもあって人と会えないことがストレスになったりすることもあるのだと思うけれど、一方でなるべくなら人と接したくないし、何だったら引きこもりたいという人もいるだろう。私は森の隠者という部分に興味を抱いて本作を見ていた。

ただ、本作の設定はリアリティに欠ける部分もあるような気もする。彼らは森の湖畔にある狩猟小屋を勝手に長年に渡って占拠しているのだが、それを咎める人は誰もいないらしい。狩猟小屋があるわけだからそれを利用する人だっているはずだろうし、そんなのんきに生活できるとはちょっと考えにくいんじゃないだろうか。

実際に森の隠者になるとすれば、それはもっと過酷なものになるだろう。アメリカでは森の中で27年間も孤独に暮らしていたという人がいて、その驚くべき事実を取材して書かれた『ある世捨て人の物語:誰にも知られず森で27年間暮らした男』というノンフィクションがある。これを読むと、森に隠れ住むのは容易なことではないとわかる。

この男が隠れ住んだのはアメリカのメイン州の森で、そこは冬にはマイナス30度にもなるのだとか。彼は両親が住む家から飛び出しその森で暮らしていたわけだが、快適な生活を捨ててそんな過酷な場所を選ぶのには何らかの理由があるはずだろう。それは常人には理解し難い部分もあるわけだけれど、世捨て人にとっては社会の中で生きることのほうが余程苦痛ということだったのかもしれない。

『やすらぎの森』の三人の男も、それぞれに理由を抱えている。その一人であるテッド(ケネス・ウェルシュ)は映画が始ってすぐに死んでしまうのだが、彼は地元では伝説の男とされている。

テッドは劇中で“地獄”と呼ばれる山火事があった時に家族のみんなを喪いながらも、多くの人を助けたのだという(不思議な原題は、この火事では飛んでいる鳥すら堕ちてきたという状況から採られている)。その山火事が彼を伝説にしたわけだが、同時にテッド自身にはそれが暗い影を投げかけることになる。テッドは“地獄”のような山火事を体験した苦痛から逃れるために孤独を選び、森で生きることを求めたのだ。そして、テッドは20年も孤独に暮らし、最後は心臓を悪くし、自ら愛犬と一緒に死ぬことになる。

(C)2019 les films insiders inc. une filiale des films OUTSIDERS inc.

詰め込み過ぎ?

本作には原作があるのだそうで、原作者は自分のおばの話をモデルにして本作を書いたとのこと。つまり本作の主人公はジェルトルードということなのだろう。彼女は親によって精神病院に入れられ、今まで60年もの間、社会と隔絶された場所で生きてきた。そんなジェルトルードは病院に戻るよりも、森で世捨て人たちの仲間になることを選ぶ。

本作はジェルトルードがチャーリーと一緒に暮らすことになり、人生を取り戻すことになる物語ということになるのだろう。多分、原作者の意図ではこの部分が中心なのかもしれないが、本作は世捨て人三人衆の生き様も描かれる。さらにテッドが描いた絵を巡っての論争もある。

テッドは自分のことを話そうとしなかったし、頭をかきむしりながら絵を描いていたらしい。そして、それを誰にも見せようとはしなかった。伝説となっていたテッドを捜していた写真家ラフ(エブ・ランドリー)は、その絵を世の中に出そうとするのだが、それはテッドの遺志に沿うものなのか否かという点が問題となる。

世捨て人三人衆のトム(レミー・ジラール)は、それに反対する。元歌手であるトムは、森の中で無聊を慰めるために歌うのだが、それは誰かに聴かせるのものではなかったわけで、そんなトムからすればテッドの絵を勝手に世の中に出すことは、テッドの遺志に反するものに感じられたのだろう。

本作はそんな様々なテーマを抱え込み過ぎて、ちょっと消化不良を起こしている面は否定できないような気もする。そんな欠点にも関わらず、本作の森の隠者という側面をとても興味深く観ることができた。それはアメリカ文学において古典とされている『ウォールデン 森の生活』に描かれた自給自足の生活を思わせるところがあったからかもしれない。ウォールデン池を望む風景もこんな風景だったのかもしれない。

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