『ノマドランド』 ノマド甘いか酸っぱいか

外国映画

監督は『ザ・ライダー』などのクロエ・ジャオ。本作は長編第3作。

原作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション『ノマド漂流する高齢労働者たち』

ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞受賞など賞レースを席巻している作品で、アカデミー賞でも本命視されている。

物語

リーマン・ショックの影響で夫が勤めていた企業が倒産し、住み慣れた家を出るしかなくなったファーン(フランシス・マクドーマンド)。企業城下町であったエンパイアは、町そのものが捨てられゴーストタウンとなり、郵便番号すらなくなってしまったのだ。

ファーンはわずかな身の回りのものだけを持っていたヴァンに詰め込んでノマド(遊牧民)として生きることになる。ノマドたちは季節ごとの仕事を求めて、全米各地をあちこちを移動しながら生活していくのだ。

ノマドとは?

ノマド”という言葉は、今ではオフィスに縛られずに働くワークスタイルを実践している人のことを“ノマドワーカー”などと呼ぶような形で使われることが多いようだが、『ノマドランド』における“ノマド”は、家を追い出されて車上生活をせざるを得なくなった人のことを指している。リーマン・ショックの後に家を失い、ノマドとなった人の多くは高齢者で、アメリカを転々と移動しながら様々な季節労働に従事することで生活を成り立たせている。

本作の主人公ファーンがノマドとして最初に働く場所はアマゾンだ。アマゾンが登場した時には、アマゾンの経営者であるジェフ・ベゾスのような大富豪が、ノマドたちのような底辺の労働者たちを搾取しているといった格差社会を描く作品なのかと思ったのだが、どうもそれは早とちりだったようだ。

もちろん低賃金労働者を大量に雇うことでアマゾンが潤っているという側面があることも確かだろう。それでも本作におけるアマゾンの従事者たちの様子はそれほど悲観的には見えないし、過酷な労働という部分は強調されているわけではない(アマゾンの実際の仕事が激務であることは町山智浩も指摘している)。ノマドたちはみんな和気あいあいと働いているし、アマゾン側はノマドたちのためにクリスマス商戦時期は彼らの車を停車できるスペースを確保したりもしているのだ。本作はノマドたちの厳しい現実を見せることで社会に問題提起をするよりも、別の何かを描いているように見える。

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ノマド甘いか酸っぱいか

とはいえやはりノマド生活は一軒家に住むほど快適ではない。荒野の中で暮らす時は、用便は車の中にバケツを持ち込んで処理しなければならないし、街中で過ごす時には駐車場所にも気を使わなければならない。車のタイヤがパンクするなどトラブルに遭遇したら、アメリカのような広大な土地ではそのこと自体が命取りになるから、その辺のリスク管理もしなければならない。その意味では楽ではないことも多いし、一度はノマド生活を始めたものの、帰るべき場所を見出して既存の社会システムに戻っていく人もいる。

ファーンには二度救いの手が差し延べられる。一度は妹からであり、もう一度はデイヴ(デヴィッド・ストラザーン)という元ノマドの友人からで、彼からも一緒に住むことを提案されたりもする。ファーンはどちらの提案を受け入れることもできたはずだ。それでもファーンはそれを断りノマドの生活を選ぶことになる。それはファーンが変わり者であるという側面もあるだろうし、亡くなった旦那の想い出を未だに忘れられないからでもあるだろう。しかしそれと同時に、ファーンはノマドという生き方に新しい価値を見出しているようにも見えるのだ。

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.

homeとhouse

ファーンはノマドの先輩であるリンダからある集会を紹介される。それはノマドたちの集会であり、ファーンはそこで様々なノマドたちと出会う。そこではノマドたちの指導的立場にあるボブ・ウェルズから、ノマド生活を実践するに当たっての知恵を学んだり、底辺の立場にあるノマド同士で助け合ったりすることになる。ファーンはそうした出会いを通して今までの価値感を変えていくことになるのだ。

ファーンはかつて臨時教員をしていた時の教え子に「先生はホームレスになったの?」と問われ、「私はハウスレスだから、別物」なのだと答えている。英語のhomehouseは日本語に訳せばどちらも「家」という意味だが、ニュアンスは異なるらしい。houseのほうは単純に「家そのもの」を指すが、一方のhomeは「帰るべき場所」といった意味合いを含むことになる。ファーンは家そのものは失い車上生活者にはなってしまったけれど、帰るべき場所は失ってはいないということを言っていたのだろう。

ファーンはノマド生活を始める前に倉庫の中に自分と亡き夫との所持品を保管していたのだが、妹やデイヴの誘いを断って改めてノマド生活に戻る時に、それらの所持品も処分している。夫との想い出の中がファーンにとってのhomeだったのかもしれないのだが、その時点でファーンはノマドとして路上に生きることがhomeなんだと感じていたのかもしれない。

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.

See you down the road.

『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』『マネー・ショート 華麗なる大逆転』などを観ると、リーマン・ショックの要因としては、サブ・プライムローンの問題が挙げられている。これはプライム層(優良客)ではないサブ・プライム層(優良客ではない信用度の低い客)に向けた住宅ローンのことだった。あまりお金に余裕がなかったとしてもローンを組めるという話があったとしたら、やはりマイ・ホームの誘惑には逆らえないということだろう。そんなデタラメな金融商品の崩壊がリーマン・ショックにつながるわけだが、それほどマイ・ホームを手に入れたいと思う人が多いし、それが当然ながらアメリカの主流の生き方ということでもある。

しかし一方でアメリカには開拓民からつながる伝統もある。劇中ではノマドたちはそんな開拓民の伝統につながると指摘されている。そうした伝統の流れには、かつてはホーボーと呼ばれる渡り鳥的に仕事を求めて放浪した人たちがいたし、その後にはケルアック『路上』に代表されるビートニクが出て、それはヒッピーなどを生み出すことにもつながる。本作のノマドはそんな雰囲気を持っているのだ。ヒッピーはカウンターカルチャーの担い手とされたように、ノマドたちも主流の生き方に対するオルタナティブを示しているようにも感じられるのだ。

実際の車上生活は厳しいことも多いはずだが、本作ではそれと同時に自然の中で生きることの素晴らしさが称揚される。広大な荒野に夕陽が沈んでいく様子を捉えたシーンを見ていると、そんな生活も悪くはないと思うことになるだろうし、ファーンが岩場の中を無邪気に走り回ったりする場面などを見ていると羨ましい感じもしてくる(ファーンは時にひどく幼く見えたりもした)。マイ・ホームを持ちその土地に縛られ、会社という組織にがんじがらめにされる生き方とは別の価値観がそこにはあるのだ。

ノマドたちの会話の中では、定年まで働き続けヨットを購入した友人のエピソードが語られていた。その友人はヨットが家に届いた時には病院のベッドの上で、航海する前に亡くなってしまったとのこと。会社や富に縛られたままで人生を終えることがいいことなのか、どんな風に自分は生きたいのか、そういったことが問われているように感じられるのだ。

考えてみるとクロエ・ジャオ監督の前作『ザ・ライダー』Netflixにて4/6まで配信中)も、本作と同じように別の価値を見出す話だったとも言えるかもしれない。主人公は最後にある決断をすることになるわけだが、それはそれまで追い続けてきたものを諦め、別の生き方を目指すことだったのだから。

『ザ・ライダー』でもカウボーイたちを演じているのが素人だと知って驚いた。それぞれがいい雰囲気を醸し出していたからだ。本作のノマドたちも実際にノマド生活をしている人たちから選ばれている。リンダやスワンキーなどとても味があったと思う(ちなみにスワンキーがガンで亡くなったという部分はフィクションだとか)。そして、主役のフランシス・マクドーマンドはそんなノマドたちの中に溶け込んでいた。三度目のオスカー獲得もあり得るかもしれない。

アカデミー賞でも本命視されている本作だが、個人的にもいくつか観ることのできたノミネート作品の中では『ノマドランド』が一番心に沁みた作品だったと思う。

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